『我世』編Ⅱ〈破〉

3-20.絶望の誕生

※今回は、第二場面以降、ベルウ視点で展開されていきます。



 日常は、いつも唐突に崩れ去る。

地上に生えた建物群はどこへ行ってしまったのか、その影を見ることができない。

そこにあるのは、うずたかく積まれた瓦礫の山だけだった。

上空には二体のドラゴンが舞い、地上には復讐に燃える男の姿があった。

この日、王都は二度目の死を味わった。




✕✕✕




 ここは、地獄界。

オレはタナトス神に連れられて、もう二度と来ることはないと思っていた、この地に訪れていた。

周囲の目は決して温かいものではない。絶え間なく憎悪と殺意に満ちた目で見つめてきていた。

こんな手酷い歓迎を浴びせられるのも無理はない。

オレは何の説明もなく飛び出し、今の今までタナトス神に付いて回っていた。

自分の行動に悔いも恥も何もないが、地獄界の住民達にとっては違うのだ。

特に、あの先輩は気にくわないだろう。この地獄を出る直前、先輩から何か言われていたが、言い逃れのできない無視をしてしまった。

いつもは口答えなど許されず、謝罪することしかできないオレが、だ。

もしここで、あの人と会ってしまったら――。


「おい、お前。ベルウだろ!」


 今、この世界で一番聞きたくない声が、オレの耳に届いてきた。

声の方角に目を向けると、遠くからこちらの方へと歩いてくる先輩の姿が見えた。

流石に情報が早すぎやしないだろうか。

まだ入場口から入ってきて間もないというのに。


「お前、自分のしたことわかってんのか!

あの時、俺様の言うことを無視しやがったよな!

お前は俺様がいなければ生きていくことなんかできやしねぇのによ!」


 先輩は当然ながらオレにお怒りだった。

離れた距離だったにも関わらず、早歩きでやって来て、即刻オレの前に立ちはだかる。

タナトス神は無言でその様子を見ていたが、先輩がオレに手を上げようとした瞬間、その振り上げた腕を目にも止まらぬ速さで掴んだ。


「一体全体何をお求めなのでしょうか、どうか気持ちを落ち着けてみてくださいませ。

……さぁ、ベルウ。行くぞ」


 掴んだ腕を振り払うと、オレに声を掛け、前進を再開した。

いつになく丁寧な口調だった。若干の恐怖を感じる。

ただ殴られずに済んで、タナトス神に助けてもらえてよかった。

オレもその声に従うように、タナトス神の後ろを付いていこうとした。

先輩は暫く下を向いていたが、キッとオレを見据え、もう一度怒声を投げかける。


「ベルウ! お前は永遠に幸せになんてなれない。

姉もどこかに消え失せ、弟もあの体たらくじゃあな。

俺様だってお前を解放してやることもないからな!

覚悟しておけ‼」


 確かに、オレは先輩なしでは生きられないほどに追い込まれていた。

毎日毎日、殴られ蹴られの一方的な対話を繰り返すことを強いられていた。

勿論辛いし、苦しかった。

そう、泣きたいのは、弟だけではなかったのだ。

弟が弱っていく姿を見て、自分を保っていた節もあるくらいには。

例え最低な行為だったとしても、弟には沈んだ顔を見せられなかった。

だから、弟を餌にして『バカ笑い』を続けていた。

 これだけギリギリを生きていたとしても、今は全くもって生きる世界が変わっている。

オレにはタナトス神がいるのだ。

弟との死別を経て、何者にも代えられない『神様』に出逢うことができたのだ。

 だから、もう言葉には屈しない。

先輩には惑わされない。

オレはもう一度先輩を無視し、タナトス神に付いていった。

後方で足を踏み鳴らす音が聞こえる。

知ったことか。

踏み出した一歩は無駄ではなかったと証明するまで、オレは進み続けてやる。


「そうやって、いい顔ができるのも今の内だぞ!

ほら、そんなに偉がっているからなるんだ!」


 何をするつもりだ。

不安に駆られたオレは、歩みの速度を保ったままに後ろを振り返った。

先輩は地面に落ちていた石ころを手に取って、オレに投げつけようとしてきていた。


「おらぁぁぁぁぁああああ!」


 右腕を振り抜いた先輩。

手を離れた石ころは、一直線にオレを貫こうとしてくる。

予想外の行動だ。オレはその場から動けなくなった。

当たる、危機を感知したオレの双眸は、世界を闇に閉ざす。

やはり、どこまでいってもオレに光はないのかもしれない。

しかし、いつまで経っても痛みが走ることも、熱を感じることもなかった。

恐る恐る世界に光を取り入れんとしてみる。

目の前には、片手でその石ころを止めたタナトス神がいた。

先輩は、刹那の動きに目を見張り、先程のオレのように動けなくなっていた。

ざまぁみろ、そう思った。


「お前、なんでそんなにベルウを下に見ようとするんだ?

