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 高校生活が終わったんだな。と、僕は漠然と感じていた。

 一昨日、高校で卒業式があった。小学校、中学校と、卒業を二度も経験していたから、慣れたものではあった。

 お偉方の話を聞いて、座席に座っているだけだから、特に苦労することもない。

 卒業生の声を代弁するのは元生徒会長の役割であったし、特別優秀な成績を修めていた訳でもないので、表彰されることもない。卒業式は恙なく進行した。

 もっと感慨深いと思っていたんだけど。

 大学進学に関しても、私大のすべり止めが決まっている僕は、間もなくこの土地を離れることも確定していた。

 だから、もう少し寂しく感じると思っていた。けれど、実際はそうじゃないみたいだ。

 式典が終わった教室で、クラスメイト同士が泣いて別れを惜しんでいたり、記念とばかりに写真を並んで撮っていたりした。その輪の中に、僕は居なかった。

 別に友達がいないとか、そういうわけではない。何も考えなければ、その輪の中に入ることができたと思う。

 僕もあんな風に、別れを惜しみたかったのだろうか。

 

 多分、そうじゃない。

 涙が必要不可欠な卒業式。そんなものがあったら、酷くおぞましい。

 卒業式はかくあるべきだ。そういう、分かりやすいモデルケースが有るのは構わない。

 ただ、そうなれない人も一定数いて良いだろうと。

 冷めた頭が、そう語っているだけだった。

 結局のところ、僕は泣くことができなかった。

 それだけだ。


 卒業式の余韻が残る中、居心地の悪さを感じていた僕は、帰ることにした。

 いつも一緒に帰る友人のクラスがやけに遠く感じる。

 もしかしたら、あいつはまだ、クラスメイトとの別れを惜しんでいるかもしれない。

 その時は、僕だけで帰ればいいか。

 様々な雑念が僕を飲み込もうとする。その度に、解決策を見つけて自分を納得させていた。

 友人の教室、二組を覗くと、友人はクラスメイト達と親しげに談笑をしていた。

 予定調和。

 教室を離れて、教室脇の階段まで移動する。ポケットからスマートフォンを取り出し、友人へとメッセージを送信。

 簡潔に一言だけ。

 先帰る

 あいつとは、これだけで良い。気楽な友人だ。

 スマホをポケットに流し込み、階段を降りようとしたとき、背後から声が聞こえた。

「文弥、今日は一人?優斗と帰らないの?」

 透き通った声だった。

 ゆっくりと振り返る。

「神谷か。黒川、クラスメイト達と楽しく喋ってただろ。わざわざ、それを妨げてまで、一緒に帰りはしない」

 その言葉に、彼女は笑う。

「文弥は楽しく喋れなかったの?」

「底意地悪いな。お前」

 茶化して、曖昧にして。

「ま、文弥のことだしね。きっと、ああいう感動の押し付けみたいな空気、苦手なんでしょ」

「分かってるなら、聞くなよ」

 彼女の言葉に寄りかかって。

「もう、帰るの?」

「学校いても、やること無いしな」

 その言葉を聞いて、彼女は再び笑った。今度は小さじ一杯分くらいの柔らかさが加えられている。

「じゃあさ、久しぶりに一緒に帰ろうよ」

 一瞬驚いた。

 けれど、黙って頷く。

 決して、僕の思いが乗らない言葉で。

 また感情を上塗りした。



 神谷美鈴。中学、高校が同じで、機会があれば喋る程度の仲。友人の黒川優斗と同じクラスで、僕が教室を覗いたのを見ていたみたいだ。

「お前はクラスメイトとか、仲良い奴と帰らなくて良かったのか?」

 久しぶりに神谷と並んで歩く。距離感を忘れていないだろうか。ちらりと横顔を伺うと、思案顔を浮かべていた。

「明日とか、遊びに行くもん。だから、今日くらいは文弥と帰ろうかな~、って」

「なんでまた」

「多分、こういう機会が無いと、私たち。話すことってないじゃない?」

 その通りだ。特段仲が良い訳でも、悪い訳でもない。

 お互いに踏み込まず、一線を引かず。そんな絶妙な距離感を、僕は好いている節がある。

「ま、それはそう。で、話すことある?」

 正直、どうやって話していたか、忘れてしまった。二年生の時は、まあまあ頻繁に会話していた気もする。

「そんな言い方ある?折角、話しかけたのに」

 確かに、失礼だった。

「言い方が悪かった。僕ら、どんなこと話してたっけ」

 思えば、僕は相槌を打ってばかりいた気がする。基本的には話の主導権は、神谷の方にあった。

「いろいろ話してたでしょ。部活同じだったし」

 忘れかけていたが、神谷と僕は天文学研究会に所属していた。そのときには、確かによく話していた。

「星とか、また見に行っても良いな。今の季節は、少し寒いけど」

 その言葉に、彼女は首肯する。

「大学の夏休みとか、行こうよ。天文のみんなで」

「悪くないな」

 一定のリズムと声色で会話が流れる。少しずつ、神谷との会話感を思い出していた。僕らの会話は抑揚が無く、単調な会話だった。

「大学はどこ受けたの?」

「国公立はT大学受けた。正直、受かってるかは半々だな。まあ、落ちても私立のF大学が受かってるから、そっちに行く。神谷は?」

「私はY大学受けてきたよ。十中八九受かってると思うけど……」

 他愛のない話だった。お互い、そこそこの仲だと割り切っているから、こういう話も遠慮なくできるのだと思う。

 仲が良い友人と、僕は進路の話が出来るだろうか。

 勿論、出来はする。人間社会で角が立たないように生きるのは得意だった。

 けど、本音をさらけ出せるだろうか。

 自分の感情について、飾ることなく語れるだろうか。

 多分無理だ。

 それは、仲が良ければ良いほど、より難しくなっていく。しかし、さして仲の良くない人とはそもそも、そんな話をしない。だから、その中庸、彼女が丁度良い立ち位置なのだろう。

