4-21.当たり前は、誰であろうと決めつけることはできない

※今回も前回と同様、エク視点から展開されていきます。



 ――静けさには、重みがあった。空気が苦かった。

当たり前は、誰であろうと決めつけることはできない。

だから、容易に運命は黒く沈み、人を人でなくさせる。

誰も彼も、この世界に住まう万物は、何らかの柵に呪われていた。

それは、ある意味祝福で、それはある意味嫌味のようでもあった。

逃れられないから、器用に生きられないから、真正面から受け止めて、潰れて死んでいく。

『今』もどこかで、この連鎖は進んでいる。

一人かもしれないし、二人かもしれない。

もしかしたら、何万もの人、いや生物が苦しみ続けているのかもしれない。

考えるだけで吐き気を催す。でも、これこそが、紛うことなき現実のかたちだった。


 目の前に立つ一人も、その実例と言えるだろう。

お母様、ルビー・ラスター・シセル。元シセル家の人間で、『今』は何をしているか分からない。

なぜかリーネアというみのを被って、僕の前に姿を見せてきた。

何を語るかと思えば、それはそれは、最低で、最適な、お母様の『答え』だった。


 もういっそのこと、耳が腐っていたら良かったのに。

だって、そうすれば、聞きたくないことを聞かないで済むじゃないか。

それって本当に素晴らしいことだ。

そのこと一つだけで、毎日を笑顔一杯で過ごすことができるかもしれないのだから。


 でも、聞きたくなくても、聞くべきことがあると知った。

それは、僕の過去これまでが物語っていた。

僕は、多くの大切な事柄を知らずに生きてきた。

それは間違いなく聞くべきことで、求めなかったから、見ようともしなかったから、知ることができていなかった情報だった。


 未来これからは違う。まずは見極めたい。

僕を飛び出た世界を見てみたい。

とりあえず一つ、理解した。

お母様を少しすることができた。

初めにしては、あまりに息苦しく、飲み込みづらいものだった。

喉につっかえて、窒息する危険性すらあった。

でも、『神種ぼく』の歩んできた道を鑑みれば、どうってことはない。

受け入れることの訓練カリキュラムとしては、申し分のない壁だった。


 さて、もう随分と堪能した。『答え』には、まだ続きがある筈だ。

僕がまとめられるほど立派でないことを、お母様は知らないかもしれない。

……まぁ、お母様の僕への理解度など関係ない。

『今』一番意識すべきは、周囲への興味を怠らないこと。

つまりは、お母様の動きに敏感になることだ。

ただひたすらに、僕は時が来るのを待っていた。


 やがて一定のかたちを保っていた口が、水を得た魚のように動き始めた。

この時を待っていたんだ。救われるような思いだった。


「ごめんなさい。とっても暗い話をしてしまって……。

反応しづらかったね」


 すぐには返答できなかった。

お母様はきっと僕からの言葉を待っていたのに、口ごもる自分が情けなかった。

これまでの経験がモノを言っている。

向き合ってこなかったことへの弊害は、こんなことにも作用するのか。

僕には、お母様に何と声を掛ければいいのか、皆目見当もつかなかった。


 焦りが顔に出ていたのであろう。

僕の反応を見て、乾いた笑みを浮かべるお母様。

その顔に、心臓を刃物で抉り取られるような痛みを覚えた。

何だこれ……。感じたことのない痛み。

その言葉を聞き、その表情を見ただけなのに。

これが、知るということか。

これが話すということか。


――これが生きるということか。


 僕の中で、完成していく図式があった。

それはあまりに滑稽で、幼いものであったと思う。

他者との関わりの中に見た、心の機微。

嬉しいや、悲しい。楽しいや、苦しい。

感情は豊かに時間を彩ってくれる。

切り捨ててきたこと、もう望めないと思っていたことだった。

 知らず、緩んでいた頬があったのか、お母様は若干引き気味で、言葉を続ける。


「え、えーと。そ、そうだな……。

あ、アタシ、流石に魔法を自在に使えるようになったんだ。

だから、もう忌み嫌われることもないかなって。

そう決心がついたから、ここに帰ってくることにしたんだけど……ね」


 最後に含みがあるような気がして、気持ち悪い顔を払拭するように、口を挟む。


「……だけど、ね?」


「あははー。なんていうか、その、死んじゃったんだってね。

もう王国のこと、人伝でも何でも遮断してたから知らなくってさ~なんて! あははははは」


 うっわ、どうしよう。身体中の汗腺という汗腺から、止めどなく変な汗が流れてくる。

やっぱり聞かれてたんだ。これには、何と答えていいのやら、対人関係云々の話の前に、答え難い。

うんうんと悩んでいた。だが、これに答えられるのは、僕しかいない。

そう気持ちを整理して、真実を話すことにした。


「初めに言っておく。僕は、世間一般で言う、馬鹿に分類される人間だ。

なんて、矢印の関係でつなぐのはいけないことだが、そうつないでしまうことも許してほしい」


 この前提がないと、端から理解されないであろう僕の理論が、更に理解されなくなってしまう。

この言葉を受け、吐息すら漏らさずにお母様は頷く素振りを見せた。

その様を確認してから、僕は一つ呼吸を置いて、本題へと入っていった。


「僕の世界には、英雄は一人だけだった。

お母様がたった一度読んでくれた、あの冒険譚にはそう記されていたからだ。

あれ……あの時は、何枚もの布越しに読んでくれたんだっけ……」


 お母様との記憶は、このたった一回。

でも、この一度が鮮烈に残っていた。

そうか、一応は向き合おうとしてくれていたんだ。

内容ばかりが頭に刻み込まれて、誰が読んでいたかが曖昧になっていた。

ようやく親が親として……。


「あーそれは、貴方達の乳母が読んでくれたものでしょうね。

声が似ているからと選出されたの。

それがアタシだと思ってたなら、ほんとにごめんなさい」


「……あー、そうだったんだ」


 何か期待した僕を殴り飛ばしてやりたい。

ずっと勘違いしていた。その勘違いが続いていれば良かった。

聞かなくてもいい話も、聞く意思をもち続ければ聞くこともあるということだ。

いつ、どこで、必要な話を聞けるかはわからない。

だからこそ、耳は常に傾けておく必要があるのだ。

また、一つ。学びは一回り大きくなった。


「ゴホン!」


 仕切り直すように咳払いをする。

大事であることに変わりはない。

それでも、騒ぎ立てられて、僕は僕を、こんなところで終わらせたくない。

落ち着いて聞いていてほしい。

――それが、それだけが、『今』の僕の、最大にして唯一の願いだった。


「僕ながら、悲惨な脳みそだった。英雄が一人しか描かれていなかった。

だから、この世界にもし英雄が一人いるとするならば、僕が英雄になるときにはその元からいた一人を殺す必要がある。

そう結論付けた僕は、すぐさま行動に移し――お父様を殺したんだ」


 理解される訳がない。理解されたくもない。

『今』の僕にはわかる。これは、間違っていた行為だった。

お母様の顔を目の当たりにして、僕の過ちに気が付いた。

あまりに遅い、納得だった。

ものは一面では捉えられない。

当たり前は、誰であろうと決めつけることはできない。だから――。


「……そっか! エクも生きていたんだね」


「え」


 お母様の言葉は、宙に浮いて、掴めなかった。


――生きていた。


 その裏にある意味が、まるでわからなくて、僕は頻りに右手で後頭部を搔いていた。

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