3-55.『膨力者』(中編)

 俺は、今までもこれからもザビの筈だ。

『今』、こうして己が脳で考えているのもザビという人格であると信じている。

それなのに、イノーさんは意味のわからない言葉で俺を惑わせてきた。


――どうして戦闘続行が不可能となったへイリア隊員が、普通に立って歩き回っているんだ?


 その目が捉えていたのは完全に俺だった。

俺と目が合ったうえで、投げかけてきた真実だった。

いくら考えてもわかりそうにない。

服装はへイリアさんが着てきたものだった。

俺の服装を着ているのは、地面に転がる俺の顔をした男。

直感的に後者が俺であると思ってしまう自分もいた。でも、信じられないというのが現状である。

飲み込めないと言った方が適切だろうか。

とにかく『今』自分の身に起こっている現象を理解できないままで、ずっと立ち尽くしていた。


――ねぇ、ザー。聞こえてるカナ?


 何かが脳内に響いた。これは誰かの声だ。

心の奥底に刻み付けられた記憶。大事な存在の朧気な影が見えてくる。

何度も見てきた視界の揺らめき。意識が徐々に失われていく。

 一つ。脳が疼きを抱える。

また一つ。引っぱたかれたような衝撃が走る。

また一つ。拳が鋭く打ち込まれた。

 そんな錯覚が呼び起される痛みが、俺を苦しめてきた。

毎秒毎秒、何かしらの感覚がやって来た。それも苦しみを伴う何か。

その程度は一回ごとにどんどん強くなっていった。

強さだけならまだ良かった。

それなのに、その間隔も短くなっていった。

痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――痛い!


「うっ、うぅ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 爆発した。耐え難い劇痛は、容赦なく俺を壊した。

声を抑えられる筈もなかった。


――落ち着いてヨ、ザー。私も悪かったネ。

無理に意識をつなげようとしてしまったサ。


 また誰かの声が聞こえてきた。鼓膜はその存在の声を捉え続けている。

声はあれど、輪郭が掴めなかった。

何かを話している。何か話しかけられている。

ただ何と言っているのか、脳が処理できなかった。

聞きたい。心がそう叫んでいる。

わかりたい。何かが俺を突き動かしている。

『今』もなお、痛みは俺を襲い続けていた。

でも、一つの希望をその声に見出して、縋った。縋り付いた。

もっと聞きたい。もっとわかりたい。

もっともっと

これが唯一の救いだと思いたいから。

この痛みが、アンタのせいなら教えてくれ。

俺はこの他にも問題を抱えているのだから。


――俺の身に何が起こっているんだ?

助けられるなら、何か知っているのなら、ぜひ教えてほしい!


 脳内に語り掛けられていることを鑑みて、脳内で疑問を投げかけてみた。

このやり方が合っているのかわからない。聞きよう聞きまねでやってみた。

不安はどうしても拭えなかった。だが、この行動が命運を分けたのだった。

ここで悲運は急激に曲がっていく。

 痛みが引き算方式で和らいでいく。俺はいつの間にか目を瞑っていた。

声をくれ。名前を教えてくれ。何を話していたのだろう。

『今』を教えてくれ。俺を教えてくれ。俺が一歩進むには一体何をするべきなのか、その『答え』をわかっているのだろう。

頭の中に湧いて出る疑問の山は、どんどん高度を増していく。


――私はオズ。ザーの心強い仲間で、優しい親友で、温かい家族だヨ~!


 輪郭の伴っていなかった声に色がつき、誰が脳内に語り掛けてきているか理解した。

謎の声の正体は、オズだったのだ。

 でも、なぜオズが話してきているのだろうか。

オズは、俺の目の前で亡くなった。無慈悲に、瞬く間に、俺の思いを置き去って、ケルーに殺された。

あの時――そう、俺がタナトスに負け、死に至った時、最期に奇跡が起こって、それで――。


――なんで、オズが、俺に……。だって、オズは、オズは……!


 言いたいことははっきりしている。こんなにも簡単で、こんなにも興味があるのに、言葉にできない。

もう一生、記憶の中でしか会話できないと思っていたから。


――そう、私は、死んだサ。圧倒的に力が足りずに、敗北を喫したヨ。

あの『反思リジェクト』は、私にとって最高の技だったんだけどネ。

結局、駄目だったヨ。……で、なんでこうして話せているのかだって?

何を言っているのかわからないかもしれないけれど、聞いてほしいことがあるヨ。


――なんだよ、もったいぶって。教えてもいいことなら、ぜひ教えてくれ!


