3-53.終わりと始まりⅡ(後編)

※今回は二人の視点から描かれており、各視点の開始時に誰の視点であるか書かれています。



 《アナ視点》


 ずっと心配だった。何を考えていいかわからないくらい、アタイはリアを思っていた。

リアがエラーの技を受けた時、何でもいい、ただ生きてくれとだけ願った。

 この仕事をする以上、作戦には常に死が付き纏う。それは私もわかっている。

重々承知だと、言葉の上ではいくらでも吐くことができる。でも、それは御伽噺だ。

ぞんざいな妄想で、綺麗に飾り付けられた空虚な絵空事でしかない。

アタイはずっとリアといたい。生きてゆきたい。

アタイがここに入ったのは、隣に立っていい権利をもらうことも勿論あったが、それ以上にリアとの時間を増やしたかったからだ。

いつも寮で生活しているリアには、自由に逢える時間が限られ過ぎている。

結婚したのに、認めてもらったのに、意地悪されている子供みたいに扱われるのが、決められた箱に詰められる大人みたいに宥められるのが、最高に最低な行為だと思った。

 だから、ここに来た。それなのに、実際に入ってみれば、リアと同じ部隊に所属できず、違う寮へ。

寮間で行き来はできるものの、そういった文化があまりないこと、そして何よりリアが一人修行に明け暮れていることから、ここに一生懸命努力をして入ったのにも関わらず、てんで逢うことは叶わなかった。

