3-17.最強の老いぼれ、追う二人
これほどまでに身の毛のよだつ笑顔があっただろうか。
口角も上がっているし、目尻も下がっているというのに、目の奥だけが
不意に肩口に置かれた手に力が込められた。その力はどんどん強まっていく。
ただの一つも言葉を交わさない。ほんの少し上がっていた口元に、白い歯が見え始める。
へイリアさん、頼むから止めてくれ。少しずつではあるが、肩から鳴ってはいけない音が鳴ってきている気がする。
痛い。痛い。痛い。へイリアさんの血管の浮き出た手が、小刻みに震えている。
何か話せよ。話してくれよ。
確かにノックもせずに入ってきた俺は、失礼だったかもしれない。
あれだけ好青年君が忠告してくれていたのに無視していたのだから、こんな結末になるのも自業自得なのかもしれない。
こうやって面と向かって言葉を交わせる距離にいるのに謝ろうともしない俺は、へイリアさんに激怒されてもおかしくないかもしれない。
でも。今、この人間離れした力を前にしては、人間の土台で考えるのは間違っていると思う。
そう結論付けた俺は、現在巻き起こっている事件を再現するようにへイリアさんの肩に手を伸ばした。
置いたと同時に、ギュッと握り込んだ。
曲がりなりにも俺だって鍛えている。柔な身体で、この世界を生きようとしている訳ではないのだ。
俺の反撃に思わず顔を歪めるへイリアさん。
謎の耐久戦が幕を開けた。お互い一歩も引かない攻めの姿勢。
常に全力を相手の肩に注ぎ、あわよくば壊れてしまえと更に力を込める。
なぜこんなことをなどという感情は次第にどこかに消え失せていった。
ただそこにあったのは、勝ちたいという根性だけだった。
どれだけ時間が経ったのだろう。誰かがこの
「あぁ、これは! テムさんじゃないですか!
お疲れ様ですー」
バッと俺の肩から手を放すと、部屋に入ってきた人物に挨拶をする。
俺もつられて手を放し、テムと呼ばれた人物の方に顔を向けた。
この人は、確か第三部隊の部隊長テールム・ペルティさんだ。
俺達の衝突を受けて、仲裁にやって来たのだろう。
部隊長も実に大変な仕事だ。心底他人事な感想を抱きながら、テールムさんの言葉を待った。
テールムさんは呆れた顔を見せ、大きな溜め息を吐き出す。
「はぁー。色々言いたいことはありますが、まず言っておきましょう。
……貴方、ザビさんですよね。
どうしてこんなところに?」
テールムさんの興味は、まさかの俺に向いていた。
予想外の言動に理解が遅れ、ハッキリしない返答をしてしまう。
「はいはい。どうしてこんなところに……って、え? え?
俺、ほら、あの、ねぇ。
へへへ、へイリアさんと友達だからさぁ……なんて」
「リアと友達ですって⁉
ザビさん、それは本当ですか?」
「いやいやいやいや! それは流石に誤解ですって!
コイツが勝手に言ってるだけですから!」
二人の動揺具合を見て、少し楽しく感じてきた。もう少し遊んでみよう。
「いやいやいやいや! そうなんですよ!
俺達、
「はぁー、それはそれは!
私は存じておりませんでした。
なぜ言ってくれてなかったんですか、リア!」
「あぁぁぁぁぁぁあああ!
ちっがぁぁぁぁぁぁあああう!」
へイリアさんが発狂したところで、一旦おふざけを止めることにした。流石に可哀想になってきてしまった。
それにしても、『
へイリアさんが落ち着いたところで、俺はちゃんとした情報をテールムさんに伝えた。
『
ふむ、何か思案するような表情を浮かべた後、テールムさんは改めて俺に質問を投げてくる。
「そうでしたか。
本当の友達でなかったとすると、なぜこんなところにまで足を運んでくださったのですか?」
「普通に生活をしていても他部隊の様子って情報なしじゃないっすか。
だから、ちょっと気になって。
どんな生活をしているのかな、と」
嘘偽りのない言葉で、テールムさんの目を真正面から捉える。
俺からの視線を受けて、納得したような表情を見せてきた。
「なるほど。わかりました。
でも、いくら顔見知りであっても、殊この男の元に来るのは間違いでしたね」
「間違い?」
「そう、できれば避けた方がよかった。
なぜなら、リアは人一倍自己を鍛えることに情熱を注いでいるからです。
リアのお父さんのことは知っていますよね?」
「あぁ、勿論。
我が部隊の長、エラーこと、エラルガ・マルッゾだな」
「リアの人生における最大の目標は、その父ただ一人なのです。
父を超えるために、片時も強くなることを忘れたことはありません」
リアの目標は、エラー。エラーを超えたいと願っている。そのための努力を惜しんでいない。
それって――俺と同じじゃないか。
「俺もエラーから『勝ち』を捥ぎ取るために毎日修行を続けている。
そうか。へイリアさんも同じだったんだな」
「ザビさんもやはり、第二部隊に配属された以上は目標にしますよね。
でも、リアの場合は覚悟が違うんです。
リアは自分が修行している時、絶対に他人を近付けません。
近付いた者は誰であろうと、容赦はしないのです。
自分が強くなって、エラーに勝つ。
そのためには、多少の非人道もよしとします」
「だから、俺がここに入ってきた時……」
「すまなかった、ザビくん。
悪気はなかったんだ。
修行中は誰にも邪魔されたくないもんで」
「いや、俺も悪かった。
ここで罰せられるべきは俺だけだから、謝らないでくれよ、へイリアさん」
「リアでいいよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」
「そうか、わかったぜ、リア」
「そう来なくっちゃな、ザビくん!」
俺達に一応の平和が訪れた。リアにも目指すべき背中があって、その背中は俺の目指すべき背中でもあった。
どっちが先とかじゃない。でも、二人共、超えていかなくちゃな。
あの、自分が最強だと威張り続けている、老いぼれなエラーを。
若干動かしにくくなっている肩を回しながら、今度は第四部隊宿舎に向かうのだった。
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