3-10.テキトーで『バカ笑い』を続けた日々

※今回は、ケルー視点から展開されていきます。



 オレには、たった二人、家族と呼べる人がいた。

姉ちゃんと兄ちゃん。

姉ちゃんはオレが物心つく前にいなくなってしまった。

厄介な色恋沙汰に巻き込まれたらしい。

だから、オレには、信頼できる存在が兄ちゃんしかいなかったのだ。

兄ちゃんは優しかった。オレの全てを許してくれた。

どんなに人様に迷惑をかけても関係ない。

お前はお前の道を歩めばいいのだと、背中を押してくれた。

でも、一つだけ強要されたことがある。

それは、大きな声で笑うことだった。

できるだけド派手に、それでいて楽し気に笑う。

そうすれば、運命はお前に味方してくれる。兄ちゃんは力強くそう言った。

確信のこもった、かっこいい表情だった。

事実、兄ちゃんは大きな口を開けて笑っているうちに、どんどん状態を好転させていった。

兄ちゃんは最終的に地獄界に就職し、安定した収入を稼ぐようになった。

オレはなかなか社会に馴染めず、孤立した。

好き勝手に暴れてしまったことで、皆はオレをことごとく嫌った。

砂をかけられ、急に脅かされ、殴られ、蹴られ、汚物ゲテモノを食わせられ……。

反論しようにも丁寧な言葉遣いをしようものなら、言葉を紡ぎ切る前に服を脱がせられた。

できるだけ短く、軽い言葉遣いを心掛けた。

そうしなければ、ものも言わせてくれなかった。

 もう外には、救いはなかった。

家に帰ると、兄ちゃんに泣きつき、朝まで拘束を解かなかった。

だから、兄ちゃんの負担はどんどん大きくなっていった。

その過程が苦しかった。

でも、縋らずにはいられなかった。

誰も受け止めてくれる人がいなかったから。

その時のオレは、死んでいたと言っても過言ではない。


――『神様』なのに、『神様』の力を有しないなんて。


――望まれたわけではないのに、この命を得たのか。可哀想に。


――なんてボロボロなの! 汚らわしい。


――あぁ、あの三神ですか。

一柱を除いて皆、地獄行きでしたね。

ふふっ、そうか、そんな立派な一柱も地獄に行っていたか。


 言葉は刃物だ。

なんのこっちゃわからないが、鋭く尖った刃先を突き立てられていることだけは理解できる。

時には刺さって大怪我をさせられる。

そんな事故が起こっても、施されるのは見せかけの優しさだけで心は冷たいままだった。

オレは似非えせの『神様』だったらしい。

列記とした『神様』のように振舞っていてすみませんでした。

オレは最初から望まれていなかったらしい。

生まれてきてしまって、本当にすみませんでした。

物を使い倒し、そこら中に穴や汚れが目立っていたらしい。

新しい物を買うお金もなく、満足に洗濯、修繕もできず、本当に本当にすみませんでした。

 兄ちゃんの胸の中で泣く。

服がよれても、涙で冷たくなってもお構いなし。

神生じんせいの限界は、ここにあった。

 そんな時、オレに救いの手を差し伸べてくれる『神様』がいた。

それがボス、タナトス様だ。

タナトス様は力のなかったオレに地獄を統べる『神様』の血を飲ませ、力を与えた。

『神様』の理を超えた力に、興奮は収まらなかった。

次々と仕事を熟し、周囲を力で捻じ伏せていく。

幼き日々が重なった。テキトーで『バカ笑い』を続けた日々が。

タナトス様も何も言うことはなかった。

それからは、兄ちゃんの負担も軽くなり、オレはオレを手に入れた。

 オレが定職に就いた時、兄ちゃんに笑顔が増えた。

でも、その笑顔にはどこか影があるような気がした。

前と変わらない『バカ笑い』の筈なのに、どこか異なっている。

その差異に気が付いたのはいいものの、当の本人は否定し続けた。

そんなことは断じてない。変な詮索はよしてくれ、と。

その疑念だけは、ずっとずっと残り続けていた。

 今日もまた、オレは兄と挨拶をかわし、この地上に降臨してきた。

だが、目の前を見てみろ。赤黒い光線がもうすぐそこまで迫ってきている。

オレは負けた。ここでオレの命は終わる。

オレの短い神生の中で、一つ悔いが残ったとするならば――。


「兄ちゃんの、本気の『バカ笑い』。

また見たかったな」


 誰に聞かれるでもないその一言は虚空に溶け、オレは光に飲み込まれていくのだった。




✕✕✕




 ここは天空一階層から五階層までが吹き抜けとなり、灼熱の大地が広がる地獄界。

その雑用として働くベルウは、今日も今日とてせかせかと働いていた。

この職業に就いてから、もう何十年も経っている。

ここでは毎日毎日、罪人がやって来てはどの地獄に堕ちるのか、その決定がなされている。