 そして、今日。この日がやって来た。先日はザビっちのおりをしていたこともあって、リアを探しに行くことはできなかった。

シショーもいたんだ。無理はない。

でも、今日に限って、初めて作戦で一緒になれたのに――なんでザビっちの声を話しながら、リアが動き回っているんだろう。

 別にザビっちは嫌いじゃない。寧ろ好きだ。

友達としては、本当に気持ちのいい人だと思っている。

それなのに、夫がその友達の声になるなんて、誰も望む訳がない。

好きと好きを掛け合わせたからと言って、それが大好きになる保証はない。

アタイのリアはどこに行ってしまったのだろう。

 色々話しているが、脳が処理を拒んでいる。これを飲み込めば死んでしまうと言われているみたいに。

リアがシショーに話しかけている。何を言っているんだろう。

絶対的にわかるのは、リアが言いそうにないことを言っているということ。

そもそも口調が違い過ぎる。どうしてこうなった。

時を見計らって、助けに行こうと思っていたのに、何が起こったというのだ。

何と形容していいのかわからない感情が、胸の中に渦巻いている。

何かを考え込む仕草。これもザビっちそっくりだ。

顎に手を当て、あれでもないこれでもないと、空を仰いでいる。

何かを思い付いた顔も、したり顔で何かを話す顔も、全部全部がザビっちだった。

 アタイの甘くて楽しい結婚生活はどこに行った。

必死に夫の動きを捉えながら、その影を探していた。

『今』は目を閉じ、精神統一でもしているようだ。

何か目的があるのか、それとも別の要因がそうさせているのか。

とにかく何でもいい。沈黙の時間が愛おしかった。

あぁ、格好いい。好き過ぎる。好きであるが故に、苦し過ぎる。

一生、あの声とはお別れをしなければならないのか。

普通、声帯は変わらないんじゃないのか。

あの身体は夫の身体。ザビっちの声が聞こえてくる意味がわからない。

 その凛々しい目が、開かれてしまった。何かが崩れる音がする。

アタイはこれからどうして生きていけばいいのか。

きっと『今』から、ザビっちの声がこの空間を支配する。

誰一人言葉を発さない状況が、何よりもその光景を呼び起こさせてくる。

だからと言って、アタイ自身、言葉を発せる精神状態じゃない。

この予測される未来を変える力を、アタイはもち合わせていなかった。

 言葉が響く。続く言葉に鬱陶しいほどの熱意が籠っていた。

誰かの溜め息が鼓膜を撫でる。

 リアはアタイの人生を彩った一輪の花だった。

太陽の方を向く、元気で笑顔が絶えない、格好いい人。

――でも、さようなら。貴方は最愛の人


 もう瞳は何も映していなかった。揺れ動く直線だけが、私の世界だった。

膝から崩れ落ちる。それは小さな音だった。掠れるような、消え入るような、弱々しい音。

前方で空に浮いた人影に手を伸ばす。


「――――ッ!」


 無音の絶叫が哭いていた。




✕✕✕




 《ハスタ視点》


 何が起こっているのだろう。脳の処理が追い付かないままに、物事がどんどん進んでいっている。

ザビさんが魔法を使えなくなっているところから始まり、エクさんが戦線に立とうとしたら、謎の赤い光の出現と共にエラルガさんからの攻撃も同時に受けて――『今』、ザビさんは地面に横たわり、倒れていた筈のへイリアさんが動き出している。

駄目だ。全く意味がわからない。


「イノーさん、何だって俺のことをそんなおかしな目で見るんだ?」


 ザビさんの声がした。でも、口が動いていたのはへイリアさんだ。

イノーさんの方を向いているのも、見間違う訳がないへイリアさん。

一体何が起こっているのだろう。あまりに判断材料がなさ過ぎて、『答え』を導き出せそうにない。


「どうして戦闘続行が不可能となったへイリア隊員が、普通に立って歩き回っているんだ?」


 当然の物言いがイノーさんからなされた。


「え?」


 対するへイリアさんは、理解が及ばないと言った具合に、疑問に疑問で返してきた。

貴方が理解できていないなら、誰が理解できるのだろう。

明確な言葉で懇切丁寧な教えを請いたいが、当の本人は倒れたザビさんと自分の姿見を今一度確かめている。

随分と忙しなく視線が行き来していた。

……もしかして、自分がへイリアさんだとはわかっていないのか。


「俺はへイリアさんになったのか?」


 本人もわかっていなかったらしい。これで所々の言動には納得できたが、肝心の問題は解決していない。

なぜエラルガさんの技を受けて一歩も動けなくなったへイリアさんが、ザビさんの口調で復活しているのか。

ザビさんは衝撃後、地面に額をつけたまま、自力で起き上がってきていない。

赤い光は初めて見たものだったが、今回のこの珍事件の元凶はそれなのだろうか。

ザビさんが話さなくなり、代わりにへイリアさんがザビさんのように話し出した。

これは、ザビさんの意志がへイリアさんに渡ったと言えるのでは……?

 これまで見たことのない事象が、二つ同時に起こった。『今』はまだ、裏付けできていない単なる仮説だ。

それでも、関連性を疑わざるを得ない。


「うっ、うぅ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 観察を続けていたへイリアさんに異変が起きた。

なぜ他の人は反応を見せないのだろうか。イノーさんもアナさんも、関係は長い筈。

心配の一言でもかけた方が、へイリアさん的にも嬉しいんじゃないだろうか。

まぁ、誰も見ないというのなら、僕が見届けてやる。

仮に先ほどの考察が合っていたとしよう。

そう考えた時、僕にできることは何が挙げられるか。

脳内の膨大な記憶から、糸口となるものを探し始めた。

僕の目は知らず震えていた。


 ――僕とザビさんの出逢いは、恥ずかしいものだった。

僕達の物語の一ページ目。それは、ザビさんに僕が一心不乱に泣き喚くところを発見されたところから始まった。

もう一生逢いたくない。そう心の中では思っていたのに、実際はすぐに再会することになる。

『我世』入隊試験、二日目――『奪爪戦プグナ』。

そこで、戦いが始まる前に健闘を称え合ったんだった。

あれで気持ちが引き締まったのを覚えている。

 お守りを見てくれたのも嬉しかったな。

あれは、僕の一番の宝物だ。

高貴な身分の人がくれる、高級なお菓子なんかよりずっといい。

お母さんが手作りしてくれた物の方が、何十倍、何百倍、いや何万倍も素晴らしい。

丹精込めて作られたってことが伝わってくる。お母さんの笑顔が透けて見えるような、まごころの結晶。

皆僕を見る時、あの握り過ぎで汚くなってしまったお守りを見ると、気味悪がって話しかけてこなくなった。

どこからか、いつからかなのかはわからない。そんな下らないこと、疾うの昔にすっかり忘れてしまった。

でも、アイツは気持ち悪い奴だとか、どうしようもないママ依存症マザコンなんだとか、こんなに大きくなってもまだママのおっぱいを飲んでいるとか、あることないこと噂されるようになってしまった。

