4-9.生きとし生ける万物讃歌Ⅱ
※今回は、ゼウス視点から展開されていきます。
俺は『今』を、夢であると信じていたかった。
伝説は伝説のままで、淡い恋路は綺麗な宝箱の中で眠っていてほしかった。
でも、どこかで再会を望んでいた自分がいたことも認めざるを得ない。
ネムちゃんを生かしたのは完全な私情だ。
誰に相談をすることもなく、話が回ってきた時には即決だった。
あの日々がどれだけ幸せであったか。
思い返すだけでニヤけてくる口元に、我ながら気持ち悪いなと思ってしまう。
だからこそ、たった『今』、地面に崩れ落ちたネムちゃんの姿には、夢を重ねていたかった。
音は静かで、そして、
耳の裏が熱い。口での呼吸が、浅く早くなっていくのがわかる。
視界が揺れ、思考はすぐに音のした方に向けられた。
そこにはゆっくりと近付いてくる二つの影があった。
一柱は、今日は出かけることになっていた筈のヘラ。
そして、もう一柱は、さっきまでの話題の中でも挙げられていた『
こちら側の『神様』もなかなか言及の糸口を考えあぐねているようで、口を開こうとはしなかった。
簡単に片付く話じゃない。いや、簡単に片付けちゃいけない話なんだ。
俺達は、希望のある話を続けていた。
ここまで最初こそ心にズレがあったが、次第にそのズレも解消されていった。
最後には、皆して口を大きく開け、笑顔が零れてしまうような、そんな関係にまで駆け上がっていくことができた。
それなのに、なぜだ。なぜ、無慈悲に、無遠慮に、無責任に、俺達を壊すことができるんだ。
「おい、なんだ、ヘラにタナトス。二柱に関わりなんかなかった筈だろ?
なぜ一緒に現れて、俺達の大事な協力者である、ネムちゃんを、いやムネモシュネを殺したんだ?」
「ネムちゃん? まだその関係続いてたんだ。
じゃあ、殺して正解だったじゃん。
言ったよね? 浮気はもう永遠にするなって」
「別に浮気した訳じゃない! ムネモシュネとは、元カレ、元カノの関係だ。
変な勘違いはよしてくれ!」
「え? 何を言ってるの? アタシ、彼女がここに来た時から全部聞いてたよ?
それでも同じこと言えんの?」
「そ、それは……」
『好き』という言葉を使っていないと言えば噓になる。
過去形で言ったにせよ、そこにその感情があって、その言葉を吐き出してしまったことに変わりはない。
自分に嘘は吐きたくない。これまでもこれからも、俺は俺の生き方で世界を統べるんだ。
だから、戦う姿勢を見せなくては――。
「いや、でも。じゃあ、そっちの二組の関係は何だって言うんだ!
もし浮気とでも言おうものなら」
「浮気よ」
「え」
「何、自分はしていいけど、いざ相手にやられると……みたいな顔してるの?
これまで散々やってきた、これが貴方そのものじゃない!」
「いや、でも、その……」
言葉が出てこない。ヘラは間違ったことを何一つ言っていない。
これは、『一千年』以上続く罪の結晶。自分がやってきたことに対する、
待て、俺に勝ち目なんかあるのか。
勝機を探せ。仲間を殺されて黙っていられるか。
……そうか、仲間を殺されているじゃないか。
目の前で、たった『今』、俺の感情を大いに揺さぶって。
「そうは言っても、命を奪う行為に正当性が……」
「はぁ⁉ じゃあ、最初から謝れば――」
「この度も、誠に申し訳ありませんでした!