何せ、天空一階層から五階層までの全てが一体となった、広大な世界だ。

多種多様な地獄が用意され、罪人達に反省の機会を与えてくれている。

ここは最後の救いの場なのだ。

 ちなみに、『神様』が死ぬと、特大の警報ブザー音と共に、地獄の者総出で歓迎を行う。

膨大な神生の中で行ってきたことを評価し、賞賛するのだ。

まぁ、滅多に起こることではない。その時が来たら、しっかりもてなせば良いのだ。

そう一人で決定づけ、仕事に戻ろうとすると、先輩が話しかけてきた。


「お前、そろそろ風呂入れよ。くせぇから。

あと、仕事中に何ぼーっとしてんだよ!

忙しいんだから、しっかり働けって」


 お叱りの言葉だった。

ベルウは少し俯いたが、再度顔を上げ、大きな口を開いて笑った。


「ギャハハ! すみません!

少し考えご……」


 腹に強い衝撃が走った。どうやら殴られたらしい。

毎日毎日繰り返される展開だった。


「何笑ってんだよ!

お前、いつも抜けてるって言ってるだろ!

笑いじゃ済まされない事態でも起きたらどうすんのさ!」


 一呼吸置くところに一発ずつ殴られる。

先輩だってぼーっとしている時間、いっぱいあるじゃないか。

ニヤついた口元が目に入って、反論の一言でも言いたくなる。

でも、そんなことを許されている身分じゃない。


「す、すみません」


 謝罪を述べるのが限界だった。

しどろもどろでも、弱々しくでも謝らないことには明日の首もつながらない。


「はぁ、もっとちゃんとしてくれよな。

もう長いんだから。それとも俺様の恩、忘れちゃった?

俺様、チョースゲーから地獄ここの『神様オーナー』と仲良いんだよねぇ!

だから、君は俺様の厚意にあやかって、地獄ここに身を置くことができる。

でしょ?」


「はい、そうです。

先輩のおかげで、今アイツと食っていけるんです」


「ま、わかっていればよろしい。

じゃ、今度はちゃんと働いてくれよ?」


「……はい」


 先輩は去っていった。これが現実だった。

笑いは幸せの象徴だ。

できるならむっすりしているよりも、笑っている方がいい。いいに決まっている。

口角を引き上げて、大きな声で、目尻に皴が入るくらいの『バカ笑い』。


「ギャーッハッハッハッハ‼」


 何も起こらない。何も生まれない。

それはなぜか。本気じゃないからだ。

実際、オレは今までも一度も笑えたことはなかった。

ただの一度も、本気で。

だから、弟には、弟にだけは笑って過ごしてほしかった。

好きなことをすれば、幸せになれる。

何も知らないオレの答えだった。

弟は笑っていた。一度は絶望も味わったけど、また『バカ笑い』できるようになった。

アイツ、今日の仕事は大丈夫だったかな。

下界へ降臨して、標的ターゲットを倒すとか言っていた。

家に帰ったら、またアイツの笑い声が――。

 その時、オレの耳に信じられない音が聞こえてきた。これは、これはあの――『神様』の死亡を告げる警報ブザー音。


(ブィィィィィィィィイイイン! ブィィィィィィィィイイイン!)


――緊急事態発生、緊急事態発生!

至急職員は地獄界入場門前にまでお集まり下さい!


 噂なんてするものではなかった。

ここの仕事を一生続けていてもその場に立ち会うことは少ないと言われている事態だ。

皆焦りに焦り、そこら中で怒号が響いている。

同じ目的地に向け、走っていく職員達。

廊下はかつてないほどの密度を誇り、前に進んでいくのも一苦労だった。

やがて、やっとの思いで着いた入場門には、紙に書かれた絵だけが置かれているようだった。

そうか、本体の損壊が激しすぎて、ここにはもうないのだ。

一目顔だけでも拝まねば、地獄界の職員として面目が立たない。

人込みをかき分け、最前列まで乗り出すと、そこにはオレのよく知る、なんなら今日の朝も挨拶をしてきた『神様』の姿が描かれていた。


「……ケ、ケルーじゃないですか」


 一言。しどろもどろで、弱々しい一言だった。

鼓動が早まっていくのを感じる。

額から汗が噴き出し、その絵からどうしても目が離せない。――その時、オレは猛った。

集合に押し潰されそうになりながら、力づくで抜け出していく。

誰かから苦情が飛んできた。

当然無視し、無理やりにでもその輪から這い出した。

先輩の声が聞こえた気がする。

また、難癖をつけているのか、必死の形相がチラリと見えた。

謝る必要――もうないだろう。ケルーが運ばれてきたであろう、この入場門から今度はオレが飛び出した。

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