 僕の中では至高だったのに、自分でも少しだけ疑ってしまう節が出てきていた。下らないと一笑に付していた自分を、棚に上げて。

お母さんは悪くない。全部僕が悪い。

それなのに、時々お母さんを責めるような考えを巡らせる自分に嫌気が差していた。

だから、ザビさんがあのお守りを、お母さんを褒めてくれた時、救われた気がした。

お母さんを盾に使うような、弱い自分がいたことは確かだ。

それでも、それ以上に『お前の自慢だな』と背中を押してもらえて、もっと好きになろうって思えた。

……そうか、僕にとってザビさんは、英雄だったんだ。


 やることは一つ。僕の目は決意に固まり、もう揺らがなくなった。

発狂を終えたザビさんは静かに目を瞑り、何かを待っているように見える。

感情にはついていけない。それでも、恐らくは進んでいる。

己が信条を貫くまで進み続けるのがザビさんの強み、いや僕の英雄たる所以だから。

 暫くの間、事態は動かなかった。でも、それ程時間も要さぬままに、ザビさんは開眼の時を迎える。


「――俺は、ザビだ。が教えてくれた。

俺の心強い仲間で、優しい親友で、温かい家族。……そうか、ごめん。

俺、死んじまったんだな。で、へイリアさんの身体を貰って復活した。

俺が『今』やるべきことは、ただ迷って泣いて、生を懇願することなんかじゃない」


 一人、ポツリポツリと話し出したへイリアさん。

姿形はへイリアさんだが、やっぱり僕の仮説通り、中身はザビさんのようだ。

僕の思いは通じてくれた。

なぜか誰もこの復活劇に触れようとしないが、この感動を心に刻み込んでいるのだろうか。

それならそれでいい。ここにいよう、聞いてあげよう、そして見届けてやろう。

ザビさんは身体を失っても尚、生き続けていると。戦い続けていると。


「俺が『今』やるべきことは――最愛の弟子として、最強の師匠を、最期まで足搔き続けた、老いぼれなエラーを、安らかに眠れるよう鎮魂してやることだ!」


 始まる。これがザビさんの、正真正銘、最期の聖戦だ。

この時を見計らっていたかのように、エラルガさんも立ち上がる。

時は満ちた。舞台も役者も整った。

向き合う両者の鼓動の音まで聞こえてくるような、張り詰めた空気が流れ始める。

僕も一つ、短い溜め息を吐いた。

 比喩抜きで、眩暈を催す空間だった。ここにいる生物全ての生命力が刈り取られている。

そう思わせるほどの、熱量がそこにはあった。

両者、一歩ずつ近付いていく。そして、段々と速度を上げながら肉薄していく。

風が身体をもったようだった。目で追うのがやっとの速度が、お互いの距離を一気に消し飛ばした。

 刹那。十分な間合いに入り込んだへイリアザビさんが、地面を鋭く蹴り飛ばし、上空に身体を預ける。

思わず上を見上げるエラルガさん。思考と身体が間に合っていない。


――弟子が師匠を上回る瞬間だった。


 外見はへイリアさん。でも、その出で立ちは、もう完全にザビさんそのものだった。

そして、その時。ここにいる誰もが気が付いた。その場にいる誰もが刮目した。

皆の心が一つになる。


「――勝て、ザビさん!」


 僕は張り裂けんばかりの声を上げた。

両手を胸の前で組みながら、僕は祈りを捧げるのだった。

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