「小學書題」(2)

「小學書題」

 古者いにしえ、小學にして人を教うるに、灑掃さいそう・應對・進退の節、親を愛し長を敬し、師をたつとみ友にちかづくの道を以てす。皆な身をさめ家をととのえ、國を治め天下をたいらかにするの本と所以ゆえんなり、



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「灑」は、水をそそいで、ちりをしめす、「掃」は、地をはらいて、ちりをのけるのである、「應」は、よぶにこたえるこえ、「對」は、問いにこたえることば、「進」は、すすむ、「退」は、しりぞく、身のたちふるまいを云う。皆な是れ貴人・長者に、つかえまつる禮儀である。「節」とは、禮節を云う、節は竹のふしである。禮儀のほどよき所、竹のふしあるが如くであればである。


 ・「愛す」とは、いつくしむことである。「親」は、父母を云う。「敬す」とは、うやまうことである、「長」は、このかみ、またおとな(大人)しき人を云う。


 ・師をたつとみて、おしえをうけ、友にちかづきて、學をならはすのである。「道」とは、物ごとの、しかるべき道理である。この理はわれ(我れ)、人、共に、より(依り)したがう所にして、道路のごとくなるために道と云う。ここには「愛親敬長(親を愛し長を敬し)」等の道をいっている。「灑掃應對」より以下は、即ち小學の道である。この道をもって教えるということである。


 ・「皆」とは、上に云う小學の道をさしている。修身・齊家・治國・平天下の字義、皆な『(小學)句讀』の序に見えている。格物・致知・誠意・正心は、「脩身」の內にある。この四つは是れ大學の道である。云う意は、いにしえに小學において、八歲より灑掃應對等のことをおしえて、その德性をやしないたてることは、後に大學にて、身をおさめ、家をととのえる等のことを、まなぶための、根本とするためにである、ということである。



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 「夏・商・周」は、三代の國號である。もろこしには、天子の姓がかわる時は、代々國の總名をあらためる。「夏」は大禹(禹王)より立てる國號である、「商(殷)」は成湯(湯王)より立てる國號である、「周」は武王より立てる國號である。「郷學」は、郷里の學校である。國々の宮中にある學を、國學と云うによりて、これに對して郷學と云うのである。その實は大學も小學も郷・國に共にあり、ここには郷里の小學を主として云うと意得こころえて、かくのごとくに註するか、不審である(審らかでない)。「古人繇小學(古人、小學にって)」と云う一段、小學にてまなぶ所をもって、大學にてまなぶ所の本とする義をといている。「收心(心をおさむ」とは、はなれちりたる心を、とりおさめることを云う。「性」とは、仁・義・禮・智・信の、即ち心の中にそなわれる道理である。放心をおさめて、これによって、德性をやしなうのである。小學において心を二十年おさめ、性をやしなうこと、屋のもといをつき、木の本につちかふ(培う)がようである。このために、大學に入るに及んで、學ぶ所の功が成りやすいこと、基につきて屋をたて、根によりて枝を長ずるがようである。ただそのすでに成りたる功を、とりおさめるばかりである。田をつくりおきて、いねをかりおさむるやうなこころである。

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