『修行』編Ⅱ②

2-29.先生の煽惑

 暖かな陽光が降り注ぐ、寂れた馬小屋。

昨夜の、濃密な酒場での一件を思い出し、一気に眠気が吹き飛んだ。

俺、確かイノーさんに誘われてたんだっけ?


「やっべ、今何時?」


 馬小屋を飛び出して、管理棟の壁に設置されている大きな時計を確認する。

その後、思考を開始した。


「……十二時三十分」


 ま、待てよ。えっと、イノーさんはこんなこと言ってたような……。


――明日の昼、空いてたらここにきて


 ヤバい。これってまさかの遅刻か⁉


「やっちまったあああああああああああ‼」


 走りながら寝ぐせ直しなどの身だしなみを整え、すぐさま言われた場所に向かった。

 時刻は十二時四十九分。

あの時間に起きた割には、早めに到着できたのではないだろうか。

それでも一般的にお昼と言えば、十二時近辺のことを指すことも多いため、不安感が消え去ることはなかった。

さて、イノーさんはどこにいるのだろうか。

きょろきょろと辺りを見渡して、それらしい影が見つからないことに焦りを覚える。

もうあまりにも遅い俺を見かねて帰ってしまったんじゃ……。そして、ここで気付いた。


「これ、ハメられてるってこともあるんじゃ?」


 よく考えてみろ。俺を誘う利点がイノーさんにあるのか。

イノーさんにとって、俺は恰好の玩具ともいえるのではないか。

だとしたら、俺くっそ恥ずかしい奴だ。

大人っぽい誘い文句にまんまと誘われて、いざいなかったらあたふたなんかしちゃってよ。

……あぁ、ばっかみたい。

右足を軸にくるりと半回転し、元来た道に戻ろうとすると、腰に手を回しグイっと近寄せる存在がいた。

これ、昨日の感触と同じ――。


「やぁ、来てくれたのだな。

嬉しいよ、ザビ少年」


「あぁ!」


 俺は秒で力強く返事をしてしまった。

きっと満面の笑みを浮かべていたことだろう。

 昨日と同様の席が空いていたので、そこに俺達は座ることにした。

昨日とは打って変わって、深々と外套の頭巾フードを被り、一見誰なのか分からない。

そういえば、この人も『我世』の第三部隊の隊長さんなら、こんな昼間っから男と会っていて良いのだろうか。

もしかして、そのための格好なのか?


「仕事は大丈夫なのか?」


「あぁ。今日は有給を取らせてもらっていてな。

どうせ暇な時間があるなら、楽しい

時間を過ごしたいだろう?

だから、ザビ少年……君なのさ!」


 さも当然、この答えしかないみたいな勢いで押してきているが、全然その理屈は分か

らない。


「えっと、なんで俺?」


 顔の横にある触覚のような髪を耳にかけ、挑発的な視線をこちらに向ける。

まるで罪人を試す、審問官のような目つきに思わず息を呑んだ。

鼓動が高鳴り、全身が熱くなっているのを感じる。


「ワシは君のことが好きだ。

とても興味があるのさ」


 世界が止まったような気がした。

言葉がうまく出てこないどころか、息すらすることを忘れてしまっている。


「す、すす、好き⁉

なに意味不明なこと抜かしてんだよ!」


 動揺で声が上擦ってしまった。しどろもどろになっている辺り、本当に情けない。

だが、そうならざる負えないほどに言葉の意味を理解しかねている。


「何をそんなに焦っているんだ。

ちゃんと好きだから安心しろ。

ほら、ワシの目を見るがいい。

嘘をついているように見えるかい?」


 イノーさんは、何の曇りもない純粋な目をしていた。

吸い込まれるような、その栗色の瞳を見て思わず一言呟いてしまった。


「……綺麗だ」


「ふふっ。なかなか嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


 思った時にはもう遅く、もうどうにもならないタイミングで口元を両手で隠す。

その様子にイノーさんはケラケラ笑って、本当に楽しそうにしている。

昨日の今日で、こんなに思ってくれることって実際あるのだろうか。


「隠し事はできないこと、ザビ少年はよく知ってるだろう?

どうしたんだ、『昨日の今日で、こんなに思ってくれることって実際あるのだろうか』みたいな顔をして」


「イノーさんっ‼」


「ノッホッホッホッホッ!」


 くっそ、揶揄われてばっかだ。でも、楽しそうにしてるイノーさんってなんか素敵だな。

そんな脳の蕩けたことを考えていると、ぱちんと手を叩いて白い歯を見せるイノーさん。


「さて、こうして普通に雑談していても良いのだが、時間は無限ではないからな。

今日も夜はエラーとの修行だろう?」


 俺は頷くことで、答えが肯定であることを伝える。

ちなみに、今日の朝まで修行はお休みということになっていた。


「これは、ワシが君に何かをしてあげたくて言うことなのだが、聞いてくれるか?」


「イノーさんが俺にしてあげたいこと?

もちろん聞くぜ」


「感謝するよ。

ワシがザビ少年にしてあげたいことは……エラーのような修行だ」


「え、逆にいいのか?

だって仕事あるだろ、世界を守る大事な仕事が」


「その件については大丈夫だ。

ザビ少年には、特別に塔に上る許可を取り、ワシの仕事場にでも来てもらおう」


「イノーさんがいいなら、是非お願いしたいぜ!」


「了解した!

では明日の昼、またこの酒場で会おうな!

今日はさらばだ、愛しのザビ少年よ」


 こうして、俺はトントン拍子でイノーさんからも修行を受けられることとなった。

どんな修行をするのかも、どんなものが習得できるのかも分からないが、強くなれることはきっと相違ない。

それと、いや何より大きい、イノーさんが俺のことを好いていてくれているということ。

甚だ昨日の今日でということもあるので疑り深くなってしまうのも無理はないだろう。

それでも、本当だったら良いなと願いながら、その日の自主練に精を出すのだった。

試験当日まで、残り二十五日。




✕✕✕




 『世界の黄金郷メディウス・ロクス』への帰り道、ワシは喜色満面を湛えていた。

ザビ少年は驚くまでに純粋無垢だ。それ故、少しこうして利用させてもらうことが心苦しいように思うが、仕方あるまい。

彼は良い研究材料になる。魔法を習得することができる、唯一の『神種ルイナ』、『幻の十一柱目』なのだから。

あぁ、凄く楽しみだ。真実を見通したところ、彼は恋愛経験が乏しいようだったから、その線で攻めさせてもらったが、それも効果抜群だった。

そして、それと並行してあたかも真実のように思わせる魔法、『捏造ファブリケイト』の使用も完璧に作用しただろう。

一つ懸念点を挙げるとすれば、昨日、『神種ルイナ』のことを話す時、『ワシら』と使ってしまったことであろう。

これでエラー辺りにザビ少年が『神種ルイナ』であることがバレたらかなり面倒なことになる。

これからも発言に気を付けていきつつ、利用できるものは利用していこうじゃないか。


――ワシの目標のために。

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