4-12.人は一つに定義できない(後編)
イノーさんは自信に満ち溢れているようだった。
胸を張り、期待の眼差しを一身に受けている。
全てを理解した。その言葉がよく似合う面構えだった。
「俺は『今』も昔も一人じゃないすか。
俺という存在が、何人もいる訳ないっつーか……」
「それは、物理の話だろう? ザビ少年。
ワシが言っているのは、感情や心理の話だ。
そうだな、
「何言ってるのかよくわからねぇ」
俺の発言を受け、イノーさんは一つ溜め息を吐く。
すまんな。理解力がなくて。
言葉にしない謝罪を心の中で繰り返した。
「……ワシは、説明を受けている最中、二人の真実を覗かせてもらった」
「やっぱりな!」
「で、わかったんだ」
「…………」
間髪を入れずに届く答え合わせに、俺は強制的に黙らされる。
無粋な返答は毒だ。直感が、口を間一文字に引き結ばせてきた。
「そう――ザビ少年、改めへイリア隊員の身体には、現在三つの人格が別々の思考をしていることを。
そして、その事実を、ロビ隊員は伝えられていなかったということを、見通して知った」
「え! それは本当なのですか、お兄様?」
「じ、実はそうなんだ。
あのスビドーでの戦いが終わってから、夜中に意識がつながっちまうことが多くて……」
「……あー、だから、
「ほほう、ロビ隊員は鋭いな! そう、だから
「あれ。何か俺だけ仲間外れ?」
「ノッホッホ! これは君の発言だったんだろ?」
「……あぁ、あの
「ノホッ! まぁ、なんでもいいさ……」
どうやらロビは、俺の身に起こっていることを知らなかったらしい。
あの反応は驚きの感情以外の何物でもないだろう。
イノーさんが言う機会を与えてくれたってところか。
どっちみち言うつもりではあったが、ありがたがっておこう。
イノーさんのご厚意だ。
それはそうと、三つの人格の件は、イノーさんにとっても初めて知る情報だった筈だ。
その解決策をいとも簡単に考え付くとは、流石はイノーさんと言ったところだろうか。
……一体俺はどうすればいい。
イノーさんの言葉には、なんだかんだ救われてきた気がする。
一度は足元を掬われたこともあるが、それももう遥か昔の記憶だ。
さぁ、教えてもらおうか。もう裏切らないと知っている、『
「ともかくだ。ザビ少年は『今』、三つの人格で一つの身体を取り合っているような状況にある」
「……あの、お兄様、その衝突が起こるのは夜中だけなのですか?」
「あぁ、ここ三日間はそんな感じだ。日中に三人が一堂に会すことはなかった」
「では、目先の目標としては、その夜中を乗り切れるようにすればよいと」
「まぁ、そうなるな」
「わかりました。すみません、話の腰を折るようなかたちになってしまって」
「いいや、構わんよ、ロビ隊員。状況の確認は大事なことだ。
……さて、本題に入るが、結論から言おう。
他の二人には申し訳ないが、ザビ少年が主導権を握っている以上、この身体の所有者はザビ少年になっていると言って差し支えない。
故に、三人は三人として思想をぶつけ合うのではなく、一人の人間として三面性の顔となってみたらどうだろうか?」
「三面性の顔?」
「一人の人間ということは、三人をそれぞれの名前でなく、ザビと呼んでみてはどうかという話でしょうか?」
「いやぁ、参った! ロビ隊員は本当に切れ者だな。
ここまでの人生、色々なことがあったとは思うが、これからはザビ少年の一つの人格として振舞うようにしてみては、と提案しているのさ。
どうだ、ザビ少年?」
「…………人は一つに定義できない、か。なるほどな。
俺は了承できるが、アイツらがどうかが一番の問題だ。
そこを解決できないことには……」
そう、最初から壁は決まっていた。俺自体に何の問題もなかった。
俺は生き長らえることができた。他の人の身体であろうが、俺の思考が難なく反映されたのだ。
でも、彼らは違った。俺の手綱を振り解くことができなかった。
へイリアさんが一番の被害者だ。自分の身体を奪われて、更には幸せな結婚生活も消えてしまうことになったのだから。
これから幸せが訪れる筈だった。お互いにとっての笑顔溢れる時間は、永遠に封印されてしまった。
そうか、俺――アナを絶望に貶めたんだ。
自分のことばかりで気付きもしなかった。
ずっと自由がなかった彼女の人生に、一輪の花を添えたのがへイリアさんであったと聞いた。
結婚式で見せていた表情を思い出す。
皆には隠していたが、裏で沢山泣いてきたのがわかった。
へイリアさんが、あまりの嬉しさに号泣するアナの背中を何度も擦り、何度も抱き締めてあげていたことが、二人の様子からひしひしと感じ取れた。
へイリアさんの服には化粧の跡がついていた。
そう、二人の関係を終わらせたのは俺だ。
エラーを終わらせたのも俺だ。
この王都、並びにスビドー王国を終わらせたのも俺だ。
待ってくれ。俺は成し遂げたようで、何も為せていなかったんじゃないか。
奪って、殺して、壊して――。
何が英雄だ。自惚れるな。
何が鎮魂だ。ただの殺害じゃないか。
何が、何が、何が、何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が――――何が、俺を認められないだ。
当たり前じゃないか。こんな自分に、何の価値がある。
その時、頭の奥から微かに人の声が聞こえてきた。
――ザー、聞こえるカナ?
――よう、ザビ。僕達はお前の声を聞いていたよ。
――オズ、へイリアさん……? な、何を言いに来たんだよ!
