1
高校生活が終わったんだな。と、僕は漠然と感じていた。
一昨日、高校で卒業式があった。小学校、中学校と、卒業を二度も経験していたから、慣れたものではあった。
お偉方の話を聞いて、座席に座っているだけだから、特に苦労することもない。
卒業生の声を代弁するのは元生徒会長の役割であったし、特別優秀な成績を修めていた訳でもないので、表彰されることもない。卒業式は恙なく進行した。
もっと感慨深いと思っていたんだけど。
大学進学に関しても、私大のすべり止めが決まっている僕は、間もなくこの土地を離れることも確定していた。
だから、もう少し寂しく感じると思っていた。けれど、実際はそうじゃないみたいだ。
式典が終わった教室で、クラスメイト同士が泣いて別れを惜しんでいたり、記念とばかりに写真を並んで撮っていたりした。その輪の中に、僕は居なかった。
別に友達がいないとか、そういうわけではない。何も考えなければ、その輪の中に入ることができたと思う。
僕もあんな風に、別れを惜しみたかったのだろうか。
多分、そうじゃない。
涙が必要不可欠な卒業式。そんなものがあったら、酷くおぞましい。
卒業式はかくあるべきだ。そういう、分かりやすいモデルケースが有るのは構わない。
ただ、そうなれない人も一定数いて良いだろうと。
冷めた頭が、そう語っているだけだった。
結局のところ、僕は泣くことができなかった。
それだけだ。
卒業式の余韻が残る中、居心地の悪さを感じていた僕は、帰ることにした。
いつも一緒に帰る友人のクラスがやけに遠く感じる。
もしかしたら、あいつはまだ、クラスメイトとの別れを惜しんでいるかもしれない。
その時は、僕だけで帰ればいいか。
様々な雑念が僕を飲み込もうとする。その度に、解決策を見つけて自分を納得させていた。
友人の教室、二組を覗くと、友人はクラスメイト達と親しげに談笑をしていた。
予定調和。
教室を離れて、教室脇の階段まで移動する。ポケットからスマートフォンを取り出し、友人へとメッセージを送信。
簡潔に一言だけ。
先帰る
あいつとは、これだけで良い。気楽な友人だ。
スマホをポケットに流し込み、階段を降りようとしたとき、背後から声が聞こえた。
「文弥、今日は一人?優斗と帰らないの?」
透き通った声だった。
ゆっくりと振り返る。
「神谷か。黒川、クラスメイト達と楽しく喋ってただろ。わざわざ、それを妨げてまで、一緒に帰りはしない」
その言葉に、彼女は笑う。
「文弥は楽しく喋れなかったの?」
「底意地悪いな。お前」
茶化して、曖昧にして。
「ま、文弥のことだしね。きっと、ああいう感動の押し付けみたいな空気、苦手なんでしょ」
「分かってるなら、聞くなよ」
彼女の言葉に寄りかかって。
「もう、帰るの?」
「学校いても、やること無いしな」
その言葉を聞いて、彼女は再び笑った。今度は小さじ一杯分くらいの柔らかさが加えられている。
「じゃあさ、久しぶりに一緒に帰ろうよ」
一瞬驚いた。
けれど、黙って頷く。
決して、僕の思いが乗らない言葉で。
また感情を上塗りした。
神谷美鈴。中学、高校が同じで、機会があれば喋る程度の仲。友人の黒川優斗と同じクラスで、僕が教室を覗いたのを見ていたみたいだ。
「お前はクラスメイトとか、仲良い奴と帰らなくて良かったのか?」
久しぶりに神谷と並んで歩く。距離感を忘れていないだろうか。ちらりと横顔を伺うと、思案顔を浮かべていた。
「明日とか、遊びに行くもん。だから、今日くらいは文弥と帰ろうかな~、って」
「なんでまた」
「多分、こういう機会が無いと、私たち。話すことってないじゃない?」
その通りだ。特段仲が良い訳でも、悪い訳でもない。
お互いに踏み込まず、一線を引かず。そんな絶妙な距離感を、僕は好いている節がある。
「ま、それはそう。で、話すことある?」
正直、どうやって話していたか、忘れてしまった。二年生の時は、まあまあ頻繁に会話していた気もする。
「そんな言い方ある?折角、話しかけたのに」
確かに、失礼だった。
「言い方が悪かった。僕ら、どんなこと話してたっけ」
思えば、僕は相槌を打ってばかりいた気がする。基本的には話の主導権は、神谷の方にあった。
「いろいろ話してたでしょ。部活同じだったし」
忘れかけていたが、神谷と僕は天文学研究会に所属していた。そのときには、確かによく話していた。
「星とか、また見に行っても良いな。今の季節は、少し寒いけど」
その言葉に、彼女は首肯する。
「大学の夏休みとか、行こうよ。天文のみんなで」
「悪くないな」
一定のリズムと声色で会話が流れる。少しずつ、神谷との会話感を思い出していた。僕らの会話は抑揚が無く、単調な会話だった。
「大学はどこ受けたの?」
「国公立はT大学受けた。正直、受かってるかは半々だな。まあ、落ちても私立のF大学が受かってるから、そっちに行く。神谷は?」
「私はY大学受けてきたよ。十中八九受かってると思うけど……」
