2-20.太陽の誑惑

 ここには生物がいないんじゃないか。

そう錯覚を起こしてしまうほどに、音という音がその姿を消していた。

張り詰めた空気が、うまく酸素を肺まで運んでくれない。


「誰だ、お前」


 重く冷たい声音。静寂を破ったのは、エラーだった。

アナが親し気に話しかけていったのに、随分な切り返しだ。

知り合いじゃなかったってのか。


「やだなぁ、お父さん!

アタイはアナ、アナ・ロベルタ!息子リアのですよぉ!」


 エラーに息子がいたことは知っていたが、まさかのその恋人がアナだったってのか!

そら、自然とその話題も口に出される訳だ。


「あぁ、お前が先月くれーから俺ん家に何度も来てるっていう虫けらか」


 先月からじゃ知っててもおかしくないだろうに、なぜ初対面のような対応をしているのだろう。

それに、虫けら呼ばわりとはあまりに酷過ぎる。

この二人には何があるんだ?


「虫けらなんてとんでもない!

こんな超絶美人がお嫁さんになりたいって言ってるのに、どうして面会にすら応じてくれなかったんですかぁ?」


「俺の息子、へイリア・マルッゾには強くて可憐な女性と結ばれてほしいのさ。

お前に何か魔法は使えんのか?

まずそれが最低条件ってとこよ」


 おいおい、聞いたか?魔法が使えるのが最低条件だ?

魔法を使えるのは、それこそ『我世』幹部――部隊長クラスのやつだけだ。

アナに詳しい話を聞いたことはないが、使えるなんて流石に考えられない。


「アタイにはまだわかりません!

でも、絶対幸せにする自信があるんですぅ!

リアとは何度も食事に行ったり、お出かけしたりと、楽しい時間を共有できていますからぁ!」


わからないだって?

面白くもない冗談を吐かないでくれ!

そんな希望的観測でものを言われちゃ俺だって困っちまうよ!

大事なのは、ってことなのさ!」


 わかってくれよ。そう続けて興を削がれたとでも言いたげな顔を見せた。

アナから拘束した犯人役の腕を奪い取って去ろうとするエラー。

くるりと身体を翻し、良く鍛えられた太い腕を上に掲げる。

手を左右に揺すりながら、ゆっくりと中央に向けて歩き出した。


「まぁ、でも。ありがとな。

おかげで俺の解任騒動も一件落着だ。

俺には守るべき……いや、お前たちには関係ねーことだな。

さらばだよ」


 何かを言い淀んだエラーがどんどん遠ざかっていく。

本当にこのまま終わりでいいのか?

俺はもちろんだが、アナ、お前はどうなんだ?

…………良い訳がない。こんな幕引きで満足できるかってんだ!


「おい、! 俺を覚えているかい?」


 俺は仮面越しに声を張り上げる。

恐らくこの都市で、誰一人として呼ぶことがないであろう

そう、俺だけがエラーに使う名前だ。


「おっと、その声は確か……」


 興味をもった!一定のリズムで繰り出されていた足が、徐々に動きをなくしていく。

俺は右手を顔の前にもっていき、仮面に手を掛ける。

もう一方の手で、後ろで結ばれている紐をほどき、右手を下ろした。


は世話になったな。

俺は相当の実力者を自負している者だ!」


「お前だったのか!

王都竜討伐戦の時は助かったもんだ!

というか、よく生きてたな‼」


 わかってくれたみたいで、一安心だが……よく生きてたなってどういうことだ?


「俺、途中で気ぃ失っちまったみたいでよ。

お前と両翼を斬り落とした後の記憶がないんだが、少し教えてもらってもいいか?」


「おいおい、正気か? あの後、凄かったんだぜ?

まずぶっ倒れちまったお前目掛けて手負いのドラゴンが体当たりをかましてきた。

そんで、崩れかけの家屋に思いっきり頭からぶつかって、血飛沫が赤い水溜りを作ったんだ。

お前はもう死んだなって思って、気持ちを切り替えようとしたのによ。

そっから突然もう一体のドラゴンが現れて、絶体絶命だーって思った瞬間に、お前を連れてどっかに飛び去っちまったのさ。

しかも、それを見届けるかのように戦ってたドラゴンも続けて去っていったんだ!」


 あんな体験初めてでびっくりした。エラーは興奮しながら、事の顛末を教えてくれた。

一息に語ったせいか、少し息が上がっている。

やっぱりというべきか。ドラゴンを前に意識が飛んで、死んでしまったらしい。

そこから、『禁忌の砦』での記憶と同様、ドラゴンが俺をどこかに運んでいった。


「ほんとだな。俺、ほんとよく生きてたって思うぜ」


「なんじゃそれ。ラッハッハッハッハッハッハ!」


 微笑と共に漏れ出た声に、豪快な笑い声が重なる。

俺も釣られて笑い出すと、腕を突いてくる者が一人。

唯一この場の話題に付いていけないアナだ。


「盛り上がっているとこ悪いけど、アタイもう行くねぇ。

騙してごめんなさい。それじゃ……」


 いつものアナらしくない、今にも消え入りそうな声が投げられた。

おい、ちょっと待てよ。俺が声を出す前に、中央に向かって走り始める。

アナのことも正直気になる。

でも、今はこの好機チャンス逃す訳にはいかないんだ。

俺は仮面をもう一度着け直す。

勢いで仮面を外してしまったが、誰か有識者に見られなかっただろうか。

もし発見されていたとしたら――。

今は考えないようにしよう。目の前のことに集中だ、集中。

真正面からエラーと向き合う。

咳払いをして、改まった空気感を演出していく。


「なぁ、メガネ野郎。

……いぃや、エラルガ・マルッゾさん。

一つ頼み事があるんだが、聞いてもらっていいか?」


「おいおい、なんだよ。改まっちまってさ」


「もうあれこれ遠回りして言うのもめんどいから、単刀直入に言わせてもらう!

俺に、修行をつけてくれ‼」


 ばっしり言い切った。

色々と論理立てて、あーだこーだ言うことだってもちろんできただろうが、それは俺にもエラーにも合っていないだろう。

エラーは、しばらく目をぱちくりさせていた。

あまりに唐突に言い渡された事柄に拍子抜けしていると見受けられる。

まぁ、普通は動揺なり何なりを見せてきてもおかしくない。

エラーは三秒間ほどアホ面を見せていた。

が、やがて少々の笑みを湛えながら、大きく頷く。


「いきなり何言いだすかと思ったら、そんなことかよ!

いいぜ、俺に付いてこれるならな!」


「おうおう、言ってくれんじゃねーか!

お前こそ、俺が凄すぎて音ぇ上げんなよ‼」


 こうして、紆余曲折ありながらも俺は無事エラーからの修行を受けられることとなった。

これから過酷な訓練カリキュラムが沢山降りかかるだろうが、乗り越えてってみせる。

アナには傷を負わせちまったかもしれない。

自業自得だったとはいえ、流石にあの言われようは苦しいものがあるだろう。

折を見て探しにでも行こう。

そう心に決めて、その日は家路に着くのだった。

試験当日まで、残り三十一日。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る