4-3.仲良くなってくれる日が来たらいいのに

※今回も前回と同様、ムネモシュネ視点から展開されていきます。



 この階層に入ってきて、まだ一度も口を開いていない。

私が入ってきたのにも気が付いている筈なのに、誰も口どころか身体すら動かそうとしてこなかった。

 確かに身体は微動だにしなかったが、ただ一柱、だけが私をずっと見つめていた。

その一柱こそ、全知全能の神ゼウス、その『神様』であった。

彼は世界の支配者にして、私の元カレだ。

字面にすると、喜劇のようだが、事実だし仕方がない。

私は一直線に注がれる視線に、身動みじろぎしながら言葉を待っていた。

自分から言い出すのが礼儀だろうが、どうしても空気が声になってくれなかった。

どうしたって緊張が筋肉を手放してくれなかった。


 長らく息の詰まる時間が、この階層を牛耳ぎゅうじっていた。

誰かが動かなければ、誰かが動かなければ。いや、私が動かなければ、私が動かなければ――。

私はダラダラと汗を掻きながら、顔を歪ませた。

 一息、前方から吐き出された音が聞こえた。

下を向いていた顔を上げ、その音の方角へと視線を送る。

そこには、優しかった時の表情を浮かべるゼウスの姿があった。


「ネムちゃん、だよな。元気してたか……?」


 ゼウスがようやく口を開いた。

やっと弛緩した空気の種が蒔かれ始めたようだ。

他の五柱の神々も、その声に同調するように、各々で大きな溜め息を吐き出した。


「おい、ゼウスッ! 勘弁してくれよォ。オレァ、こういう空気苦手なンだッ!」


「すまなかった、アレス。俺もちょっとばかし話し辛くてな……」


「ったくよォ!」


 口火を切ったのはアレスだった。

戦いの神であり、『オリュンポス十二神』における屈指の戦闘狂だ。

粗野な言動ではあるが、誰一人喋らない地獄を思い出し、少し救われた気分になった。


「あの、ほんっとに気持ち悪かったね、ゼウス」


「デメテル……。あの時は、本当にすまなかった。

俺も、あの時凄く若かったんだ……」


「別に、私、あの時のことなんて言ってないけどね。

しかも若かったって……ほんっっっとに気持ち悪い!」


 この短時間で、二度も気持ち悪いという単語を聞くことになるなんて思いも寄らなかった。……彼女が、豊穣の神デメテルか。

ゼウス、デメテルに迫った時があったって言ってたものね。

きっとその時から関係性が悪くなってしまったんだ。

何にせよ、口喧嘩なんか見せられても笑えるものではない。


 ――二人が仲良くなってくれる日が来たらいいのに。一人でそんなことを考えていた。


「デメテル、言えてる」


「ほんとほんと」


「アテナ、アルテミスまで……!

いや、俺が悪かったのは認めるが、こう面と向かって言われると傷付くぞ」


「「どの口が言ってるの? 何様のつもり?」」


「……本当にすまなかった」


 知恵の神アテナに、狩猟の神アルテミスが続けてゼウスに声を掛けた。

なかなかに強い口調ではあるが、ゼウスが犯してきた罪も数知れない。

全知全能の『神様』に相違ないが、ここで言い返すのも話がこじれるだけだろう。

さっきからゼウスは謝ってばかりいる。

これが最高神だと言われたら、きっと人類は卒倒するだろう。

こんなに周囲からの評価が低いなんて、誰も想像しない筈だ。


 『神様』は『神様』で、独自の環境をもっている。

両方の世界を見ることのできた私からすれば、どちらもそう大差はないと思っている。

同じように思考し、同じように笑ったり、泣いたりする。

食事をするのが好きで、家族といるのが好きで、一人の時間も同じように好きなのだ。

ちょっと生きる時間が長いだけで、本質的には何も変わっていない。


 人類は『神様』に対して、少し過敏過ぎる節がある。

確かに、『一千年』に一度起こるドラゴンの暴走は、私達も反省しなければならない事柄であることに違いはない。

ただそれもがあったから、そうせずにはいられなった訳で……。


 でも、『は違う・・・。私達に、彼らを、そう人類を攻撃する意思は少しもない。

寧ろ人類に対して、強い興味を示している。

まぁ、仮にそうだとしても。私達がこう言っても、人類は聞いてくれないだろう。

組み上げられた固定観念は、早々に変わることはないのだから。

そう簡単に変わるものなら、すぐさま直々に謝って、肩を組み合いたいくらいだった。


「オレっちだけは味方だから、肩落とすなよ、ゼウス! なぁ!」


「お前にだけは同情されたくない。

さっさとここから去ってくれよ、この好色男神おとこ


「それは、誉め言葉っすか? いやぁ、ありがとうございまーす!