他愛のない話だった。お互い、そこそこの仲だと割り切っているから、こういう話も遠慮なくできるのだと思う。
仲が良い友人と、僕は進路の話が出来るだろうか。
勿論、出来はする。人間社会で角が立たないように生きるのは得意だった。
けど、本音をさらけ出せるだろうか。
自分の感情について、飾ることなく語れるだろうか。
多分無理だ。
それは、仲が良ければ良いほど、より難しくなっていく。しかし、さして仲の良くない人とはそもそも、そんな話をしない。だから、その中庸、彼女が丁度良い立ち位置なのだろう。
親友に対して隠し事をし、とても親密とは言えない友人には進路のことを話す。
僕は不誠実な人間かもしれない。
話の内容は流転し、いくつかのトピックスを消化し終えていた。
自宅近くの商店街を通り抜けていると、神谷が言った。
「どこか、カフェにでも入らない?」
「別にいいけど。なんで?」
「なんとなく、もうちょっと話したいから」
悪い気はしなかった。家に帰っても、虚しさとか、侘しさが僕を覆い尽すだけだ。
家で何かしたいことがあるわけでもない。親にも怪訝な顔をされるだろう。
この申し出は、むしろありがたかった。
商店街の一角にあるカフェ。よくあるチェーン店だ。同じような考えの人がいるのか、学生服を着た、高校生らしき人たちも多くいる。
レジ脇のショーケースには小洒落たケーキやラスクなどが並んでいる。買いたい気持ちをぐっとこらえて飲み物だけを買う。こういう店のお菓子は割高だからだ。
レジで会計を済ませ、フラペチーノを受け取る。神谷はロールケーキと期間限定の抹茶フラペチーノを注文していた。
二人掛けの席は丁度良く空いていなかった。やむなく、カウンター席に二人並んで腰かける。
神谷が目をキラキラさせながら写真を撮る。結構拘って、光量を調節しながら、撮影に挑んでいた。いかにも女子高生って感じだ。そのレッテルも今日限りだが。大方、SNSにでも投稿するのだろう。
それを横目にフラペチーノを啜る。苦さと甘さが同居し、控えめに主張しあう。いい味だ。
神谷は撮影が一段落つくと、今度はロールケーキを美味しそうにほおばり始めた。
しばらくの間、沈黙が僕らを覆う。けど、気まずさは感じなかった。
辺りの喧騒が僕らの存在感を薄めてくれている。美味しいものがあるという言い訳が、無言を価値あるものに引き上げてくれている。
フラペチーノの半分ほどを飲み終えたとき、神谷が口を開いた。
「ねえ、喋ってよ」
「え?」
気まずさを感じていなかったのは僕だけだったみたいだ。
「え?じゃなくて、男子なんだから話リードしてよ」
なんか、すまんかった。
「何それ。嫌な会社の上司みたいな話のフリだな」
神谷はそれには答えず、黙ってロールケーキを口に運んでいる。
無言の圧が凄い。
……、何話そう。
「……、夏休み、星見に行くとしたら、どこから見る?」
「山の頂上とかが、いいんじゃない」
……。
「そうだな。山の頂上から見るか」
……。
「うん」
「うん。って」
こんな会話、いつもしてたっけ……。
「他の会話」
「え?」
「他の話のネタは?」
腹立つ。
確かに、いつも会話を転がしていたのは神谷だ。彼女の優しさに甘えていた。それは悪かったと思う。
だが、人にはそれぞれ得意な役割があるだろう。僕は、会話は聞く方が得意なのだ。話題を提起できるほど、ウィットには富んでいない。
「何、天文トークじゃ、不満?」
「別に良いけど、天文学研究会として、話に来たわけじゃないからさー」
注文の多い奴だ。
「神谷の方から話しかけてきただろ。何か話したい事でもあったんじゃないの?」
「たまにはさ、自分自身のことに興味が無い人としゃべりたくならない?」
話の流れは急だった。口を挟むことが憚られる。話の続きを目線で促した。
「私ってさ、結構人気者じゃん」
クラスのカーストの話だろうか。それなら、確かにそうだ。神谷は相手に合わせて自分の立ち振る舞いを調節できる。現に、こうして僕と話しているくらいだ。
「まあ、否定はしないけど。自信満々に言う事か?」
「そこは話の主題じゃないから良いの。でさ、やっぱり、人気者だと、衆目を集めるわけじゃない。いつも仮面を纏っているのって、疲れるし嫌じゃない?」
想像はつく。目立つ分、角を立てないように、いくつもの感情を仮面の下に隠しているのだろう。
「で、興味のなさそうな人間相手と話したいと」
仮面をつけて過ごすことが辛くなったのならば、仮面をつける必要のない誰かと時間を過ごすしかないのだろう。
「そういう事。だから、暇つぶしに付き合ってよ」
ほんとにそれだけなのか。
話したい事がある人にしか、話しかけない。そんな風に生きてきた僕からすれば、よくわからないことだった。
「構わんけど、何話せばいいか、正直分からない」
「じゃあさ、私の悩みを当ててよ」
そう言って、ロールケーキの最後の一片を口に運んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます