2-12.もう一度、ただいまって言うために

 時刻は昼を挟んで、午後一番。始まりの『禁忌の砦』の中で、俺は決戦に臨もうとしていた。

相対するは、もちろん因縁の相手オズだ。

オズはゆったりとした構えをし、両の眼で俺に照準を合わせている。

互いの呼吸が、その場を盛り上げる出囃子になっているようだ。

一定のリズムで、徐々に体感温度が上がっていくのを感じる。呼気にも力が籠っていく。

今日こそ勝って、気持ちよく旅に出る。

いや、お前に勝つまで旅に出ることなんてできやしない。だから、絶対勝ってやる――。

 オズが動き出した。もう何度も見た初手だ。

一直線に、こちら目掛けて地面を蹴ってくる。

フェイクには気を付けろ。俺はお前が決め手に右を使うことも知っている。

手の内は全部知ってんだ。甘いと言われたあの日から、数えて五日。

『トマヨーシ』を作ったあの日以外は、来る日も来る日も戦った。

何度その拳を真正面から受け止め、何度地面と舞踏ダンスをしたか。さぞ目を惹く紅が映えたことだろう。

でも、もう沢山だ。同じシーンが描かれ続ける絵本、小説なんて、誰が読みたいというのだろうか。

眼前覆うオズの身体。左手を振り上げ、ストレートを浴びせようとしている。

フェイクのことも考慮と考え過ぎていたことが、ここ数日の敗因だった。

拳が高い位置に掲げられたら、すぐさま退避。

そうやって決定打が出せないまま、じわじわと体力と集中力を削られ、ふとしたタイミングで勝負を決められてしまっていたのだ。

だから、今日は――その懐に踏み込んでみる!

間合いが変わり、焦るオズ。すかさず屈みこんでアッパーを飛ばす。

間一髪のところで避けられ、勝負は決まらない。

でも、焦ることだけは何があってもしてやらない。焦ったら相手の思う壺。

この絶好のチャンスを逃してやられることも、何回も経験した。

同じ過ちは食べ飽きたんだよ!今度は豪華なステーキでも食いたいもんだ‼

よろけたオズを両手でもって突き飛ばし、地面に叩きつける。


「グハッ」


 衝撃が肺から空気を押し出した。そのまま胸ぐらを掴み、右拳に力を込める。

最高の結末フィナーレを飾ってやるぜ!

俺は勢いのまま、その顔面に拳を落とした。


「…………」


「…………」


「……あ、あの」


「ザー!」


 地面に横たわる、紺碧の髪をして、オールバックに仕上げた男の口から強く発せられた一言。その場を一気に掻っ攫う。

何かを話そうとしていた俺の口は、ピタリと閉じられた。


「……正々堂々の『勝ち』取られたヨ。おめでとうネ!」


 ドがつくほどの直球が俺を祝福する。

視界が揺らいだ。オズの輪郭が分からなくなる。

込み上げてくる思いが、胸を焦がす。

ぽたりぽたりとオズの白くきめの細かい肌に、水滴が落ちていく。


「俺の『勝ち』だ。ありがとな、オズ!」


「……はいネ~!」


 俺はついにオズから『勝ち』を奪い取った。これで晴れて旅が始められる。

お前の『願い』を果たしてやれるんだ。

左手を差し出し、上体を起こさせる。真っ白い歯を見せたと思えば、二人とも破顔していた。

 今日、俺は長らく世話になったオズを離れ、新たな師匠の元へ旅に出る。

修行先はもう決めていた。どうなるかは分からないが、とにかく伝のない俺たちは当たって砕けろの精神で突き進んでいくしかないのだ。

オズとの生活は、本当に長く、それでいて最高に尊いものだったと思う。

いきなり真っ白い部屋で目が覚めて、オズと出会って。

知らないことを知っていく中で、オズが大事な存在になっていった。

沢山のことを経験して学んで強くなって、今ここにいる。

あれ、でもなんかおかしくないか?

俺は王都竜討伐戦に参加後、死んで、ここに来た。

でも、記憶の中では俺は王都に向かう前、ここにいたことになっていたし、なんならオズと楽しそうに会話をしていたような……。

気になって俺は、オズに尋ねた。


「俺が王都に向かう前のお前との生活って、どんな感じだったんだ?」


 素朴な疑問、率直に気になったことを聞いたのに、なぜか口ごもるオズ。

俺は不思議に思って、更に核心に迫るように追随して声を発す。


「あ、そう言えば!