このアポちゃん、照れちゃうっすね~。テレテレ」


「鬱陶しいわい。さっさと黙ってくれ」


「ふぇーい」


 このいかにも軽そうな男神こそ、予言の神アポロン。

ゼウスにまで拒絶されるのは、相当なたまの持ち主と言えるだろう。

ゼウスと同じく、女を探すためなら『鉄の領域』にまで足を運ぶ、無類の女好きで、何より不祥事を数多く起こしている存在だ。

こんな、それこそ評価を地の底に落としている存在と同列と扱われるのは、流石にゼウスが不服に思ってしまうのも無理はない。

曲がりなりにも世界を収めた存在であることは、間違いないのだから。


「ゴホンゴホン! ……と、とにかくだ。引かないでくれよ、ネムちゃん。

こんなに情けない再会になってしまってすまなかった。格好悪いなぁ……」


 静かに呟かれた最後の一言に、思わず首を横に振る。小さく、信じられないとでも言うように。

私は軽く笑みを浮かべて、首を少し傾けた。


「……もう、謝り過ぎですよ。でも、そうですね。元気そうでよかったです」


「元気? 見てもらった通り、踏んだり蹴ったりな毎日を送っているよ」


「フフフ……」


「ハハハ……」


 私達は笑い合っていた。もう『答え』を言う必要はないのかもしれない。

それでも、言葉にすることも大事ではある筈だ。だから、語ろう。口にしよう。

恥ずかしいけれど、前を向いて。一歩踏み出す勇気をもつ。

ずっと後ろ向きで逃げ回ってきたような私だ。

『今』くらい、胸張って、一人で立っていられるような心を掴まなくては――。


「……ゼウス、私、ずっと言いたかったことがあるんです。

ここで話してもいいですか?」


「あぁ、勿論だとも。でも、皆いるぞ? 大丈夫か?」


「えぇ、大丈夫です。私も乗り越えなきゃいけないんです。自分という壁を」


 そう、喉には何かがつかえていた。

恋の終わりがそうさせたのか。

胸の蟠りが狂わせてきているのか。

未だ残るゼウスへの思いが、止まらないためか。

 でも、そのどれであっても一つだけ言えることはある。

それはここに来る決意ができた時、もう確定していた。


――見て見ぬ振りの連続だった。


 見たくないものが多すぎる世界だから、滅亡を望みたくなってしまうような、ロクでもない世界だから。

でも、生きとし生けるものは皆、変わっていく。

最初はどうでもいい、未熟なものでも、意外と数年で大きく成長して。

私達からしてみれば、小さな小さな一歩でも、当事者にとってはかけがえのない偉業の数々で。

一個一個達成していく度に、何かが変化し、成長していく過程が、美しいと、格好いいと、そう思わせてくれるから。

もう見て見ぬ振りは止めようと。人類かれらのように必死で生きようと。

天界で胡坐を掻いていればいい時代は終焉を迎えたのだと。そう、理解した『神様わたしたち』だから。

見届ける、そして、変わっていく。

成長するのは人類だけの特権ではないと、この泥臭くも美しい世界の片隅で叫んでやりたい。


「……うん。わかった。聞かせてくれ」


「私、ずっとゼウスが好きでした。

ゼウスの様子がちょっとおかしくなって、段々冷たくなっていっても嫌いになれませんでした。

私は頼みたいことがあって、ここに来たのです。

だから、何の蟠りもなく、聞いてほしくて」


「俺も、ムネモシュネ、いやネムちゃんのことが好きだった。

この気持ちは付き合っていた当時から変わっていない。でも、俺には正妻がいる。

俺の気持ちは許されない。それは、ネムちゃんを傷付けることになるから」


 『好き』という言葉に、若干の照れを覚える。

もう随分と聞いてこなかった単語だった。

私がゼウスに伝えても、それは夢の話で、現実に私を愛してくれる人なんていなかった。


 サバスは私によくしてくれたけど、それは恋人に対する思いじゃない。

オズに関しては、母を思う息子の思いで、これも私の心にできた空洞にピタリとハマるものではなかった。

それしかなかった。だから、守り、育て、託した。


 そうか、私は――誰かからの愛に飢えていたのだ。

最高級の愛に溺れて、最底辺に沈んだから。

全身を通う、熱い血を知っていたから。

だから、求め、足搔き、喘いだ。

見て見ぬ振りが理解させられる瞬間だった。

それを境に、何かが呑み込めたような、すっきりした感覚を久しぶりに思い出せた。

これは、まだ誰とも恋をしていなかった。

あの時、そう、ゼウスと出逢う前の頃のような、清々しい気分。


 私は、唾を飲み込んだ。

ゴクリと音を立て、下へと下っていく。


「正妻――ヘラがいるからですね」


 無言で、ゼウスは頷いた。


「私を守ってくれたのですよね」


 これにも首肯する。


「死ぬより、ただ笑って生きていてほしいと思ってくれていたんですよね」


 何度も何度も頷いた。

俯き加減の顔には、目尻に光る影があった。


「でも、命は守れても、社会的な地位は最底辺にまで落ちぶれました。

このことを知って、後悔しつつも、やっぱりヘラが怖かったんですね」


「すまない。すまない。本当に……すまなかった!」


 首を荒々しく振って、円卓に額を打ち付ける。

汚れのない白の円卓に、原色の赤は眩し過ぎる。

徐々に血溜まりが生まれ、綺麗な地面へと飛び散っていく。

着用している純白の布地にも、幾つも赤い斑点模様ができた。


「もうやめてください!」


 ここに来て、一番の大声だった。

誰もが目を見開き、私の次なる言葉を待つ。

沈黙が皆の耳を蝕んだ。


「お互い『好き』であることがわかったんです。もう、それで十分じゃないですか!

これ以上、過去を掘り返すのは何も生まないでしょう」


 沈黙は未だ居座っていた。

均整を崩した円卓を、六柱の神々は見ていた。口を噤み、心が理解したことを静かに伝えるように。

私の解釈がどうであるかは関係ない。とにかく、これで第二関門は突破した。

後は本題を伝え、了承を得るのみだ。

気持ち的な面でもかなり落ち着いた。


 ――人類がそうさせたと言っても過言ではない。彼らの一歩が、私の一歩につながったのだから。

仲良くなってくれる日が来たらいいのに。私は一人でそんなことを思っていた。

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