私家版『小學示蒙句解』中村惕斎著(自由訳)

Rona736

『小学示蒙句解』序(中村惕斎先生)


『小学示蒙句解』序(中村惕斎先生)


 いにしえの小學の教えは廃墜して、「道」を求めるのに根基が無くなってしまった。あるいは既に啓蒙したり養うこと(方法)の正しさを失って、その後にこれを悔いたけれどもまた(再び)小學の道に至ることはできなかった。


 朱子はこのことを憂えられることがあってそこで両篇の書(『小学』)を編纂し、あつめられてそして古典のけつ(欠)を補われた。


 人君が教えを天下に成し、師たる儒者が学を生徒に教えるにあたり、その初めに自らのおもむくところを知らしめようとするなら、みなこの書によるべきなのだ。


 ただ幼くして学ぶものの規範であるばかりでなく、この書には身を修める(修身、己を向上させる方法か)ための大法が備わっている。


 まさに時政(時々の政治)についてそしりとさとしがあるようであり、男女や老少が、日中と夕夜にかかわらず、常に居るごとに、省察して守り、勧戒して、あえて奉じ行わずにはいられぬものがある。


 まことに天壌の間にかくべからざるの重典である。


 わたし(予)は往歳おうさい(嘗て、か)、片字を句の間に注して、諸子弟に(学ぶことを)課し、その文の義(意味)を領略させた。(ここ文義取れず、略を「ほぼ」と取り、領を「了」(終える、了解する)ととるべきか)


 あるもの(客)があって申した。


「朱子はこの書について、『旬日(旬は季節、日は日々か、わからぬ)の功(努力・工夫か)』でこれを読まさせた。だから注解をしなかった。


 司馬公の書儀の説では(ここわからず)、本文とそれぞれ互いに発すべきもの(関係するものか)を採って、附する(合わせる、か)のみであった。「元享利貞」「仁義礼智」のようなものがそうで、ただその名目(名と目)を知ればそれでいいのだ。集解や句読を作ることは、おそらくは朱子の意(望まれたこと)ではあるまい。


 子(あなた、先生)はどうして屑屑然(ここ意味とれず)として字ごとに釈し(解釈、意味をとり)、句ごとに訓読をつけ、いたずらに心力を労されるのか(上下で徒労という句になっている)」


 わたしは申し上げた。


「朱子のこの言葉(「旬日の功で読む」ということ)は後世の人がまだかって小学の芸業をならわないのに、ただちに大学のことに従事させることを欲しなかったことを現している。そのまず心を虚しくさせ、歩を退けて、旬日の功を費やさせてからこの書を読まさせたためである。


 纂輯(編纂か)のよるところ(目的)は、おもうにもっぱらこのような一流の人のためだけではないであろう。注解を作らないとすればどうしてまた「旬日の功」に依拠することだけでいいだろうか。


 およそ篇中に出された経文や、名数は、大概、学者の平時に口誦するところで、義(意味)や訓(読み)は本書(本の書、『小学』)に備わっている。だからこの書(『示蒙句解』)は華人であるものは必ずしも理解しないだろう、吾が邦とは語音が異なるのだ。


 蒙士(まだ学んでさとらない者)、小生(幼いもの)は、かつて訓読を受けたといえども、なお字字それぞれに師や友に問い弁じて、その後にまさに了解することができるのであって、今、試みにこの注解をもってこれらの蒙士、小生に授ければ、わずかに章句に通じるものも詞や義がそのためにより口に登るであろう。


 だからひそかに思うに、そうやって少しでも教えを助けるべきであると。そうすれば家庭に教えが存するようになるであろう」


(そう申し上げた。)


 その人(客)は未だ承服しなかったけれども、私(自)はその(この『示蒙句解』の)人を誤るに至らないことを信じ、ここにおいてその人(客)に答えた語を篇のはじめ(初め)に録してこの書の序とする。


 元禄三年 夏 六月  平安の仲(欽)敬甫、書す



【読み下し】

 古者いにしえの小學しょうがくおしえ廃墜はいついしてみちもとむるに根基こんきし。あるいはすで蒙養もうようせいうしなって、しかしてのちこれいれども、またっておよぶことし。


 子朱子ししゅしこれうれうことり。ゆえ両編りょうへんしょ纂輯さんしゅうして、もっ古典こてんけつおぎなう。人君じんくんおしえ天下てんかし、師儒しじゅがく生徒せいとさずくるに、れらをしてはじめておもむところらしめまくほっするは、みなれにらずんばあるべからず、ただ幼學ようがくのみにあらざるなり。


 かつしょおさむるの大法たいほうそなわれり。なお時政じせい榜諭ぼうゆるがごとく、男女だんじょ老少ろうしょう日夕にちせき居常きょじょう省守せいしゅ勧戒かんかいして、えてささおこなわずんばあらざるか。


 まこと天壌てんじょうあいだくべからざるの重典じゅうてんなり。


 往歳おうさい片字へんじ句間くかんちゅうし、しょ子弟していして文義ぶんぎ領略りょうりゃくせしむ。


 かく有りいわく、「朱子しゅししょにおける、ひとをして旬日じゅんじつこうもっこれましむ。ゆえ注解ちゅうかいつくらず。司馬公しばこう書儀しょぎせつって、本文ほんぶんあいはっすべきものこれけるのみ。


 元亨利貞げんきょうりてい仁義礼智じんぎれいちのごときものは、名目めいもくればなり。集解しっかい句読くとうさくおそるらくは朱子しゅしあらず。何為なんすれぞまた屑屑せつせつぜんとしてごとくんしてただ心力しんりょくろうする」、と。


 いわく、「朱子しゅしげん後世こうせいひといまかつ小學しょうがく藝業げいぎょうならわずしてただちにこと大學だいがくしたがわまくほっするものこころむなしうし、退しりぞけ、旬日じゅんじつこうついやして、もっしょましむるのみ。纂輯さんしゅうところは、けだもっぱ一流いちりゅうひとためのみにあらじ、注解ちゅうかいつくらざるも、これらんや。およ篇中へんちゅういずところ経文けいぶん名数めいすう大概たいがい学者がくしゃ平時へいじ口誦こうずするところ義訓ぎくんおのおの本書ほんしょそなわる。


 ゆえ此書このしょ華人かじんっては、すなわかならずしもかいせず、くに語音ごおんことなる。蒙士もうし小生しょうせいかつ訓読くんどくくといえども、すべからく字字じじ師友しゆう問弁もんべんしてしかのちまさりょうすべし。いまこころみにの解をもっこれさずくれば、わずかに章句しょうくつうずるもの詞義しぎってくちのぼる。ゆえひそかにおもえらく、もっすこしくおしえをたすくべし、と。すなわこれ家庭かていそんす」、と。


 かくいまふくせずといえども、しかれどもひとあやまるにいたらざらんことをしんず。ここにおいてかくたうるの篇端へんたんろくして、これじょす。


 元禄三年げんろくさんねん 夏六月なつろくがつ 平安へいあんの仲欽敬甫 しょ



【 付記 】

 この書は中村惕斎先生の『小学示蒙句解』の個人的な訳の試みです。手元に置いておくためのものです。


 『小学示蒙句解』は、『先哲遺著 漢籍國字解全書』に収められており、国会図書館のデジタルデータで公開済みです(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904123)。


 別に『小学』については『小学詳釈』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943215)、なども国会図書館のデジタルデータに保存してあります。


 必要に応じ、原著に当たられたり、別の本を参考されたりしていただければ幸いです。

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