俺が全て間違っていました! お許しください!」
みっともない。こんな姿、誰が敬うだろうか。
大理石の床に額をつけているからわからない。
でも、きっと他のオリュンポスの神々は、俺のことを軽蔑し切った目で見てきていることだろう。
しょうがない。しょうがないじゃないか。
『謝れば』……その後に続くのは、許してもらえるってことなんだから――。
「謝れば――許してもらえるとでも思った? もう遅いよ、何もかも。
アタシはタナトスと組むことにした。これでゼウスとの関係もお仕舞い。
新たな世界になったら、足でこき使うくらいならしてやってもいいからね。それじゃ……」
「待てよ、ヘラ。
それじゃオリュンポスの円環からも席を外すということか……?」
俺は未だ低い体勢を保ったまま、問答を投げかける。
何もかもが変わるかもしれない。
一席空くということは、一柱分の余裕が生まれるということだ。
そして、俺の地位はより不動のものとなる。
さぁ、どうなんだ、ヘラ。答えてみせろ。
「はぁ……。そんな旧体制の
馬鹿にするのも大概にして! 私は新世界の女王となる!」
「わかった。なら、俺も全力を挙げて戦うまでだ」
俺はそう言うと、身体を起こし、立ち上がった。視線と視線がぶつかり合う。一瞬、火花でも散ったような気がした。
「あ、そうそう。これは先ほど決めたことなんだが……ヘラ、言って差し上げろ。
こっからは全部敵に回す。そう、宣戦布告とでも言っておこうか」
「へへ、そうだね。まぁ、アタシ達は一週間後、景気づけに王都でも滅ぼすことにしたよ。
きっと先の戦いでボロボロなんでしょ?
余裕で、消し飛ばすから」
ヘラは、突き立てた親指を首に沿って横に動かした。
……先の戦いか。ここ最近の報告を脳内で整理してみたが、受けていた記憶がない。
やはり二階層の妨害で、こちらにまで情報が回ってきていないんだ。
これは、この天空五階層『金の領域』の悪いところだろう。
ここには限られた者にしか入場の許可が下りない。
そのせいで、情報の遮断も容易かったと見た。
――早急な改善が必要だな。
完全体竜の創造に時間がかかり過ぎるあまり、下界のことについて詳しく知ろうとしなかった。
問題は、本当に山積みだ。まずは目下、やることもできた。
「そら、本当に景気がいいな。なら、俺達にも混ぜさせてくれ。
『オリュンポス十二神』も地上に降臨することにするよ」
「おい、どう言うことっすか、ゼウス!」
「見損なったわ、ゼウス。気持ち悪いのは女癖だけにしてよ」
なかなかに酷い物言いだが、無理もない。
アイツらの言っていることもこの文句だけ聞いていれば正論だ。
でも、勿論、『
短絡的な思考を演じているのは、俺からの否定を早く聞くためなのだろう。
「いや、違うぞ、諸君。俺達の降臨の目的は、タナトス達を止めることだ。
人類には生き残ってもらわねば困るんだ。
俺達が魅せられた、彼らの姿。行く末がどうなっていくか、知りたいじゃないか!」
俺の言葉に、皆頷きを返す。わかっていたとでも言いたげな雰囲気だ。
……俺だってお前達の意図くらい読めていたさ。
「当たり前っすね」
「当然じゃん」
「ウスッ!」
「うんうん」
「そうだね」
これで全員ではないが、ここにいる者だけでも了承を得られた。
後は、戦いに備えること。そして、ネムちゃんに託された、頼みたいことの遂行を残すだけになった。
「ふん。お遊戯会は内輪だけでやってくれよ」
「全くね」
「前まではノリノリでやってたくせに……。
後悔しても知らないぞ」
「やっすい挑発。やっすいのはアンタの神性だけにしてよ。
じゃあね。旧世界の支配者様」
「チッ!」
好き勝手言ったら、即刻帰っていった。
ネムちゃんはもう動いてくれなかった。きっと撃たれた瞬間に即死だった。
でも、これは偏に俺の心の弱さが生んだ犠牲だったということになる。
俺が初めから、ネムちゃんを選んでいたら、こんなことにはならなかったのに。
ごめん、今さら。聞こえないし、笑ってもくれないけど、本当にごめん。
(死して尚、残り、育み、つなぐ汝に、生きし誉の
祈念はかたちとなりて、今日日波紋を呼ばん――『
どこかから、もう一柱しか考えられない声音が響く。
ネムちゃんだ。帰ってきてくれたのか。
でも、そんな脈はもうないし、肌も冷たくなってきている。
――驚きましたか? 私です。記憶の女神ムネモシュネです。
『今』は、死ぬ直前に放っていた魔法によって、最後の言葉を送っています。ですから、会話はできません。
魔法、だったのか。
一瞬でも帰ってきてくれたことを考えてしまった。
でも、嬉しいじゃないか。それ程までに俺に言葉を――。