さっきから話を聞いていれば、自分がこの世界の中心かのように語っているじゃないか」


 先ほどとは真逆の、攻撃的な物言いだった。

でも、正しかった。


「あぁ、俺様とベルウの差は歴然だ。

言うまでもないが、一応言ってやろう……俺様は優しいのだからな!」


「早く話せ、クソ野郎が」


「あぁん、どんだけ偉そうにしてんだよ!

お前こそ、世界の中心かなんかなのか‼」


「よく知ってるじゃないか、この点に関してだけは、君もなかなか見る目があるものだ。

そうさ、俺は地獄界このせかいの列記とした『神様』」


「おいおい、ってことは、地獄界ここの『神様オーナー』ってことか⁉」


「フフ、その通りだよ。

俺はこの地獄界の二代目『神様オーナー』だ。

そうか、君とも会ったことがあったかもしれない。

その時は、だったかな」


「そうだ、その顔だ! ……暫くぶりですね、

ずっとお会いしたかったです」


 先輩がいきなり媚びを売り出した。

こんな姿は見たことがなかった。


「フッフッフ。冗談はよしてくれ。

俺はさっきから変わらず死の神タナトスだ」


「ど、どういうことです?」


「俺は死者の顔を再現し、その顔になることができる。

そうだな――『仮面エラー』という魔法を使うことができるのだよ。

ところで、なぜ前任の『神様オーナー』、ハデスの顔になった途端、へコへコしだしたんだ?」


「いやぁ、俺様ってば、ハデス神とは恥ずかしながら面識があってな!

だから、その……」


「いや。聞け、若造。

俺はハデスのことを前任の『神様オーナー』と呼んだ。

違うだろ、ハデスは今も昔も地獄界の王だ。でも、現実は違う。

お前ごときの年齢で、ハデスに会ったことがある奴は

なぜなら、これまでのハデスのやって来たことは、ほぼ全て俺がやって来たのだから」


「それってどういう?」


「フフ。簡単なことだ。

確かに地獄界は、ハデスの元に始まった世界だった。

でも、その天下は一瞬だった。

俺が反逆を起こした。

ハデスの一派を皆殺しにし、俺の血を与えることでハデス一派と俺の一派は入れ替わったのだ。

最初からハデスの世界などではなかったということだよ!」


 とんでもない話を聞かされてしまった。

オレはこんな話を聞いたことがなかった。

歴史について語られる時、大抵はハデス神のことが注目されることが多い。

学のないオレがそれだけは知っているくらいには。

どこまでが本当で、どこまでが嘘かはわからない。

それでも、タナトス神が異常であることだけは知ることができた。


「この話は誰にも知らせてはならない最重要秘密トップシークレットだ。

だから、すまないが、お前にはここで死んでもらう。

新しく地獄の使者が誕生する瞬間を、その目に焼き付けながらな!」


 そう言いながら、タナトス神は自分の左腕に爪を立て、下に一気に引き下ろした。

赤い鮮血が傷口を染める。

ツーっと垂れてきたその液体をオレの口元に運んだ。

溢れ出てくる赤で、オレは鮮烈に彩られていく。

最高の気分だった。

どこからともなく力が湧き、今なら何でもできる気がした。


「そうだ、ベルウ。

お前の初戦は、コイツでいいだろ。

お前に長年害を齎していたらしいじゃねーか」


「そう、ですね……。やっていいですか?

そうですか、なら思う存分、赴くままに!」


 気付けば、先輩の立っていた場所に、生物の影はなかった。

周囲に焼け焦げた匂いが漂っていただけだった。


「さぁ、初戦の勝利に喜んでいる暇はないぞ。

ここからが本番だ。もう準備はできている。

お前はどうだ?」


 淡々と投げられた質問に、簡潔にただ真っ直ぐ答えた。


「最高です」


 タナトス神の顔が歪んだ。眼福だった。


「明日、下界の王都は焦土と化すだろう。

お前と二匹のドラゴンによって。

そこには、お前の仇の首もある。……期待しているぞ」


「はい」


 オレは生まれてきた意味を知った気がした。

いや、今日ここでもう一度生まれたのだ。

王都でも何でもかかってこい。

弟の無念を晴らせるならば、オレは悪魔にでも地獄の使者にでもなってやる。




✕✕✕




 オレは王都を闊歩していた。

堂々と、肩で風を切るように。

熱風が心地いい。

ここは最高の晴れ舞台だ。

鬼の形相を見せる『我世』隊員達に、逃げ惑う王都の住民達。

どれも滑稽で愉快だった。

上空で踊るドラゴン共も心底楽しそうだ。

さて、弟の仇を殺そうか。

そう思った時、一人の男が崩れかけの家屋脇から飛び出した。

単騎かと思ったが、後ろにも数人引き連れているようだ。

だが、何と言ってもその仮面。特徴的な外見だった。

心の中で確信する――コイツだ。

弟がこっぴどくやられて帰ってきて、開口一番。

オレは仮面を着けた男にやられたと、そう言っていた。


「貴方の名前は何ですか?」


 知らず、名前を確かめるオレ。

突っ込んでくる輩は――。


「はぁ⁉ 俺はザビだ!

そして、お前をぶっ倒す者だ!」


 その名が鼓膜を震わせた時、頬が熱くなった。

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