――私は、知っての通り『神種ルイナ』ネ。

単刀直入に言うと、『神種ルイナ』は、生物に寄生する『寄生種パラサイト』の一種なんだヨ。

だから、私が死ぬ時、ザーの身体に乗り移ったサ。でも……


 『寄生種パラサイト』。オズとの勉強の中で、名前は出ていた。

でも、大した情報もなかったように思う。

確か、宿主に選ばれた時、その人の死亡が確約されると同義だが、被害の件数は少ないとか……。

そもそもの数が少なく、お目にかかることもないだろうと、あまり真面目に聞いていなかった。

 そうか、オズは『寄生種パラサイト』で、俺の身体に乗り移った、と……。えっ、俺の身体に乗り移った⁉

一体どういうことだ?


――おい、オズ! 乗り移ったってどういうことだ? お、俺は、しし、死んでいるのか?


――ザー、頭に血が上りすぎだヨ。ザーは死んでないネ。

だって、ザーが死ねば、また新たな生が始められるじゃないノ。

こうして、『忘れじの間』に戻らないことが、何よりの証左だヨ。


――な、なら、『今』、俺の身に何が起こっているんだ?


 その時、再び予想外が起こった。


――ん? ここはどこだ?


 オズとは別の存在の声がした。でも、この声はすぐにわかった。

もう苦しみを伴う調整は要らないみたいだ。


――おい、誰だ? 俺はオズとの会話に忙しいんだ、け、ど……。

って、もしかして、この声は……へイリアさん?


 そう、この声は正しくへイリアさんの声だった。


――おえッ⁉ なんでザビの声が……? ここはどこなんだ、教えてくれよ、ザビ。


 俺もオズが語り掛けていると気付いた時、同じことを言った。

自分も通ってきた道だとしみじみ思いながらも、残念だがまともに答えられることもない。

正直な気持ちを吐露することにした。


――へイリアさん、それは俺にもわかんねぇんだ。

へイリアさんの声が直接脳内に聞こえてくるからよ。

へイリアさんがどこにいるか、皆目見当もつかねぇ!


 聞かれてもわかる訳がない。俺も情報がなさ過ぎて困っているんだ。

全ての鍵を握るのは、オズ。もう溜める必要もないだろう。

目を開けた先、飛び込んでくる現実世界がどうなっているのか。不安で不安で仕方がない。

でも、ここで『答え』を知らなければ、もやもやを抱えたまま戦うことになる。

まだ誰かが動く音が聞こえてきていない以上、待てる時間があると考えよう。

きっとオズは現状も理解している。何となくそう思った。


――さぁ、役者も揃ったようだネ。ザーの『今』、私が教えてあげるヨ~!


――だ、誰か知らない奴の声が聞こえるぞ? ザビもそんな感じなのか?


――おうよ。な、意味がわからねぇだろ。


――そうだな。


 そうか、へイリアさんは逢ったことないのか。気になってくれなくて良かった。

ここで時間を消費したくない。

早く知って、早く現実世界に帰る。それが、最優先事項だろう。


――さて、結論から言うネ。

ザーも、私と同じく『神種ルイナ』、つまりは、紛うことなき『寄生種パラサイト』サ。

へイリアさんの身体に寄生先を変えたんだヨ!


――え?


――ん?


――最初は飲み込めないかもしれないネ。でも、大丈夫。冷静に考えれば……。


――いや、待ってください! 僕は貴方のことは知らないですが、一つだけ言えることがあります。

こんなことを言われて、冷静に考えられる訳がないでしょう。

こんなに大丈夫じゃない大丈夫がどこにあるんですか。


――えぇと、待て待て。それなら、俺が乗っ取っちまったへイリアさんの意志は、人格はどうなるんだ?


――おぉ、ザーは鋭いですネ。さっきの人とは大違いですヨ。

流石、私の学校に通っていただけありますネ。


――ザビ、この人はお前の先生なのか? だとしたら、運悪かったな。

こんな風に弄ってくる奴、いい先生の訳がないだろう。


――二人共、初対面なのに仲良いんだな!


――良くない! ――良くないヨ!


 綺麗な音色だった。タイミングもばっちり。

なかなかの息の合った様子に感嘆していると、ゴホンと仕切り直すような咳がへイリアさんからなされた。

それを合図にオズも話し始める。

やっぱり仲がいい。声には出さないまでも、心の中でそう思った。


――で、結局どうなんだ? 僕がザビに寄生されたとして、僕は死んだのか?


