エピローグ

 元天文学研究会の四人で星を見に行くことになった。酷く蒸し暑い晩夏の夜だった。

 大学に入ったことで変わったことが多くある。

 まず、みんなの見た目が分かりやすく派手になった。

 黒川は髪を金色に染めた。あれほどダサかった服も、垢抜けてスタイリッシュにまとまっている。

 倉科はさほど変わらない。ただ、ネイルが星空模様だったり、髪に群青色のインナーカラーを差していたりとユニークさが増している。

 神谷はより洗練されたファッションになっていた。いかにも、な大学生だ。

 僕も少しは変わった。ピアスの穴を結局開けた。耳から重みが伝わってくる。

 見た目は変わったけれど、中身が変わったのかと言われたら、そんなことは無いのだと思う。

 制限が無くなったり、お金に余裕が出来たりしたから始めた。それだけだったのだろう。

 制約がなくなることは大人の特権の一つだ。

 四人でテントや望遠鏡の設営を進めながら話す。

 近況報告から始まり、バイトでのエピソードや大学での勉強の話など、話題には事欠かない。

 途中、晩御飯の調達の為に、二人ずつに分かれることになった。じゃんけんの結果、僕と神谷が引き続き望遠鏡の設置をすることになった。

 さっきの流れを引き継いで、場の雰囲気は明るい。

「星空、見られそうで良かったね」

「そうだな。前、曇りの時もあったし」

 年に数回しか会えないのだから、その時くらいは晴れて欲しい。今日は少し暑すぎるが。

 暫くの間、沈黙が流れた。この沈黙ももはや懐かしい。大学生になると、友人との交流は会話ばかりのことが多い。

 だが、この空気感が嫌だとは微塵も感じない。

 彼女はそこを許容してくれている。

 はずだ。


 程なくして、再び話を振られる。

「そういえば、文弥は大人っぽさについて、何か分かったの?」

 突然振られた話題に、目を白黒させる。

「ほら、萌とか優斗と話してたこと。文弥は大人っぽいのか~、みたいな」

 そのことを神谷に話した覚えはない。

「二人から聞いたの?」

「うん。共通の知人は話題に出やすいからね」

 結局、今でも大人らしさはよくわかっていない。

 回答期限が無いから、ひたすら後回しにしている。

「多分、僕は大人っぽくないんだろうっていうことしか分かってない」

 その言葉を聞いて、神谷が嘆息を漏らした。

「そっか」

 神谷は作業の手を止め、僕のすぐ横に座り込む。

 彼女の動きを流し目で追いながら、問いを投げかけた。

「神谷は自分自身のことを大人っぽいと思う?」

 その問いを聞いて、神谷の表情が変わった。驚いたような、神谷がしているのを見たことがないものだった。

「分からないけど、文弥よりは大人っぽい自信がある」

 なんだか気に食わない答えだ。

 僕と比べるな。

 そう言いたい気持ちを抑えて、僕は問う。

「どこらへんが?」

 またも沈黙が続いた。僕は辛抱強く粘る。

 うっすらと風が吹いて、あたりのすすき野が揺れた。三日月が僕らを照らしている。

 横顔が良く見える。雰囲気に呑まれそうになる。だが、彼女の答えを聞きたかった。

 しかし、彼女は答えをはぐらかした。

「いつまでも、こうしていられたら良いのにね」

 混乱した。

 話を逸らすなよ。と言いたくなる。

 いくつもの感情が湧きあがった。そのうちの一つが色濃く脳内に染み渡る。それに従って、僕は反駁した。

「それは無理だ」

 まるで言い聞かせるようだった。

「僕らは大人になる。大学の授業に出なきゃいけないし、バイトもしなきゃいけない。もしかしたら、大学院に行くかもしれないし、そのうち、どこかの会社で働く必要もある」

 分かってる。

 この時だけはその錯覚すらも肯定出来た。根拠の無い自信にすがることが出来た。

 きっと、こんなことを聞きたかった訳じゃないのだと。

 でも、彼女も僕の答えをはぐらかしただろ——。

 その意趣返しに、僕はそんな面白味の無い答えを返したのか。

 つまらない人間だとも思う。

 混迷を極めた感情の一つが産声を上げる。

 神谷の反応を伺えと、誰かが囁く。

 顔を上げて、神谷を見つめた。

