4-75.紅い絆(後編)

※今回も前回と同様、三人称視点で展開されていきます。



 ポセイドンは元より何も変わっていない。ただ世界の美しさを守りたかっただけだった。

その過程に踊ることがあり、食べることがあり、眠ることがあり。


――その延長線上に、平和があったのだ。


 記憶を操作すること。根っこに蔓延る悪をその根源から断ち切ることで、ポセイドンは現状の不和を何とかできると思ったらしい。

なんて馬鹿馬鹿しい発想だろうか。ゼウスは鼻で笑いそうになるのを必死で堪えた。

研究といっても、多くは精神論、言い換えれば勢いに任せたものだったであろうことを、ゼウスは知らず感じ取った。

人との関わりのなさを想像すると、そこまで成熟した心をもってはいないのかもしれない。

未だ通じ合えない奥底を優しく撫でるような素振りを見せながら、自分なりの解釈との相違を確認する。


「『神様』は元来、他万物からの崇拝、信仰を経て成り立つものであるが、その敬い尊ぶ心が段々と消滅していくと考えていいのか?」


「ん、大体そんな感じだじぇ。儂は尊厳なんいらねぇ。

そんな煩わしいものがあるんなら、それら全部売っ払って美しさを買いたいんだども」


 いつもなら、何か言葉を発する時、怯えたような弱気が見えるものだが、その時ばかりは確固たる決意が見えていた。

その揺らがない思いだけで、ここまで突っ走ってきたのだろう。自らを代償としてでも、止まらなかったのだろう。

ゼウスは打ち震えずにはいられなかった。

ポセイドンの目尻に浮かぶ、小さな雫。たった一欠片の熱と輝きが、無意識のうちにこの言葉を吐かせていた。


「『オリュンポス十二神俺達』にできることはないか?

これはお前を利用したい訳でも、知識を盗み取りたい訳でもない。『今』はただ、純粋にお前の力になりたいんだ」


「…………」


「こうしてお前を見つける前までは、いいように使ってやるぞって息巻いていた。

都合よく使っても、別に過去(これまで)の罪もあるしいいだろってさ」


「…………」


「今日なんか情婦パートナーだぜ?

二柱だけの空間に足を踏み入れられただけでも嫌なのに、果ては記憶の消去? 本当に正気じゃないとしか思えなかった」


「……それはごめんだども」


「いや、いいんだ。全部わかった。

ネムちゃんに接触したのも俺達の意図を汲んで、記憶を消したってことだもんな……。

一柱だけでやるには手に余る。最近、そんな風に思うことはないか?」


「ムネモシュネへの接触はそうだども。けども! い、いや……でもよぉ!」


「でもじゃない! いやと最初に零してしまった以上、もう言い逃れはできないな。

お前は代償を払い過ぎている。きっともう俺達以外の万物は皆、お前を敬う心を忘れてるんじゃないのか?」


「う、うぅ……そんなことぉ……」


「あるんだな。お前は本当にわかりやすい。すぐ顔に出るじゃないか。どうだ、心当たりあるんだろ?」


「へ、へい。最近下界で仕事をしていた時、大蛙が儂を丸のみにしようとしてきたんだども。

前は頭すら下げてきたのにのぉ」


「ほらな。もう一度言う。『オリュンポス十二神俺達』に手伝わせてくれ!

何でもする。代償も何でも一緒に払う。お前は特にだ。特に尊厳を大事にしなくちゃならないしな」


「んん、それはなして……?」


「決まってる。下界の汚れ仕事を全うしなければならないからだよ。

尊厳がなければ、おちおち働いてもいられなくなるぞ。他万物はお前のことに歯向かってくるだろうしさ……。

実はな、いつも皆、お前に感謝してるんだ。今日は代表してお礼でも言わせてくれ。

――いつもありがとうな、ポセイドン‼」


「うぅ。こちらこそだじぇ。頼んでもいいかのぉ? 研究の続きをよ」


「任せておけよ、兄弟」


 ――そこから『オリュンポス十二神』は心血滴る日々を駆け抜け、試行錯誤に試行錯誤を重ねた結果、ようやく紅い光の完成にまで漕ぎ付けた。

紅い光は万物の記憶操作を可能とし、遠距離射出を実現したことでムネモシュネの記憶を奪った時のように接近する必要もなくなった。

その時にあった記憶を丸ごと消去するのは勿論のこと、存在し得ない記憶と元あった記憶とを取り替えることもできるように改良された。

 それまで絡みのなかった面々との関わりを経て、ポセイドンにも、そして他の『オリュンポス十二神』にも、仲間の絆が芽生えていった。

ポセイドンとのこの一件があったからこそ、『今』の『オリュンポス十二神』があると言っても過言ではなかった。

 ここまでの一連の流れが、現在は『オリュンポス十二神』全員で行うことが基本となった『紅光ウィクトル』創造の秘話である。

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