2-31.先生の幻惑
朝の修行を終え、約束の時間がやってきた。
ついに、
実は、イノーさんから修行を
思い返してみても、顔から汗が噴き出すほど恥ずかしい。
『我世』の権力者であるイノーさんなら、急な考えでもなんとか話を通してくれると思っていた。
エラーとの修行もあれよあれよという間に決まったこともあるのだし、もしかしたらという希望的観測があったのだ。
まぁ、実際のところは第四部隊の部隊長さんでさえも、今日決めて明日決行という訳にはいかなかったらしい。
結局、五日後にまで引き延ばされることとなった修行の開始日。
そのことをイノーさんの従者が、甲斐甲斐しく静かに酒場の席に座る俺に伝えてきた。
大人で、
従者は翠色の瞳と、ハーブ系の香りが印象的な女性だった。
顔を仮面で隠し、外套の
仮面同士が何かを話している光景は、きっと異質なものとして捉えられていたことだろう。
……まぁ、でも流石に何かの勘違いだろう。
そんなことを考えていると、肩口に優しく添えられる手があった。
「やぁ、色々とすまなかったな、ザビ少年」
青藍の短い髪が、目深に被られた
そこには、優しく弓なりに目を細めているイノーさんがいた。
「とんでもねぇぜ! 時間取ってくれてありがとよ!」
「よし、じゃあ塔まで一緒に行こうじゃないか!」
「おう!」
短く取り交わされる会話の応酬。
待ち侘びた感情が止まらず、声高に返答する。
心なしか答える早さがいつもの数倍になっている気がするが、自分では制御できそうになかった。
イノーさんは一体どんな修行をしてくれるのだろうか。
俺はイノーさんに連れられて、塔――『
✕✕✕
『
あまりにも巨大であることから、世界のどこからでも塔の先端を拝むことができると人々からは持て囃されている。
「もちろん一般人の立ち入りは禁止されているが、今回はワシたっての希望だ。特別に入れてやれることとなった。感謝し給え、ザビ少年!」
俺自身もこのことはオズの授業の中で教えてもらえていたから、事の重大さは身に沁みてわかっている。
力強く無言で首を縦に振り、感謝を態度で示した。
薄い笑みを浮かべたイノーさんはすぐさま顔の表情筋を引き締め、目の前に立ちはだかる背丈の何倍もある鉄扉に両手で触れる。
「我が名は、イノー・スー。この世界で真実を解き明かす者。さぁ、扉よ、我が声を聞け!」
何かが始まったが、俺には何のことか一切わからない。
ただその神秘的な儀式のような、洗練された口上を見届けるしかできなかった。
「親とも知れない、扉に呼応せし番の神――光明の神、アポロンに告ぐ。悪逆の輩が跋扈する混沌の世を、我が力を以て変えんことをここに誓わん! いざ、この扉を開けよ!」
一呼吸も置くことなく、最後まで言い切ったイノーさんは息を切らせながら、鉄扉をゆっくりと前に押した。
物々しい音と、尋常ならざる光を携えて、そのバカでかい鉄扉は塔の内装を俺の目に映らせた。
そこに広がっていたのは、豪華絢爛な装飾で彩られた、この世のものとは思えない
慣れた足取りで受付に向かうイノーさんに置いていかれないようにしながら、俺は口を開く。
「すげぇ……」
「ふふ、そうだろうそうだろう。だが、ザビ少年。私語は慎んでおいた方がよいのではないか? ほら……」
そう言って、顎を小さく動かした方角に目をやると、訝し気な視線を俺たちに、いや俺に向けてきている奴が三、四人いた。
……それもそうか。
俺は、第三部隊の部隊長さんが連れてきた客人。
しかも部隊長から直々に名が挙げられた輩なのだから、注目を浴びない訳がない。
いぃや、それだけじゃない。
そんな存在が落ち着き払った態度でなく、この空間についていけない雰囲気をバリバリに醸し出していたら、目を付けられてしまうのも仕方のないことだろう。
もしかしたらイノーさんの評判に傷がついてしまうかもしれない。
そんなの絶対許される行為じゃねぇぞ。
頭の中の俺が、ひっきりなしに叫び、恐怖し、また叫んでいると、前を歩いていたイノーさんから後ろ蹴りを食らった。
「胸を張って歩け。
小さく呟かれた声は、俺の中の時間を止める。
今、イノーさん、何て言った?
いつも俺のことは『ザビ少年』と呼んでいたはずだ。
なのに、なぜか今、いきなり『お前』って呼んでなかったか……。
脳が機能を果たさなくなり、ただ行動だけが整頓される。
自然と胸が開き、堂々とした足取りになっていった。
俺はきっと、イノーさんに期待されている。
指示を受けるがままに、受付を終えたイノーさんについていく俺。
少し入り組んだような道を歩き、またも扉の前に立つ。
扉の横にはいくつかの正方形の膨らみがあり、イノーさんがその中の一つを押すと、扉は音もなく開いた。
二人してその扉の中に入っていき、しばらく待機。
そうして、扉が開くとそこには、何に使うかもわからないような品々が床の至るところに転がっている、あまり片付けられていない部屋が眼前に見えていた。
液体に満たされた容器の中に生物の死骸らしきものが入っていたり、管が沢山取り付けられている人一人入れるような機械があったりと、口にすればなかなかに悍ましいものが両の指では足りないほどに置かれている。
「ここが、ワシの研究室『ウェーリタス』だ。歓迎するよ、お前」
さっきは小声で言っていたから、聞き間違えかもしれないと、そう思っていた。
だが、今回ははっきりと俺の耳が俺のことを『お前』と言っていることが聞き取れた。
「どうしてお前って言……」
理由に言及しようとした瞬間、頬に強い衝撃を受けた。
凄まじく早い
更なる意味不明な行動を前に、全く脳が言うことを聞かなくなる。
イノーさんは俺の耳元まで顔を近付け、甘噛みをするように、真実を告白した。
「今までのは、ぜぇ~んぶ
俺の記憶は、ここから一秒たりとも残っていない。
ただ一つ分かっていることは、イノーさんは俺のことを好いてなんかいなかったということ。
俺が勝手に思い上がって、盛り上がって信じていたのだと思う。
イノーさんは、いや彼女は真実を
試験当日まで、残り二十日。
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