――まさか、思い人と再会した途端に死んでしまうなんて、とんだ悲運でした。
最期までツイていない神生でしたね。
そんなことを言われてどう反応すれば……。
でも、狂わせてしまったのはやっぱり俺の責任で、だから、もう何度だって、謝らなきゃいけない。
申し訳なかった。申し訳なかった。本当に本当に申し訳なかった。
心の中が二酸化炭素で一杯になっていくのがわかった。
息苦しくても、見苦しくても、これが俺にできる最大の誠意の示し方だから。
――多分きっと、心の中でまた何度も何度も謝っているのでしょうね。
確かにゼウスの責任もあると思います。
見抜かれていた。やっぱり、ネムちゃんもそう思うよな。
――でも。
え。否定に続く言葉なんか、俺は持ち合わせていないって。
――私にだって唆されて、乗ってしまった義理があります。
何もゼウスだけが悪いなんてことはなかったんです。
私がもっと魅力的であれば、問答無用で私を選んでいたかもしれません。
ヘラを選んだのは、ヘラが少なくとも選ぶべき相手として、少しでも映っていたからの筈です。
だから、そんなに謝っていてほしくないんです。
でも。俺は弱かったから、ヘラに押し切られるようにして、婚姻を結んだんだ。
――『でも』も、クソもありません! 私はこの選択をして幸せでした。
晩年はオズに執着……と言えば聞こえが悪いですけど、深い愛情を注ぐことができました。
こんな経験って、あまりできないと思うんです。こんな機会が巡ってきたのもゼウスのおかげ。
あぁ……。
――一時でも、時の権力者に見初められ、適度な逢瀬で心を通わし、素敵な言葉を沢山送ってもらえて。
私達の間には、笑顔の絶えない時間が流れていました。
あの日々は『今』でも夢のことのように感じるし、実際夢だったんだとも思います。
ネムちゃん…………。
――あぁ、もう時間がありません。手短に言います。
私は誰よりも不運で、誰よりも幸せ者でした。
最後に、ゼウスに逢えたのも幸福でした。
望みもしっかり託すことができました。
だから、後は頼みますね、私の愛しの『神様』!
声が途絶えた。何も見えていなかった。
地面を見ると、水溜りができていた。泣いていたらしい。
それも年甲斐もなく、大泣きだった。
恥ずかしくはない。寧ろ誇らしい。
俺の愛はしっかり伝わっていたと、わかったから。
あまり逢うことができなかったのに、それでも幸せだったって。
…………ありがとう、ネムちゃん。また、逢う日まで。
「……よし、じゃあ始めよう。
依頼はきっとできるだけ早い方が良いだろうしね」
「大丈夫っすか。辛いなら、オレっちがゼウスの話し相手になるからな〜なんて!」
「ありがとう、アポロン」
「え」
「気持ちわ……いや、何でもない。
さぁ、ムネモシュネちゃん見ててね」
ここにいる六柱の神々が一斉に頷いた。
これだけいれば、出力を安定させられる筈だ。
円卓の周りを取り囲み、手と手をつなぎ合う。
お互いの目を見合って、数回の深呼吸をした。
何度かの空気の揺らぎを経て、皆で大きく頷いた。
一息、脳内を共有して放たれる言葉――。
「「「「「「――『
木霊した空間内に赤く光る球体が現れる。
すると、円卓が変形を始め、真ん中に大きな穴が空いた。
球体はその穴目掛け、一筋の光を照射した。
どんどんその球は小さくなっていき、やがて消えた。
その様子を見届けた俺達は手を放した。
それから俺は、また小さく唇を動かし、指を鳴らした。
赤く光る球体のあった場所に、ある光景が映し出される。
そこには、天界と下界を分かつ、境界面が見えていた。
物凄い音を立てながら、何かが迫ってきているようだった。
そして次の瞬間、天界側から極太の赤い光が発射された。
「よっし、成功だな」
「やったね、全員いないからちょっと心配だったけど」
「そうだなッ!」
「これって本当、便利だよね」
「ほんとほんと」
「便利だよな。
この光に当たった者の一時的な思考を奪ったり、神託を授けてみたり、今回みたいに情報の書き換えをすることさえもできるのだからな」
「これぞ、オリュンポス十二神にのみ与えられた特権!
勝者の光――『
「なんかそう言われると格好いいな」
「でも、事実じゃん」
「それもそうだな。ハッハッハッハッハ」
「フッフッフッフッフ」
「ガッハッハッハッハ」
「アッハッハッハッハ」
「ガハハハハハハッ!」
「フフフフフフフフ」
それぞれ笑顔を見せている。絶対に仲間の死は無駄にしない。
目下、『
笑いながらも俺は右拳に力を込めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます