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 黒川が我が家に来たのは午前十一時だった。

 翌朝、目を覚ました僕は、スマートフォンを開いて、黒川からのメッセージに『いいよ。うちで良い?』と定型通りに返した。

 それから何回か、遊びの予定を組み立てる内容のトークをしてから、黒川が到着した。

母や父と社交辞令の会話を交わし、いつものように僕の自室に足を踏み入れる。

 この光景は、半年ぶりだった。

「来る度に思うけど、やっぱり、自室が有る家はいいよな。やっと一人暮らしが出来るから、まあ、良いけどさ」

 黒川の家には自室が無い。そのため、二人で遊ぶときは大抵僕の家に集まる。

「大学からはアパート?」

「いや、寮。金に余裕がないから」

 なるほど。シビアな問題だ。

「寮は寮で楽しいと思うけどな。友人もすぐできるだろうし」

 当たり障りのないことを言って、会話を流しにかかる。

 黒川が言葉を紡ぐ前に、さらに続けた。

「午後から買い物行こうって言ってたけど、何買いに行くの?」

「大学祝いで金貰ったから、お洒落な服買いたいんだ」

 黒川は嬉しそうだ。これからの様々な期待に、胸を膨らませている。

「大学では色んな地域の人が来るだろ。やっぱ、田舎者だと思われたくねえよな」

「僕さ、ファッションセンス無いけど、大丈夫か?」

 実際、あんまり服に凝った経験が無い。

 大学での第一印象を分ける、身だしなみに気を配りたい気持ちはよくわかる。

 僕も少し考えた。髪を茶髪にしようかな。とか、パーマを当ててみようかな。とか。

 結局何もしないのだろうと思いつつだが。

 結論を先延ばしにする。僕の悪い癖だ。

「一般的な意見を聞きたいから、大丈夫」

「僕の意見が一般的ってこと?」

 その言葉に、彼は頷いた。

「なんていうのかな。センスがぶっ飛んでない」

 そういうことなら、多少は力になれるかもしれない。

「まあ、黒川のしたいようにすれば良い。僕もアドバイスをするけど、最終的に決めるのは黒川だしな」

「ま、お前の評価は大枠で外れることは無いだろうし。そこに関しては、頼りにしてる」

 彼は、きっと、僕にある程度の期待をしているのだろう。期待に応えられるかは、分からない。

 だから、それには応えない。

「とりあえず、行ってみますか」

 またしても、僕は先送りにした。



 ショッピングモールにやってきた。普段外出のしない僕と黒川からしたら、新鮮だ。

 普段は専らゲームをして遊んでいることが多かった。

 これも、高校卒業がきっかけだろうか。

 これからの日常の形として、定着するのだろうか。

 妙に高ぶる気持ちの中、僕と黒川は問答をしていた。

「まず、飯食うだろ」

「うん」

「んで、服見に行くだろ」

「うん」

「その時に、文弥は服を見なくて良いのか?」

 どうなんだろう。僕もお洒落に興じるべきなのだろうか。

「見るだけ見てみるよ。琴線に触れるものがあったら、買う。それよりも、まずは飯じゃない?」

「そうだな」

 僕らはフードコートに足を運んだ。


 黒川と僕でお昼ご飯を食べる。各々の好物を選んでいる。

 僕はラーメン、黒川は某ハンバーガーチェーン店のハンバーガーとポテトのセットだ。

 二人で大学での展望を語る。

 いつかなれると思っていた未来が、存外遠くない位置にあることをひしひしと感じる。

「やっぱり、大学生になったら彼女の一人くらいは作りたいよな」

「高校でもいただろ」

 モテない側の人間として、嫌味を言ってあげる。

「それはそれ。大学に入ったら色々変わるだろ。一番は、親元を離れるから、親の目を気にしなくて良い」

 久しぶりに遊んでいるが、意外と言葉に途切れることが無い。以前と変わらぬ距離感に、底知れぬ安堵を覚えていた。

 受験生活を振り返りながら、僕らは語り合う。買い物前の会話だけで十二分に盛り上がれてしまっていた。

 と、そのとき。

 目が合ってしまった。

 刹那、昨日の光景がフラッシュバックする。