何もない空っぽな俺を、罵りにでも来たのかよッ!
罵倒なら、いくらでも受ける。俺はそういう人間だからなッッッ!
――お前こそ、自惚れるなよ、ザビ! 何が何も為せていないだ!
何もない空っぽな自分だ! 笑わせるな!
――え?
――そうだヨ、ザー。ザーはこれまで沢山のことをしてきたじゃないノ!
それはもう、何度感謝してきたかわからないくらいだヨ。
ザーは真っ直ぐで、全力で、そして、いつでも逃げなかったサ!
――僕達の方がどうかしてたのかもしれない。お前がここまで思い悩んでいたなんて……。
でも、一つだけ許せないことがある!
お前、父さんの鎮魂を殺害だって言ったな!
僕達は、父さんになんて言われてお別れをしたんだ!
『自慢の弟子の手で、未来を紡ぐ大きな手で殺してくれ!』。こう言って、
僕達のは殺害じゃない!
弟子と思いっきりぶつかって、熱く激しく終わりを迎えたい! 父さんらしいじゃないか!
滾る思いの結晶が、そこにあった。
溶け切らない氷に、トドメが刺されていくようだ。
俺は静かに、自分を語り始めた。
――……何もかもが、怖くなっていた。全部が否定しているように見えた。
あれでもない、これでもない。じゃあ、本当の俺はどれだっけ?
そう考えたら、全部が虚しく、そしてどうしようもなく空っぽに感じた。だから――。
――でも。
否定。俺を打ち切った。
――ザビには。
肯定。俺が生まれ始めた。
――そう、ザーには。
激励。俺が一歩歩いてみせた。
――私達がいる! ――僕達がいる!
証明。俺が笑顔を見せた。
――…………。
無言。死人に口はなかった。
――こんな助けてもらってばかりな私でも。
哀願。憂いのこもった愛だった。
――こんなどうしようもなく独善的で、まだヤンチャしたりない僕でも。
懇願。赤裸々を詰めた愛だった。
――そんな二人がザーの新しい人格になってもいいのカナ?
提案。それは告白だった。
――ザビの力になりたいんだ。
実感。感情が息をしていた。
二人の
俺はまだまだ小さくて、あまりに弱い。弱過ぎる。
それは心にも身体にも言えることだ。
自分に不相応であっても、未知への渇望は止まなくて、思い至ったら行動したくなって、目の前にある幸せだけは守りたくて、そんな普通な少年の器で走り続けていた。
思えば、ずっと欲しかったのかもしれない。俺の中にいくつかの理解者が。
自分は、一つじゃない。俺となった身体の中で、私と僕が背中を押してくれた。
その背中、多分小さかったろうな。
情けなかったろうな。
守りたくなったろうな。
今さら、そんな当たり前を理解することになるとは思いも寄らなかった。
俺から頼むべきだったのに、言わせてしまった。
よし、ここは俺が一歩踏み出す番だ。
確かな空白だった、俺という存在。それを埋めるのは、俺でも、私でも、僕でもない。――皆だ。
――また勝手言って悪いけど、俺から頼ませてくれ。
俺は、思った以上に薄くて、情けなかった。
お前達を受け入れたことで思い知った。いや、心の底から実感することができた。
本当に感謝しているよ。
だから。だからこそ、お前達で補ってほしい。
俺という不完全を。俺という小さくて、大きな器を。
――ハッハッハ! 任せてヨ。
私、いや俺は、ザーより『トマヨーシ』作るの上手いんだからネ~!
――ハハ、また自惚れてんな!
まぁでも、僕、んっんっ、俺はこんなかじゃ一番の年上だ。俺をより良い俺へと導いてやるぜ!
――おう、頼もしいな、俺って奴は! ザビって奴はよ!
……あとは、もう一つのやり残したことを終わらせなきゃな。待ってろよ、アナ。
✕✕✕
意識が戻った時には、自室で横になっていた。
狭い部屋の中には、いつもの室友の他に、二人が寝台の横に座っていた。ロビとイノーさんだ。
「かなり苦しんでいたようだが……フッ、どうやら解決したようだな。
とにかくお疲れ様だ、ザビ少年」
「そうですね。結構汗も掻いてしまっているようですから、しっかり水でも浴びて身体を綺麗にしてきてくださいね」
「イノーさん、ロビ……」
「さぁ、長居しても悪いでしょうし、私達はお暇しましょう」
「そうだな、ロビ隊員。本当に君は素晴らしいな!
しっかりしているよ」
「ありがとうございます。では、お兄様、またの機会に」
「ではな、ザビ少年。……あぁ、それと。明日の復旧作業、君は休みたまえ。
もう身体はボロボロだ。ただでさえ王都での決戦で、身体をこき使ったというのに、スビドーでも大活躍だったからな!
三日くらいは休んでくれよ」
「え、三日も⁉ あぁおい、ちょっと!」
閉められた扉に飛ばした俺の声は、静かに地面に落ちていった。
何か違和感を感じて、足元を見る。すると、そこには保存食の数々が無造作に置かれていた。
ふっと息が漏れる。……はいはい。そうですか。流石は、イノーさんだな。
俺は、その一つを手に取り、口の中に放った。
「ちょっと甘い……」
「なんだよ、その感想」
横から飛んできた言葉に、また笑みを零す。
「だな」
俺達は久しぶりに笑い合った。
いつしか心の鉛は消えていて、筋肉の疲労感が全身を包み込んでいた。
心地の良い感覚だった。
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