3-47.現実という名の惨劇

 ドラゴンからの奇襲に対し、俺達は皆して一歩身を引いた。

俺が次の行動を決めかねている横で、休む暇なく行動を開始する一団がいた。

彼らの見据える先には、奇妙な変化を始めたドラゴンが佇んでいる。

その一団――へイリアさんとその仲間達は、迷わずエラーの元へと駆けて行った。

眼前のドラゴンは半分ほどの実態を解除し、その原型をあまり留めていない。

へイリアさん達は、『今』が好機であると考えたのであろう。

敵視点で現状を見つめた場合、攻撃に転ずるのであれば、きっとドラゴンの形態である方が遥かに効率的だ。

攻撃力、耐久力、共に一級品。並の人類であれば、一網打尽にすることができる超生物的存在のドラゴン

エラーとの対面において、ドラゴンを選んでいたことが何よりの証左だろう。

希望的観測に縋っている感覚は拭えない。

何としてでも近付かせてくれ、その一心がそう早くもない足に鞭を打ったのだ。

そして、ドラゴンの様子を見るに、それは正解であることが証明された。

 膨張した両翼は、組織員の消えた直後に更なる膨張を見せた。

変貌の波はやがて全身にまで広がってゆく。

数秒、実態をもたない泥土のようになったかと思えば、直ぐに一つの塊へと纏まり、を形作る。

その形こそ、紛うことなきドラゴン

その体躯は、最初に見た時より一回り大きくなっているようだった。

刻々と見せつけられた、成長のような過程。

その栄養素として取り込まれた可能性のある、俺達『我世』の仲間。

消えた直後の肥大化である以上、関連性を疑わざるを得ない。

もし仮に、そうであるとしたなら、ここに来て至るところで見てきた干乾びた血溜まりは、このドラゴンが喰らってきた人々の数を表しているということになる。

そして、その度に今回のような成長を繰り返してきたのだとしたら――。

 今回はやはり一味も二味も違うらしい。燻る絶望感を味わう時間がやって来た。

エラーの『勝ち』を信じていたかったのは山々だが、地面に半分埋まった状態で如何にして『勝ち』にもっていくというのか。

エラーには悪いが、俺達の出番であるという自覚が芽生えているような気がする。いや、着実に芽生えてきていた。

各組織員達に、共通の思いが宿り始めるころ。希望叶ってエラーの元に辿り着いたへイリアさん一行が衝撃の声を漏らした。


「おい、皆! 父さんが、父さんがッ!」


「エラーさん、どうして……」


「最後の最後までアンタという人は……」


 詳細の語られない報告に奥歯を噛み締めた。

何が起こっているか、詳しくわからなくともわかってしまう。――エラーがきっと無事ではないことが。


「おい、エラーはどうなってるんだ?」


「へイリアさん、教えてくれ。エラーの身に何が起こっているか」


 エク、俺の順で状況説明の催促が行われた。

俺としてもこんなことを聞くのは酷なことだと理解している。でも、聞かざるを得ない。

彼らは安否の実態を知るために、エラーに近付く選択をした。

その責務は、皆にエラーの状態を知らせること、そして、それによって決定付けられる俺達の行動を審議することだ。

実の父がもう大分と傷を受けているであろう状況を知っていながら、こんなことを聞いてすまない。本当にすまない――。


「報告します。父さん、いやエラルガ・マルッゾは――身体の右半身、その全面において欠損が見られます。

絶え間なく血が流れ、痛みに顔を歪め続けています」


 声はか細く、今にも消え入りそうで、一音で泣いていることが理解できた。

なるべく、詳細に語るのが定例ではある。でも、これ以上の報告は何の意味もなさないことを知っている。

もう彼の一挙手一投足が、悲哀を孕んでいたから。


「止めろ」


 エクでさえも、どこか思い入るところがあったのか、へイリアさんを止めにかかる。

こちらから頼んでおいて止めるのはおかしいかもしれない。でも、この条件ならば許される。

許される狭間くらいあっていい。それなのに――。


「白かった歯は赤く染まり、辛うじて残る顔をより悲惨なものとして飾っているようです。

歯の何本かは抜け落ち、地面に散らばっています」


 へイリアさんは、更なる詳細情報を付け加えていった。周りで黙って聞く組織員達は、何も言えずただ目尻に涙を浮かべていた。


「もういい」


 何度だって止める。エクにも、人の心が無い訳ではない。

だが、冷たく言い渡された言の葉では、へイリアさんの心も凍り付いていくばかりだった。


「僕に手を伸ばしていますが、この場からもう動けそうにありません。

目には涙が浮かび、地面を色濃く色濃く……」


「わかった……!」


 エクの熱の籠った打ち止めに、ようやく閉口されたが、へイリアさんの傷跡は深かった。俯き、手は目元に、口は引き結ばれて。肩をわなわなと震わせながら、何度も何度も地面を蹴っていた。