――『今』が全てですヨ。


――どういうことだ?


――私はある事件を受けて、ザーの中に逃げてきたネ。

最初はザーに寄生しようとしたけど、ザーに食べられたんだヨ。

そして、『今』なお、ここでこうして会話をすることができる。

私とザーの魔法――『再思リピート』によってネ!


――そうか、そういうことだったのか! オズと会話ができている理由がわかったぜ。

で、これからはへイリアさんも同じように話せるようになるってことだな!


――でも、身体に意志は示せないってことだよな……。


 へイリアさんが完全に死んでないってことだけで喜んでしまった。

だが、確かにへイリアさんは文字通り俺の中で生き続けるだけで、他の人とは関われないということだ。

それなら、やっとの思いで結婚にまで漕ぎ付けたアナは……。


――……だ、大丈夫だヨ。

自由に会話することはできないけど、私がさっきやったみたいに干渉していける瞬間が必ずやって来るネ。

自由はなくとも時期は来るサ。


――大丈夫、か。……まだ信用できないです。

この人の大丈夫は、本当に安っぽいですから。


――『今』、信用してもらえなくてもいいですヨ。先は長いですからネ。

あとさっきから気になっていたけど、オズって名前なので、よろしくネ。


――名乗る気はないね。でも、とりあえず色々聞かせてもらう。覚悟しておけ!


――はいネ~! ……さぁ、ザーにはもう十分教えられたんじゃない?

また話せる時を楽しみにしてるネ!

ザーのやるべきことは、ここで会話に興じることじゃないヨ。


――オズ、お前には何度も何度も助けられているな。

また頼ることもあるかもだけど、そん時ゃ、よろしく頼む!


――はいネ~!


 俺は重くなった瞼を押し上げた。スビドーの光景が一気に飛び込んでくる。

俺は、俺達は、一緒に戦っていく。胸に手を当て、小さく頷いた。

 アナ、今回ばかりは許してほしい。また何かさせてくれ。いや、しなくちゃならない。

できることは少ないかもしれない。

俺は良くも悪くも頭が良いとは言えない。

感情で突っ走っちまうことの方が多い。

でも、だからこそ、この過失によって抱いたであろう感情は、痛いほどに伝わってくる。

アナには傷つけてばっかだな。

エラーに修行をつけてもらうよう画策した時もそうだった。

あの時は、アナにも企みはあったけど、それでも俺にもできることがあったように思う。

今回は同じ轍は踏まない。

そう心に誓おう。もう一度小さく頷いた。

 長い長い旅だった気がする。

ようやくだ。この時をずっと待っていた。

意識も何もかも全てを取り戻した。

オズのおかげで、俺が置かれている状況を理解することができた。

ここで、俺がやるべきことは――。


「――俺は、ザビだ。が教えてくれた。

俺の心強い仲間で、優しい親友で、温かい家族。……そうか、ごめん。

俺、死んじまったんだな。で、へイリアさんの身体を貰って復活した。

俺が『今』やるべきことは、ただ迷って泣いて、生を懇願することなんかじゃない」


 随分と遠回りさせられちまった。自分の過信が起こした最低な軌跡だった。

才能は信じてあげると共に、疑ってかかるのが大切なこと。今回の事件で身に沁みてわかった。

 もうお膳立てなんかいらない。

求められていること、求めていること。俺ができること、してあげられること。

これが、最期。これが、師匠への、最大の恩返しだ。

一度は尊厳を放棄するような、不甲斐ない弟子にまで成り下がった。

でも、一度や二度の『負け』がなんだ。俺は、俺達は、何千、何万と負け続けてきたんだ。

だから、そんなたった一回の挫折になんて、倒れている暇はない。

前向いて進み続ける。

一歩でも二歩でも、愚直に貪欲に、時には滑稽に、足搔き、牙剥き、抗っていく。

どんな絶望だろうと、無理は、不可能はないと信じているから。だから――。


「俺が『今』やるべきことは――最愛の弟子として、最強の師匠を、最期まで足搔き続けた、老いぼれなエラーを、安らかに眠れるよう鎮魂してやることだ!」


 その時、ずっと沈黙を貫いてきていたエラーが意識を取り戻した。

地面から起き上がると、真っ直ぐに俺を見つめた。

俺は口角を上げ、軽く頭を下げる。


――修行はもうそろそろ終わりだな。


 本当に、長い長い旅だった。

俺はエラーの方へ、力強く一歩踏み込んだ。

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