4-11.人は一つに定義できない(前編)

 時刻は日中。作業と作業の間、俺は休憩時間に入っていた。

俺の隣にはロビがいる。今朝逢って、午前中はずっと一緒に作業していた。

特に何かの会話をした訳ではない。作業はあくまで真剣にやっていた。

これはお遊びではないのだ。自分達が守り切れなかったために、住民達に多大な損害と迷惑、そして耐え難い悲嘆を与えることになってしまったのだから。


「大分と暴れ回ってしまったみたいですね」


「まぁ、『五瀑征ステルラ』も会合をしていたようだし、対応が遅れてしまったのも……いや、関係ないか。

これが俺達の責任で、罪科で、全てだった」


「そう、ですね……」


 一度、俺達の間にしんみりとした空気が流れる。

正論であるだけに、何も言うことができなくなってしまっている。

少なからず、今回の戦いで犠牲になった人がいたのは事実だ。

俺が担当した作業箇所だけでも、こびり付いた血痕は大量に見受けられた。

あの混乱じゃ仕方ないと、そう高を括れるほど、まだ大きくない。

それは、ロビも同じだった。

下を向いたロビの顔を窺い知ることができない。

窺おうものなら、どうしようもなく立ち直れなくなりそうだった。

 暫くの間、俺は口を噤むしかなかった。


「……ねぇ、お兄様」


 ロビは、凍った時を溶かし始めた。声のする方へと、俺は顔を向ける。

ロビの顔には、僅かな笑みの影が見えた。葛藤のせいか、眉毛の間には皴ができていた。


「なんだ?」


 できる限りの落ち着いた声を出す。

いつもの気力は、心の奥底に追いやっておく。

話を聞こう。俺に強く言う義理はない。


「お兄様は、ご自身のことを評価していないのですか?」


 予想外の一言だった。用意した返答などある筈もない。

しどろもどろな言葉の雨が、空気に漏れる。


「え、評価? ……いやぁ、だって俺は!

……俺は、この戦いに大きく参加していながら、これだけの被害になるまでドラゴンの散歩を許してしまったんだぞ!

誰よりも窮されるべき存在は、俺なのであって……だから、人一倍声を出して、一生懸命復旧作業を進めていたんだ」


 身を削って上げた声だった。

抱え過ぎた思いが、身体の中で鉛のような重さに成長していく。

 ……本当に、沢山のことが起こってしまった。

これが現実か。これが世界か。

これが英雄の背負う宿命なのか。

チラついた面影に、苦い笑みが零れる。

、俺とは違うな。何もかも――。


「……ねぇ、お兄様。お兄様は、誰が何と言おうと勝者です!

