「小學書題」(3)

「小學書題」

 しかして必ずれをして講じて之を幼稚ようちの時に習わしむること、其のらい智とともに長じ、化、心とともに成つて、しかして扞格かんかくしてえざるのうれえ無からまく欲してなり。


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「しかして」とは、上をうけ、下をおこす詞である。「其れ」とは、教をうくる者をさす。「講ず」とは、その理をあきらかにすることを云う。「習わす」とは、その事をならわすことを云う、俗にならすと云う義(意味)である。「之」とは、その講じて習わす所の事を云う、即ち小學の道である。幼稚とは、皆ないとけなきことを云う。


 ・「習」は、なるる義(意味)である。「長ず」とは、ます(益す)義(意味)である。童子の智慧は、なるる所の事と共に生長す。このために、善事にならわす時は、善と智とともに長ずるのである、


 ・「化」は、物のなりかわる義(意味)である。童子の心は、化する所の事と共に成就する。このために、善道に化する時は、善と心とともに成るのである。「習與智長ず(習い智とともに長ず)」とは、そのはじめよりして云う。「化與心成(化、心とともに成る)」とは、そのおわりよりして云う、ふたすじにあらず。


 ・「扞格かんかく」は、あたりさかう義(意味)である。云う意は、人がおとな(大人)しくなるまで、(他のものに?)ならいて化する所の、あしき者に、はじめて小學のおしえをほどこせば、必ずあたりさかいてたえがたい。古人(が?)、小學の教えを、必ず幼少よりして講習せしむること、その心・智がこれと共に成長して、はじめより杆格かんかくしてたえざるうれえなからんことを、思いてなればとぞである。かくの如くにする時は、大學の教えも、また入りやすいのである。以上の段々は、いにしえ小學にして人を教える意をといている。



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 ・「牴牾ていご」と云うのも、あたりさかう義(意味)である。「未有所主(いまだ主とする所、有らず)」とは善にも惡にも、いまだむね(旨)としてしたがう所なしということである。「及時(時に及ぶ)」とは、その時に及びて、おくれずということである。

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