4-74.紅い絆(中編)

※今回も前回と同様、三人称視点で展開されていきます。



 衝撃の邂逅を経て、ゼウスとムネモシュネは二柱が話していた空間にまでポセイドンを連れていった。

ここには二柱しかいなかった筈だ。二柱で過ごすことを、誰かに話したという記憶もない。

ポセイドンならばこの空間に侵入することは容易にできるだろうが、一体何を狙っていたのか。

客観的に見るポセイドンの行動は、正に最低そのもの。他神の情婦パートナーのお花摘みを覗き見し、剰え手も加えようとしていたとしか見えないのだから。

それも世界における最高権力者かつ実兄弟のお相手に対してだ。

これで怒らないというのも無理な話だろう。


「さて、言い訳を聞かせてもらおうか。

どうしてここに来たのか、どうしてネムちゃんを狙ったのか」


 生半可な『答え』では許されない圧迫感があった。

ギロリと光らせる目は、ポセイドンを掴んで離さない。

情状酌量の余地が見出せるまでは、決して帰らせないという強い意志を感じさせた。

いつかの日と同様に、服装を一段階濃くしながら、ポセイドンはおずおずと話し始めた。


「別に、ムネモシュネを貶めようとした訳じゃないんだども。ただ……」


「ただ?」


「……ただ。いや、ちょっと待ってほしいんだども。

ゼウス、お前と二柱で話がしたいじぇ。いいかのぉ?」


「それはなぜ? 当事者には何も聞かせないってのか⁉」


だじぇ……!」


 有無も言わせぬ緊張感が、二柱の視線の交錯に宿った。

それ以上の会話は不要だった。言葉以上に伝わる意志が、首を静かに縦に振らせた。

すっくと立ち上がったゼウスに手招きされ、ひょこひょこと付いていくポセイドン。

その犬のような仕草に、当のムネモシュネが笑っていたのは永久の秘密である。

ふと振り返り、偶然見かけた至上神だけのお宝となった。


 ゼウスに与えられた個部屋。

そこは誰よりも広く設計され尚且つ隅々にまで工夫の行き届いた、ヘファイストス渾身の出来といえた。

普通に過ごすだけでも充実しているが、ここの凄みはまた別にある。

それは何と言っても隠し部屋の多いことだ。基本的に各『神様』に割り当てられた部屋には、隠された部屋が存在する。

だが、殊このゼウスに関しては、その他の『オリュンポス十二神』とは一線を画する隠し部屋の数になっているのだ。

視覚を遮断し、他神の発見を不可能にする部屋を筆頭に、ありとあらゆる場所に技巧の凝らされた秘密の部屋が組み込まれているのだ。

この理由は、ゼウスが恋多き『神様』であるにも関わらず、恐妻と名高い女神を正妻にもっているからに他ならない。

実際に世界の手綱を握っていたのは、正妻だったのかもしれない。そう思わせるほどにゼウスの疑心は、晴れることはなかった。


「特にネムちゃんに外傷はないように思えたが、何をしたんだ、ポセイドン。

お前らしくないじゃないか」


「ん、んんとぉ……何というかのぉ」


「……あぁっと! 俺からもちょっと聞いていいか?」


「ん? 何だじぇ?」


「それだよ、それ。ずっと気になってたんだよ」


「それ……?」


「その口調のことだ。子供の時は筈だよな?

どうしていきなりそんな風に?」


「んん、そうだじぇ。話していなかったんだども。

儂、ずっと研究していたじぇ。――記憶操作の研究を」


「はぁ?」


 理解できないのも無理はなかった。

ポセイドンは重度の人見知りであり、本来こういった一対一サシでの会話すら珍しいのだ。

会話をしなければならないという用があればその限りではないが、通常自ら情報を発信していくことはないに等しい。

語らないからこそ、惹き込まれる。無言で事をなすからこそ、余計な雑念なく神々からの尊敬を集めていたのだ。


 それ程までに自己発信がないとなると、幾らゼウスであっても情報を知り得る手段はあまりなかった。

無理に話すこともできるが、そもそもポセイドン自体、いつも同じ場所にいることはなく、定期的な会話も不可能に近いのだ。

進退両難とでもいうべきか。どっちにしろ、ポセイドンについては、心という名の難攻不落の砦のせいで、わからないことだらけだったのだ。


「風の噂で聞いたじぇ。戦後処理のために、記憶操作の研究をしているってことをのぉ。

儂、ずっと前からしてきてたしよ、これは良い機会だと思ったんだども」


「で、でも、それが口調と何の関係がある?

全くつながっているようには思えないが……」


「あぁ、そういうんねぇ。簡単に言うとよ、こら代償なんだども」


「代償?」


「そう、代償じぇ。研究を始めた当時は何ともなかったんだども。

でも、ゆっくりと確実に、この口調の影が見えてきたじぇ」


「勝手に研究をしていたら、そうなっていたと」


「へい」


 ゼウスは俄かに信じ難いという風に、首を頻りに傾げている。

納得いかない様子を察したのか、ポセイドンは手をわちゃわちゃ動かしながら言葉を並べ出した。


「んー、何と言おうかのぉ。さっき、紅い光を発していたじぇ。

あの光が出るようになってから、口調に変化が見え始めたんだども。

もう予測がついてるだろうが、あの光によって記憶を消して回っていたんだじぇ」


「おい、それ本気かよ。つまりは、ここ一連の騒動の犯人はお前だったのか、ポセイドン」


「は、犯人⁉」


「あぁ、最近『オリュンポス十二神俺達』はその話題で持ち切りになってたんだ。

大戦の負の歴史を隠蔽しようとしてた手前、その犯人には協力を仰ぎたいってさ」


 幾ら研究しても辿り着けない俺達は、犯人捜しをしながらもずっと考え続けていた。

当の犯人に協力を仰げば、利害さえ一致してしまえば、後はどうとでもなる、と。

そんな下衆ゲスな考えの元、遂に見つけた張本人。こうなれば、頼むまでとそう思っていたのだが――。


「でも、その紅い光を出すには、変な口調になるという代償がいると、そう言われてしまった訳だ」


「いや、代償の本分は恐らく口調だけの問題じゃないじぇ」


「口調じゃないなら、一体何なんだ?」


「――『だども」


「お前、言っている意味わかってんのか? そんな抽象的な事象をどう処理しろと」


「言っている意味はよく理解してるじぇ。何もおかしくなった訳でもないんだども。

一言で言うならば、他万物から軒並みに信仰されなくなっていくんだじぇ」


 ゼウスの脳は『今』にも爆発しそうだった。

いつしかムネモシュネのことさえ忘れているがごとくに、高速で進んでいった議論。

行き着く真相は、他万物からの尊厳を代償として、記憶操作を見込むことができるというものだった。

一体何を言っているのだろうか。顔を見ていてもわかる訳ないのに、ゼウスはポセイドンの顔を見つめるしかなかった。

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