 僕の言葉に、彼女は笑っていた。目尻が締まった、何かを堪えた笑みだった。


 訊く勇気が在れば良かった。

 一体何だ、その笑みは。と。


 嘘をついてでも——、自分の感情に背いてでも、訂正すればよかったのだろうか。

 だが、彼女が外してくれた箍は、未だ外れたままだ。

 融通の利かない僕の信念は、揺らぐことが無い。



 結局、彼女の明確な解を聞くことは叶わなかった。直後、黒川と倉科が帰ってきたからだ。二人の声に酷く安心している自分がいたことを、今でも鮮明に覚えている。

 設営が終わり切っていないことに文句を垂らしながらも、手伝ってくれた。

 天体観測は滞りなく進行する。

 三日月はさほど輝かず、綺麗な星空を観測できた。


 テントに入り、就寝となる。

 このあと、きっと本来は夜を徹して話すのだろう。みんなそのつもりで準備をしてきていた。

 しかし、僕は気が乗らなかった。

「疲れが出たから先寝る。寝たらうるさくして良いよ」

 とだけ言い残して、さっさと寝袋に潜り込んでしまった。

 神谷の言う、『優しさ』の意味を考えた。

 神谷が話をはぐらかした理由を考えた。

 神谷の笑みの意味を考えた。

 

 その日のうちに答えは出ないのだろうと勘付きながらも。

 思考を止める理由を知らなかった。


 けれど、結局こうだ。

 疲れが僕を蝕み、思考することを止めたくなる時がいつも来る。

 僕はいつもその時に、考えることを止めるんだ。

 再び考え始めるのはいつになるのだろう。


 滅多に浸らない感傷を抱きながら。

 その解を導き出すことを保留して、僕は眠りに落ちた。



  ◆ ◇ ◇


「文弥、もう寝た?」

 神谷が黒川に尋ねる。黒川が文弥の顔を覗き込んだ。

「寝てる。一度寝たら、中々目を覚まさないって言ってたから、多分騒いでも大丈夫」

 その言葉に頷いてから、神谷が続ける。

「文弥さ、まだ、大人らしさに拘っているみたい」

 神谷の言葉に二人は別々の表情を浮かべる。黒川は呆れ、倉科は驚いたようだった。

「文弥くんは何と言っていたのですか?」

「私の方が大人っぽいって言ったんだけど、どこが大人っぽいかを訊かれてさ」

 神谷がほの暗い表情を浮かべる。

 多くの人が、何かを諦めるときに浮かべる表情だ。

「教えても良かったんだよ。だって、文弥は大人になりたがっているから」

「じゃあ、教えなかったのか?」

 黒川の言葉に神谷は頷いた。

「自分に嘘をついてまで、自分を失ってまで、大人になって欲しくないでしょ?」

 その言葉は、いつにも増して、重苦しいものだった。



◇ ◆ ◇


 大人になろうとする君へ。

 いつも何かを割り切ることが出来ず、煩悶し続けている君を見ていた。

 そんな君に、伝えたい。

 大人にならなくて良い。


 自分の中で横溢する、細密な感情を抱えて生きていく。それを笑われる時があるだろう。

 抱え続けることを重荷に感じることもあるだろう。


 だけど。

 大人はそれに対する解を、見つけられた人ばかりではない。


 多くの大人は割り切って生きている。

 忙殺され、そういった悩みに決着をつける為の時間を失った人たち。折り合いをつけてしまった人たち。


 私みたいな人。自分自身の割り切れない感情を諦められる人たちが、大人なんだ。


 君は、まだこちら側ではないと思う。

 いつまでも、文弥は文弥のままであれ。



  ◇ ◇ ◆


 もしも彼にこんな言葉を伝えたら、どうだろう。


 文弥に解の一つを与えることが出来るだろう。けれど、伝えたくはなかった。

 大人のカタチを知ってしまったら、彼は大人になってしまいそうだから。




 だから、答えは教えずに。

 大人の狡さを弄して。

 神谷は口を噤むだけだ。




                               終わり

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大人になろうとする君へ 紫 繭 @14845963

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