 まただ。また、僕は笑うしかなかった。

 話の内容にそぐわない、歪んだ笑みを浮かべてしまった。

「文弥?どうした?」

 黒川が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「嫌なことを思い出しただけ。気にすんな」

 その答えに、黒川は納得したかは分からない。だが、説明するのも面倒だった。事なきを得れば、それで済む。

 だが、そうはならなかった。

「やっほー。優斗と文弥」

 直後、垣根越しに声が降る。

 聞き覚えのある、透き通った声だ。黒川が振り返った先に、神谷がいた。

 他人の空似であって欲しかった。

 しかもわざわざ絡みに来た。

 黒川が相手をしてくれている。

「美鈴と萌じゃん。二人も買い物?」

 神谷の少し後ろには、倉科萌がいる。彼女も天文学研究会の一人だ。物静かだが、銀縁フレームの奥には大きな天文愛を隠し持っている。奇しくもこの代の天文学研究会が揃ってしまった。

 黒川の言葉に神谷が答える。

「大学行く前に遊んでおかないとね。萌は、結構遠くに行っちゃうし」

 二人も大学に行く前に、ひと時、一緒の時間を過ごすのだろう。

 黒川と神谷が会話をしている間、僕と倉科は黙っていた。別段話すことは無いからだ。

 しばらく話していると、黒川が突拍子の無いことを提案する。

「良かったら、俺らと一緒に買い物しない?」

 正直、気まずい。昨日のことが無かったら、まだ話は違かった。

「私はいいよ」

 神谷は賛成みたいだ。なんだか意外だった。

「文弥と萌は?」

「僕はどっちでも」

 とりあえず、ことを荒立てないことにする。

「私は美鈴に合わせます」

 かくして、僕たちは四人で買い物をする運びとなった。


 まずは、黒川と僕の服を買うみたいだ。女子とこういったことをしたことが無いので、正直緊張する。

 けれど、お洒落な服を買う。という目的自体には女子のチェックを入れるというのはピッタリな気がする。

 黒川の言う『お洒落』が男子向けか、女子向けかによって多少は方向性が変わるが、女子の言う『お洒落』にはハズレ率が低い気がする。

 ショッピングモール内の洋服店の試着室。そこで女子たちに待ってもらって、試着を始めた。僕は一セットだけだが、黒川は三セットほど見てもらうみたいだ。

 僕のセンスは、可もなく不可もなく。という評価を下された。お洒落のセンスが、抜きん出てある訳ではないみたいだ。

 少し悲しい。

 試着を終え、服をたたみながら、神谷と倉科の横に並ぶ。

「一着だけで良かったの?」

 と神谷が問う。

「絶対買わなきゃいけないわけじゃないから」

 進学先の方が良い店があるかもしれない。僕の受験した私立大学は都心にある。

「文弥くんは意外と服のセンスが良くなかったですね」

 倉科が微笑を湛えている。笑顔で毒を吐かれると、多少は傷つく。けど、それが倉科だ。

 もう慣れた。

 昨日のことの方が気になる。だけど、他に人がいる中で、僕は話を切り出すことが出来なかった。

 僕の心中をおくびにも出さず、話は進行する。

「そういう、君らのセンスは有るの?」

「まあ、文弥よりは」

 神谷が得意げにこちらを見た。

 実際、彼女らは私服がよく似合っている。一緒に横を歩くのが、少し申し訳ない。

「良かったら、二人の服を選んであげましょうか?」

 倉科の提案はありがたいものだった。私服に拘りがないため、最低限のお洒落さが有ればいいと思っている。自分自身の似合っている服を把握していない者にとって、服を選ぶというのは、存外苦痛なのだ。

「ありがたいけど、二人の買い物は良いの?何か、用事があったりしない?」

「私と美鈴は一緒に休日を満喫するのが目的でしたから。それに、買い物自体はすぐに終わりますから」

 そう言って、倉科は神谷に同意を求める。

 それに対して、神谷は頷いている。

 黒川の少しダサいファッションを堪能してから、僕らは二手に分かれてコーディネートを始めた。

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