3-56.『膨力者』(後編)
一定間隔に小さく繰り出されていた足が、徐々に速く、歩幅も広くなっていく。
段階的な加速に関しては、エラーも同様の変化を見せていった。
一気に消耗されていく空間に、知らず胸は高まりを見せていた。
最初から、何をするか、何をしなければならないか、俺の中でははっきりしていた。
俺の心の住居人にへイリアさんが増えた以上、更にその決意は高まった。
思えば、長い道のりで、ここまで来るには何度も苦汁を飲まされた。
最初の挑戦では、二日で体得することを命じられたが、当然の如くできなかった。
名前とやり方を聞いた時、聞き返しても良くわからないだろう説明を受けたこともよく覚えている。
本人は大真面目な表情で語っていたのが、俺との差で面白かった。
笑いそうになったところを殴られそうになったことも、本当によくよく覚えている。
これで
最期まで弟子に向き合う、師匠の姿。
敵に身体を奪われ、敵の能力で弟子に相対する。
次第に薄まっていく意識の中で、恵まれた終わりを掴み取る過程を歩んでいく。
俺達が手を取り、共に歩むことを諦めさせない。
これが『勝ち』への蹄跡であると、これが世代交代であると。
そう、証明をするために、殺さなければならない。
一緒にいたい気持ちは山々、まだ話したいことが沢山あるのも事実。
それでも、受け入れなければならない現実がそこにあるから、戦う歩みは止められないのだ。
ここ最近は、一人で戦い続けていた。
きっとへイリアさんに己が最強であると、証明してみせるため、もうボロボロの身体で挑み続けた。
被害が拡大されているのも見えていた。
人が殺されるのも何度も許した。
自分が犠牲になるのも、何もかも厭わなかった。
男、エラー、エラルガ・マルッゾ。
人類最強の男、老いてもなお、実力は健在。
ガタが来た『今』も、敵の前に立ち続け、『我世』第二部隊――『
時間を計測すれば、きっと二秒にも満たない速度だった。
お互いがその速さで近付けば、もう一瞬の油断も許されない。許される訳もない。
隙間を縫って息を整え、足に出し抜くための力を込める。
間合いを計り、抜群の好機に手を伸ばした。
空中へと投げ出された全身が、全細胞を結集し、エラーに迫っていく。
空を舞った俺に、その影を半歩遅れて確認するエラー。
この遅れが、この勝負において致命的な欠陥となる。
それ即ち――俺達の『勝ち』への布石として価値をもち始める。
その時、後方よりいつの間に復活した観客が、喉を震わせた。
空気の脈動が俺の鼓膜に届いた時、俺も待ち侘びていた言葉を発した。
「――頑張れ、お兄様!」「――カマしてやれ、ザビ少年!」「――勝て、ザビさん!」
声はかたちを宿し、背中を押した。
何度励まされれば、気が済むのか。俺は本当に幸せ者だ。
マットーに生き続けてきて、何度も『なき笑い』させてもらえている。
そして『今』も、その例外でない。
泣くつもりはなかった。それなのに最後の最期で、思い出された記憶の数々が胸を打った。
一度目の協力から、二度目の王都での再会。そこからの修行の日々。
時には酒場で会話をして、時には軽口も叩き合った。
確かに師匠と弟子という関係ではあった。
それでも、『今』思えば、もっともっと親密だったように思ってみたり、もっともっと険悪だったように思ってみたり……。
言うなれば、親子や親友みたいに接するときの他に、悪友や一生の
これって、特別な関係だ。ここまでの間柄になる想像はできていなかった。
でも実際、最初からこうも言っていた。
――お前とは仲良くできそうだ。
宿命だったのかもしれない。そんな感情も呼び起された。
ありがとう、そしてさようなら。この恩は、この気持ちは絶対に忘れない。
いつまでも胸の中で大切にしまっておこう。だから、安心して逝ってくれ。
最期の言葉が優しく呟かれる。
目の前にいるエラーには、きっと人の感情は宿っていない。もう疾うの前にいなくなった筈だから。
それなのに、俺の言葉を耳が捉えた時、瞳が、その意志だけは残されていた双眸が、少しだけ揺らいだ気がした。
精神は絶え間ない修行によって、容易に安定するようになった。
エラーが俺に教えてくれた、『静』の心構え。これが、ずっとできていなかった。
どれが正解であるか、悩みに悩む毎日だった。でも、『今』なら言える。
――これが正解であると。この土壇場で、修行の終わりで教えてくれたエラーの前で実感した。
心の中の荷が下りた。そんな心地がした。
「――『
炸裂した可能性の秘技。初めての感覚に、直感的な成功を感じる。
そんな弟子の一撃を真正面から受け止めたエラーは、上から殴られたことにより身体を真下に打ち付けられ、上半身の形に地面に穴が空いた。
周囲に亀裂が走り、エラーの衝撃を受け止める。
ピタリと止まった時間の流れ。それまでの喧騒は、一気にその影をなくした。
その時、一つの奇跡が起こる。
倒れ伏したエラーが、血で汚れた歯を見せ始めたのだ。
ゆっくり動くその口を必死に目で追った。
この状態になった後、本来であるならばもう宿主の意志など、残っていない筈なのだ。
これを奇跡と呼ばずして、何を奇跡と名付けるのだろう。
一文字一文字紡がれていく言葉に、俺は泣かないように、最後まで見届けられるよう耐え続けた。
決壊しそうになる涙腺を、保ち続けるのが苦しかった。
『あ』『り』『が』『と』『な』
繋ぎ合わせた言葉は単純で、ありきたりだった。
でも、真っ直ぐで、混じり気のない純粋な心が見える様は、エラーの本心を頭から浴びたような心地だった。
そんな去り際の一言に、俺の腕を目元に重ねることは止められなかった。
暫くの間、その体勢が続いた。その間に、俺の背中に何か投げかけてくる奴はいなかった。
ただただすすり泣く音だけが生きる、静かな時間が流れていた。
目の周りの赤さは、きっと隠せていないだろう。
それでも、拝んでおかなくては。
弟子である以上、この役目を放棄する訳にはいかない。
半開きになった口に、見開かれた双眸。目尻から頬にかけて、何かが流れたような跡が見えた。
俺はそっと口と目を閉じ、目尻を軽く拭いてやった。
くるりと踵を返し、後方に控える仲間達に顔を向ける。
皆呆然と立ち尽くす中、一人両手を打ち始める者がいた。
その輪はどんどんそこにいた人々に伝播していく。
やがてほぼ全ての人が拍手を始め、その中の一人、一番最初に手を打ったハスタが目尻に涙を浮かべながら、小さくコクリと頷くのだった。
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