3-49.修行の始まり

 言葉には首肯を返し、再度ドラゴンに向き直る。

泥土のドラゴンは、何かの輪郭を描き始めた。

そして、瞬きをする暇もなく、その形態がであることを悟らせる。

これまで多くの人を喰ってきた筈ではある。恐らくは、その中にいる誰よりも強かったであろう存在。


――そう、その姿見は、紛うことなきエラーだった。


 ここでドラゴンを捨ててくるとは予想外の一手だ。でも、こちらとしても有り難い。

 俺の脳裏には、エラーとの修行の日々が思い出されていた。

朝眠い目を擦りながら、全力をぶつけ、それでも『負け』を見続けた。

俺が啖呵を切る度に、エラーは真面目な顔をして、自分が最強であると豪語していた。

酒場では気儘カジュアルに行こうと、楽しげな表情で笑い飛ばしていた。

市民の味方をする時のエラーは強く優しい人格者だった。

王都を守り切れなかった責任を押し付けられ、多くの事件を解決していた時も、きっと本心では良い機会ができたと思っていたに違いない。

これは確かに想像でしかないが、どこか実感の伴うものだった。

物憂げで、自信なさげな表情だけは、俺に隠そうとしていた。でも、度々気付いてしまっていた。

多分、歳を取り、身体が思うように動かなくなっていく自分に嫌気が差していたのかもしれない。

何度拳を交えても、『勝ち』は拝めなかったが、俺でも勝てるかもと思った瞬間は何度もあった。

それが情けだったかどうかはわからない。もしかしたら本当に日に日に弱っていく身体を隠し通せなかったのかもしれない。

 鮮烈な記憶は暗然とした想像を呼び、自然、右に構えるへイリアさんに右手を差し出していた。

俺の行動に一瞬首を傾げる様子を見せたが、直ぐに何かを察し右手を絡めた。

今日、ここで鎮魂する。

あの日々は、あの積み重ねられた『負け』の数々は、この日、『勝ち』を捥ぎ取るためにあったのだ。

エラーが下らないと吐き捨てた矜持に花をもたせるように、そして、その花を花瓶にでもように――。


「僕から行ってもいいか?」


「俺の出る幕、なくしてもいいぜ?」


「善処するよ」


 結んだ手を解いて、拳を合わせる。

 これは壮大な、修行の一環だ。

俺達にとっては日常の一幕と変わらない。

エラーとの修行はが基本だった。

俺達の根底にあり、基礎を形づくるのは肉弾による戦闘。

 今日のへイリアさんは動きやすそうな軽装で来た。これは拳で戦うことの意志表示なのだろう。

先の第二次王都竜討伐戦で、大剣を捨てたのだと笑って言っていた顔が目に浮かぶ。

隣で右拳を前に、自らの型を披露していく。靴が地面を噛み、砂埃を上げた。

間合いはじりじりと消費されていく。刻一刻と衝突の瞬間が迫る。

誰かが唾を飲み込んだ。それを待っていたと言わんばかりに、急接近を始めるへイリアさん。

今回の敵の場合、接触のタイミングであの泥土の形態になられる訳にはいかない。

言わずもがな、その身体に触れた部分が食われてしまうからだ。

俺達に求められるのは、その切り替えを瞬時に見分ける瞬発力と言えよう。

そこが勝負の鍵になってくる。


「父さん! 貴方はもう頑張らなくていいんです!

あとは僕に任せて下さい!」


「――――」


 取り込まれたエラーは何も話さない。皮膚はドラゴンの鱗を纏い、爪は鋭く尖っていた。

もうエラーの意志はないのかもしれない。それでも、最期に頼まれた。――置き土産は大事にしなくては。

 エラーは繰り出された右を身体を逸らすことで避け、切り返しに泥土の蹴りを投げつける。

当たってはならないへイリアさんは後方へと飛び、またすぐさま距離を詰める。

すかさず飛び出るエラーの右を躱し、後ろに回り込んで肩口を掴んだ。

形状が変われば『負け』。そのことを念頭に置きながら、頭突きを食らわせ、一呼吸分の意識を刈り取る。

眩暈を味わわせている内に、胸元に一つ、正拳突きをお見舞いした。

後方へとよろけるエラー。したり顔するへイリアさん。まずは一発カマしてやった。そう言わんばかりの顔だ。

 と、喜んでいたのも束の間。浮かれ顔は一気に地面に近付いた。

エラーは踏鞴たたらを踏まされるも、戦闘の流れまでは崩れなかった。

めり込んだ拳が頬を変形させ、地面に大きな穴をつくった。

亀裂は周囲をも巻き込み、離れたところで戦闘を見届ける俺達のところにまで走ってきた。

これで一勝一敗。へイリアさんが圧倒し切るか、それともドラゴンの力を手にしたエラーが師匠の意地を見せつけるか。

互角の戦いに、お互い顔が歪むのだった。

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