王都は甚大な被害を受けました。

でも! お兄様が戦わなければ、もっともっと終わっていた。滅亡に近付いていたことでしょう。

だから、お兄様。顔を上げて下さい! その格好いい顔を、私に見せて下さい!」


「俺はもう、俺ですらなくなっちまったんだぞ。

ほら、この顔を見ろ! 俺は、へイリアさんそのものになってしまったじゃないか……!」


 あの時、何度俺の死体を確認したことだろう。

確かに、俺は地に倒れ伏し、事切れていた。

顔を白くし、脈を失い、すっかり冷たくなってしまっていた。

頬をつねっても、誰に聞いても、これは現実であると謳ってきた。

逃れられない惨劇、変えられない絶望を、否が応でも理解できてしまった。させられてしまった。

だからもう、依り代は、復旧作業にしか見出せなかった。


 これが、俺の三日間と半日の全てだった。

まだ身体は癒えずとも、働かなくては死んでいる気分だった。

 『ドン底』。そんな言葉がよく似合うかもしれない。

悲劇の烈女ヒロインじみた考えに、もう薄ら笑いも完全に引いていた。

その様子を知ってか知らずか、ロビは変わらぬ口調で続けていく。


「顔は、お兄様が元々、『寄生種パラサイト』の一種である『神種ルイナ』だったから、変わってしまっただけであって、お兄様自体は何も変わっていないんです。

顔はあくまで徽章シンボルでしかなく、その表情にはザビおにいさまが透けて見えるんです!」


 その顔は必死そのものだった。

俺の正体が『寄生種パラサイト』の一種であることは、オズからも聞かせてもらっていた。

俺はほとんど全ての人生がなかった人間で、だからこそ『今』を大切に生きてきた男だった。

これまたオズからもらった生き方で、宝物になった信条プライドでもあった。

 そういう点では、俺自身、身体の変化は許容できる領分だった。

でも、問題なのは、心に住まう彼ら。彼らは意志が残っているだけで、実態はない。

自分の意志を世界に反映することができないでいるのだ。

その点だけが不満という訳ではないだろうが、その点も大きな論点として考えている筈だ。


「顔は徽章シンボルか……。それって、にも言えるかな……」


「え、それってどういう……?」


 不思議そうな顔を見せた後、蟀谷に手を当て考え込むロビ。

そうか、ロビには話していなかったかもしれないな。

ややこしくなる前に、彼らの紹介をしておいた方が良さそうだ。

 そう思い、口を開こうとした瞬間、遠くから小さい背丈に見合わない声で、こちらに呼び掛けてきている存在があった。


「お、イノーさんじゃないか! おつかれっす」


「おうおう、ザビ少年。身体の方は元気になってきたか?」


「うーーん、微妙って感じだ。まぁ、毎日毎日、ここで作業してるからな」


「ザビ少年。身体は資本だぞ!

しっかり休める時に休んでおかないと、またいつ『死の救済マールム』の脅威が襲ってくるかわからないんだからな!」


「そんな縁起でもねぇ」


「そうですよ、イノーさん」


「おう、いたのかね、えとー……そう、ロビ隊員! 二人は確か……」


兄妹きょうだいです」


「あぁ、そうかそうか! で、二人はこんな大事な休憩時間に何を話していたんだ?」


「あー、えぇと……」


 この三人の空間で、俺だけが首を横に振った。

酷く個人的なことだ。何となしに恥ずかしさを覚えてしまう。

まぁ、『答え』があるのなら教えてほしいけど……。

でも、そんなに大々的言うことでもない。

ましてやイノーさんに知られるのは、拷問以外の何物でもない気がする。

でも。自分の中に仕舞い込んだ場合、心のもやもやは晴れることはないだろう。

どちらにも感情の入ってしまう情けなさに、自分で自分にがっかりした。


「なんだ、話しにくいことなら大丈夫だぞ」


「いや」


「じゃあ、いいじゃないか!」


「あ」


 ロビの顔を見た。いや、目に入ってしまった。

イノーさんの言葉を否定した顔がやけに真面目で、「まさか」と口にはしないまでも、心が警鐘を鳴らす。

俺の許可もなく言われる可能性は、見たところ大いにあった。

そして、その可能性はしっかり真ん中をぶち抜かれ、ロビの口からスラスラと語られた。


「……お兄様が、自分を認めて上げられないこと、具体的に見ると『神種ルイナ』であることについて、少し思うところがあるらしいのです。

勿論、イノーさんも『神種ルイナ』については知っていますよね?」


「あぁ、勿論だ。一応は部隊長もやらせてもらっているんでな」


「なら、良かった。『今』、お兄様は思い悩んでいるのです。自分が自分でないと知り、どうすればよいのか、と……。あ、あとについても関心があるようです」


 随分、抽象的な説明のように感じたが、これでイノーさんは理解できただろうか。

そもそもイノーさんの場合は、真実を読み取りさえすればいいのだから、この過程は必要なのだろうか。

ひっきりなしに脳を舞う疑問符は、次の一言で一蹴された。


「うむ。大体わかった」


「本当ですか⁉」


 俺も漏れずに驚いている。

魔法を使ったにせよ、あのすっきりした顔は、全てを見通した時にする顔だった。

澄ましたようで、小さな口元の両端だけがちょこっとだけ上がる、あの感じ。

ここまでくれば、恥ずかしさよりも好奇心が勝つ。

イノーさんが考えたとあれば、期待していい筈だ。

半身乗り出し、イノーさんの声をもっとよく聞こうとした。


「……あぁ。で、諸君が『今』必要としている言葉もわかった」


「それは……」


「人は一つに定義できない、だ」


 ――人は一つに定義できない。

それだけ聞いてもピンとこないが、まぁ、話を聞くことにしよう。

何もなければ、探せばいい。

何か転がっているものが、『答え』につながる鍵になることもある。

俺はイノーさんと目を合わせ、言葉の続きを待つのだった。

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