「こういうことだ。我々はこれより『スビドー竜征討戦』を本格始動させることとする。

そして、その指揮管理は原則――第一部隊『極擽懲花ウーヌム』が執り行うこととする」


「待ってくれ!」


 掠れた声があった。先ほどもこの空間に響いた声。

俺の耳には馴染み過ぎるほどに安上がりで、テキトーで、でも、格好いい声。

エラーはあの様態であろうとも、心までは死んでいなかった。

でも、俺達に注意喚起してくれた時よりも余裕がない印象を受ける。

ドラゴンによって圧し潰されたのが効いたのかもしれない。

 一つ、嫌な仮説が脳裏を過ぎった。


――俺達が声を掛けたから、エラーは集中を奪われ、その結果ドラゴンの猛攻を許してしまった?


 仮にそうであるなら、俺達がエラーの『負け』を確定させたのかもしれない……。

途端に背筋が汗ばみを覚える。これからエラーが言わんとしていることにも、少なからず恐怖が混じっていく。

俺達の責任、俺達の責任、俺達の責任――。

脳内が呵責を飲み込み、毎秒鈍器がめり込んでいくような感覚が俺を襲い出した。

 その時、一回り大きく成長を遂げたドラゴンが空を泳ぎ、へイリアさんの後方にまで迫った。


「へイリアさん、危ねぇ!」


 俺の声が空間を走った時、目の前では新たな惨劇が幕を開けた。

へイリアさんが後ろを振り向き、絶叫を上げた。避けるにはもう時間がない。

またも膨張を開始する両翼。へイリアさんの荒ぶる息遣いが、ドラゴンの鼻息と混ざっていく。

へイリアさんは目を瞑り、両手を前に出した。タダでは喰らわれんと、少しでも抵抗を見せるように。

でも、ドラゴンに慈悲の心などない。無感情に振り下ろされた両翼が捉えたのは――エラーの元に一緒に向かった組織員。

その組織員は最後の力を振り絞って、へイリアさんを突き飛ばした。

血飛沫はへイリアさんを巻き込みながら、数刻前にも似たシミを地面に浮かび上がらせる。

 それで絶望の赤い雨が止めばよかった。でも、現実はそう甘くなかった。

へイリアさんを無視して、突進する先、そこには地に埋まったエラーがいた。

まだ消化が終わっていないのか、実態はなく泥土を彷彿とさせる形態で全身が包まれていた。

 俺の身体は勝手に動き出した。未だに脳は己の罪に怯え続けている。

でも、その恐怖も『今』動けなければ、一生を賭けてもどうにもできなくなるかもしれない。

エラーの言葉が、何より肯定が必要だった。

俺の決意を感じ取ったか、前方、地面の窪みより掠れた声が再度打ち上げられた。


「『強筋ブースト』!」


 事は動いた。泥土と化したドラゴンの成れ果ては、エラーをスッポリ飲み込んだ。

でも、なかなか消化できないらしく、身体をくねらせながら藻搔き続けている。

成れ果てが俺達の方を振り向くと、エラーが顔だけ出していた。

その状態を維持するのも苦痛を伴うのか、常に歯軋りが止まらないようだった。

何となく感じる雰囲気が苦しかった。何となく感じる雰囲気が悲しかった。何となく感じる雰囲気が何よりも痛かった。

だって『今』、この瞬間で、エラーとはお別れになる。一生の別離になると、わかってしまったから。

待ってくれ――その続きは何だ。

 最初は右半身、それから、残りの左半身。そして、もう残されたのは不完全な歯並びの顔だけだ。

その禿げ頭は血塗られ、蟀谷のドラゴンはいつもみたいな猛りを忘れている。

でも。出逢った時から一つだけ変わらないものがあった。

それは、意志や信念、矜持の炎が消えない目。

その双眸だけは、『今』もエラーをエラーたらしめていた。

エラーは切れ切れになった呼吸に絡まれながら、俺達に、いや俺に、いや、俺とへイリアさんに言伝を、遺書のような文言を投げてきた。


「ザビ、へイリアよ。お前達はまだ俺から『勝ち』を奪えていない。

俺の小さくなり始めた手じゃ、守り切れないものが増え過ぎた。

醜く、下らない矜持が行き着く先にゃピッタリなナリになっちまったってもんだぜ。

だから、お前達。

俺をお前達、自慢の弟子の手で、未来を紡ぐ大きな手で殺してくれ! 頼む!」


 その一言を最後に、エラーは泥土の渦に飲み込まれた。

エクは息を呑み、俺とへイリアさんは肩幅に開いた足で地面の感触を確かめたのだった。

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