 親友に対して隠し事をし、とても親密とは言えない友人には進路のことを話す。

 僕は不誠実な人間かもしれない。

 話の内容は流転し、いくつかのトピックスを消化し終えていた。

 自宅近くの商店街を通り抜けていると、神谷が言った。

「どこか、カフェにでも入らない?」

「別にいいけど。なんで?」

「なんとなく、もうちょっと話したいから」

 悪い気はしなかった。家に帰っても、虚しさとか、侘しさが僕を覆い尽すだけだ。

 家で何かしたいことがあるわけでもない。親にも怪訝な顔をされるだろう。

 この申し出は、むしろありがたかった。

 商店街の一角にあるカフェ。よくあるチェーン店だ。同じような考えの人がいるのか、学生服を着た、高校生らしき人たちも多くいる。

 レジ脇のショーケースには小洒落たケーキやラスクなどが並んでいる。買いたい気持ちをぐっとこらえて飲み物だけを買う。こういう店のお菓子は割高だからだ。

 レジで会計を済ませ、フラペチーノを受け取る。神谷はロールケーキと期間限定の抹茶フラペチーノを注文していた。

 二人掛けの席は丁度良く空いていなかった。やむなく、カウンター席に二人並んで腰かける。

 神谷が目をキラキラさせながら写真を撮る。結構拘って、光量を調節しながら、撮影に挑んでいた。いかにも女子高生って感じだ。そのレッテルも今日限りだが。大方、SNSにでも投稿するのだろう。

 それを横目にフラペチーノを啜る。苦さと甘さが同居し、控えめに主張しあう。いい味だ。

 神谷は撮影が一段落つくと、今度はロールケーキを美味しそうにほおばり始めた。

 しばらくの間、沈黙が僕らを覆う。けど、気まずさは感じなかった。

 辺りの喧騒が僕らの存在感を薄めてくれている。美味しいものがあるという言い訳が、無言を価値あるものに引き上げてくれている。

 フラペチーノの半分ほどを飲み終えたとき、神谷が口を開いた。

「ねえ、喋ってよ」

「え?」

 気まずさを感じていなかったのは僕だけだったみたいだ。

「え?じゃなくて、男子なんだから話リードしてよ」

 なんか、すまんかった。

「何それ。嫌な会社の上司みたいな話のフリだな」

 神谷はそれには答えず、黙ってロールケーキを口に運んでいる。

 無言の圧が凄い。

 ……、何話そう。

「……、夏休み、星見に行くとしたら、どこから見る?」

「山の頂上とかが、いいんじゃない」

 ……。

「そうだな。山の頂上から見るか」

 ……。

「うん」

「うん。って」

 こんな会話、いつもしてたっけ……。

「他の会話」

「え?」

「他の話のネタは?」

 腹立つ。

 確かに、いつも会話を転がしていたのは神谷だ。彼女の優しさに甘えていた。それは悪かったと思う。

 だが、人にはそれぞれ得意な役割があるだろう。僕は、会話は聞く方が得意なのだ。話題を提起できるほど、ウィットには富んでいない。

「何、天文トークじゃ、不満?」

「別に良いけど、天文学研究会として、話に来たわけじゃないからさー」

 注文の多い奴だ。

「神谷の方から話しかけてきただろ。何か話したい事でもあったんじゃないの?」

「たまにはさ、自分自身のことに興味が無い人としゃべりたくならない?」

 話の流れは急だった。口を挟むことが憚られる。話の続きを目線で促した。

「私ってさ、結構人気者じゃん」

 クラスのカーストの話だろうか。それなら、確かにそうだ。神谷は相手に合わせて自分の立ち振る舞いを調節できる。現に、こうして僕と話しているくらいだ。

「まあ、否定はしないけど。自信満々に言う事か?」

「そこは話の主題じゃないから良いの。でさ、やっぱり、人気者だと、衆目を集めるわけじゃない。いつも仮面を纏っているのって、疲れるし嫌じゃない?」

 想像はつく。目立つ分、角を立てないように、いくつもの感情を仮面の下に隠しているのだろう。

「で、興味のなさそうな人間相手と話したいと」

 仮面をつけて過ごすことが辛くなったのならば、仮面をつける必要のない誰かと時間を過ごすしかないのだろう。

「そういう事。だから、暇つぶしに付き合ってよ」

 ほんとにそれだけなのか。

 話したい事がある人にしか、話しかけない。そんな風に生きてきた僕からすれば、よくわからないことだった。

「構わんけど、何話せばいいか、正直分からない」

「じゃあさ、私の悩みを当ててよ」

 そう言って、ロールケーキの最後の一片を口に運んだ。

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