4-72.初めての革命

※今回も前回と同様、三人称視点で展開されていきます。



 ――長きに渡って続いた大戦も末期、変わらず静観の構えを見せていたポセイドンの元に、ある『神様』も訪れていた。

光明の神アポロン。当時から詩歌や音楽、絵画などの芸術の名手として、多くの『神様』から賞賛を受ける存在だった彼は、ポセイドンに言伝を届ける大事な責務を任されていた。

向かう道程に『神様』はおれど、アポロンは何の武器も持ち合わせていない。

後方からの攻撃を微塵も警戒しているように見せない姿から、その余裕ぶりが窺えた。


「アポロン、主は……」


「ゼウスに代わって、あることを伝えに来たんすよ」


 自然に編み出される会話の発端。大戦中期では考えられなかった光景だった。

ポセイドンに戦争をどうこうする気はなくとも、不確定な何かに期待をもてるようになった。

その兆候を呼んだ『目的』の宣言が、ポセイドンに深く刺さったことがよくわかる。


「何え」


「それは言うまでもなく、戦争が終わることについて」


「言ってるじぇ」


「確かにそうっすね、フフッ」


 ポセイドンは平和を愛し、血を流し流される時間を世界一無駄だと思っている。

どうせなら、好きなように踊って好きなように食べて、好きなように眠る方がいい。

不当な不幸が生まれれば、それを拭うようにまた新たな不幸が顔を出す。

救うようで、救えていない。良くなったようで、結局悪化している。

そんな運命を辿るなら、最初から不当な不幸を消してしまえばいい。


 それらは、小さな軋轢の中に静かに息づく。心をもち熱が宿って、知らぬ間に当事者達を殺していくのだ。

だから、ポセイドンは少しの機微でさえ好転に傾いていくことを望む。


――その一環にあるのがおふざけだった。


 上手にできないことも多いが、試行錯誤している様を愛でている層も一定数いた。

当のアポロンも、ポセイドンのこういった一面を好いており、その反応に笑顔の花を咲かせていた。


「……こういう役目はヘルメスがやるんでねぇの」


「あぁ、まぁ普通はそうなんすけど、ちょっと『今』立て込んでて」


「無理もないかのぉ。ゼウスの尻拭いとでも言えるじぇね。

あんなに扱き使われている輩、他におらんよ」


「間違いないっすね……」


 ポセイドンはただ言葉を待っていた。アポロンを値踏みするような目で、じっと見つめている。

どこか引き攣った頬を晒したまま、アポロンは暫し何も言えなくなった。

ここは辺境であるため、他に音を出す『神様』もいない。視線だけが交錯して、妙な空気に『支配』される二柱。

蟀谷の辺りを搔き始めたポセイドンは、アポロンが何を求めているのかを未だ察せていない。

アポロンからしても、一度空白が生まれれば上手く息ができなくなってくる。

そこら辺にいる女神や女とは訳が違う。

相手はポセイドン。『オリュンポス十二神』の中でも、最強格に位置づけられる実力者なのだ。

顔中をうっすらと覆う汗に、どこからともなく風が吹く。その冷たさが痛かった。


「ん、んんとよぉ」


 先に折れたのはポセイドンの方だった。

胸の内にある砦は固く、荘厳な出で立ちをしている。

だが、殊対他生物においては、その牙城も案外崩れやすい。

ポセイドンは、どこまでも気にしてしまうのだ。

数多の生物を見てきたからこそ、嫌な面まで見通してしまうことが連発した。

何度も失敗を重ね、その度に傷を負い、どんどん他生物を考えないようになっていった。

考え過ぎれば過ぎるほど、土壺に嵌まる。

自己防衛の手段として、極力他生物を立てるように、気まずいを演出しないようにを心掛けていたのだ。


 切り出した以上、何かを発見する必要がある。所謂、話の種トークデッキの用意である。

必死に視線を巡らせ、何かないかと当てを探す。

そうして、ようやく発見した物が、両者にとっての革命となるのだった。


「……そ、そこん見える本みてぇなの何だじぇ?」


 見ると、尻の辺りに何か四角い物が飛び出していた。

普通に服装の話をしても良かったが、どうしてかその四角い物が選ばれた。

きっと聞かれることを予測していなかったのだろう。あたふたしながら、差し出してきたのは本そのもの。

ずっと使っているらしく、四隅はかなり削れていた。それでも、大事にしているのが伝わってきた。

ページはぎっしりと詰まったままで、何度も何度も開いたあとが確認できたから。


「本だども」


「オレっちの全部を注いで書いてるんすよ。この大戦のことも全て、包み隠さず」


「ちと読ませてくれんか」


「…………」


 無言で差し出される本を両手で受け取る。

未だ立ったままだったことを思い出し、アポロンに座らせてから自らも腰を下ろす。

そこから一ページページ、びっしりと書かれた文章を読み込み始めた。

アポロンは地面に目線を落として、両手を握り続けていた。


 やがて、パタリと本の閉じられる音が響く。バッと顔を上げたアポロンは、ポセイドンの言葉を待った。

女神や女にせがまれて読ませてあげたことはあったけれど、全編を通して読んでくれたことは一度もなかった。

初めての読破者が、目の前で口を開こうとしている。そんな状況下で、興奮しない方が無理がある。

ポセイドンは一言。これだけを言って、本をアポロンに返すのだった。


「――これ儂、大好きだども」


 本を返してもらったアポロンは、簡単な挨拶だけを残して、さっさと立ち上がった。

後ろに振り向き、ゆっくりとした足取りで帰っていく。

 ポセイドンにはしっかり見えていた。肩が時折飛び跳ねながら、本を抱き締めているアポロンの姿が。

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