『小學句讀』序(8)

『小學句讀』序

 大學に進むに及んで、こといたり知を致すには、則ち吾がすでに知る者に因って之を究極す、こころばせを誠にし、心をただしうし、身を修むるには、則ち吾がすでに行なう者に因って之を惇篤とんとくにす。是れにって之を家にさば、則ち家、ととのうべし。推して以て道化をたすけば、則ち國、治むべし、天下、たいらかにすべし、故に聖人の道を學ぶこと、必ず『小學』り始まる。


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・是れより以下は、小學の功によりて、大學の道をまなぶことを説いている。云う意は、小學において、すでにその義を知り、その事をなし得て後に、大學にすすんで、その道をまなぶに及ぶ時は、ということである、


 ・「格物(物に格る)」とは、事物の理にきわめいたることである。「致知(知を致す)」とは、心の知識をきわめ致すのである、この二つは心に知ることである。


 ・「究極す」とは、きわめるのである、わが小學において、すでに知りたる、明倫・敬身の義によりて、そのくわしい所を、きわめつくすのである。


 ・「意」は、心のおこる所を云う。これを「誠にす」とは、念慮のきざす所において、善をこのみ、惡をにくむことを信實にして、少しもこころよからぬ所なきようにすることを云う。「正心(心を正す)」とは、人心本來の正體(正体)をとりたもちて、常にはなちみだれず、百慮が過不及なきようにすることを云う。「修身(身を修む)」とは、その身の容貌・言動、事に應(応)じ、物にまじわる所、皆つつしんで、おさめととのえ、少しも理にかなわないことのないようにすることを云う。この三つは身にかなわないことがないようにすることを云っている。この三つは身におこなうことである。


 ・「惇篤にする」、とは、あつく(厚く)するのである。わが小學においてすでにみ、すでに嚴にした、明倫・敬身の事によりて、そのおよばない所を、いよいよあつくおこなうのである。


 ・「是れ」と「之れ」とは、上のきわめしり、あつくおこなう所をさしている。この道を一家の人におしおよぼして、また皆これを知り、これを行うようにさせるのである。


 ・一家のあらゆる人を、皆やわらげしたがえて、むらなくととのえらるべきである。


 ・またこの道をおし(推し)ひろめ、そのおさめる所の民にほどこして、君の道化をたすけるのである。


 ・「可治可平(治むべし平かにすべし)」とは、「皆な家、ととのふべし」と同じ句義である。この三つは人に及ぼすことである。格物・致知・誠意・正心・修身・齊家・治國・平天下は、即ち大學の八條目である。その格・致・誠・正・修は、德を明らかにするのこと、齊・治・平は、民を新らたにすること、八つの者がおのおの皆なその至極にいたるを、至善に止ると云うのである。聖人の道も、是れより外のことはない。


 ・この二句(故學聖人之道、必自小學始)は、上にいいかけたることをくりかえし、相いこたえて、その義を決定す。

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