お前、俺が昔も爆笑してたかって聞いた時、爆笑してた、大爆笑だったって言ってたよな。

なんで今回、こんなに喜怒哀楽が大きいんだ?」


「やだネ~。私たちの仲を疑ってるのカナ~?

私たちはずっと仲良しで、今回が特別喜怒哀楽が大きい訳じゃないヨ~」


「おい」


「え、なにネ~」


「隠し事、してんだろ?」


「は、何のことネ?私知らないヨ~」


「こっちこそ、は、だぜ。全く顔に書いてあるっつうの」


 そう、オズは明らかに動揺を見せないようにしていた。

でも、ずっと聞いてきたねっとりとした、能天気な声音。

意識せずとも身体で、心で感じられるようになった。

オズが何か隠し事をしているとき、若干声のトーンが下がるんだ。

多分オズの声を一度や二度聞いたくらいじゃ分からない。

俺だから、違いが分かる。

でも、その詳細までわかるほど俺は器用じゃない。

だから、嫌がられたとしても、俺の心が痛んだとしても聞いてやるんだ。


「もういいだろ。俺たちの仲だ。

ちょっとやそっとじゃ、幻滅なんてしたりしないさ!」


 冗談めかして、軽く吐くことを促してみる。

オズも子どもではないし、俺への信頼は厚い。

ふぅーっと息を吐いて、眉毛を八の字に曲げた。


「なんでもお見通しってとこだネ。ザーは積極的、悪く言えば強引ヨ。

でも、そんなとこもいいと思うネ。確か最初それっぽいことを言った気がするサ~」


 確かに言っていた。昔からそういうとこ嫌いじゃない、と。

でも。

そう言って、俺を真っ直ぐ見た。


「そうだ、せっかく教えたネ。自分で確かめてきなヨ、ザー」


「それもそうだな、『回顧リコレクト』」


 オズの周りに歯車の数々が回り始める。輪郭が二重三重にぼやけていく。


 ――これは、一か月ほど前の記憶。

俺は『忘れじの間』にいた。大人しく横になっている。

一か月ほど前ならば、王都竜討伐戦の前ということになる。

今のところ、寝ているがオズの姿は見えない。

いつもだったら、即刻駆け寄ってきてもよいものだが、それがないのは不自然極まりない。

何かがおかしい。直感という名のベルが、耳障りなくらいに鳴っている。

窓がないので、外の様子が分からないのが辛いところだ。

一つしかない扉に何かの足音が近づいてきた。

バンっと開けられた扉の後ろに立っていたのは、言わずもがなオズだった。


ネ……」


 やっぱり?何かいつも通りなことが、いや期待通りになっていないことが予想される。


「もうこの人ずっと起きてくれないヨ。

五年前、突然この場所に導かれたと思ったら、この人を見つけてサ。助けようと思っても、その時は『ザー』と微かに呟く以外、何も話してくれないんだものネ。

全く私にこれを見つけさせて、何させたいんだヨ~」


 ザーって呼ばれてたのは、こういうことだったんだ。そもそも俺の名前なんか知らなかったってことだ。

無理もないか。だって、オズは生まれて間もなく、天界へと連れ去られてしまったのだから。

一度たりとも会ったことも、聞いたこともなかった。

そんでもって、俺は一か月前昏睡状態だった、と。

 一気に時間が進められる。三週間後ほど過ぎ去った。

ここまで何の動きも見せなかった俺が、ついに意識を取り戻す。

オズがいうには五年ぶりだそうだが、なぜ五年も寝たままで死ななかったのかは分からない。

それでも、起き上がって辺りを見回しているし、生きていると考えるしかないだろう。

オズが生体反応でも感じ取ったのか、とんでもない勢いで部屋へと乗り込んできた。


「やっと目覚めたんだネ、ザー」


 聞き覚えのあるセリフが聞こえた。これは、確か王都竜討伐戦後に復活した時も、同じセリフを話していた。

あえて、なのだろうか。

これまた分からない。もしかしたら、前に可能性として挙げた、赤い色の光が絡んでいるのかもしれない。

『神様』によって、記憶が操作されているという考えだ。

あくまでであり、推測の範疇からは抜け出せないが……。

とそこで、いきなり視界に異変が起こる。

オズや俺の声がなんと言っているのか聞き取れなくなる。

……いや、違う。これは、聞こえなくなってるんじゃなくて――速度が速くなってるんだ!

どんどん倍加されていく再生速度に、俺の思考は置いていかれる。

そして、一気に数日が経過しある日の昼下がりになった。この日はよく覚えている。

そう、この日は王都竜討伐戦の日だ。

 つまり、オズが確認してほしかったことはこういうことになる。


――王都竜討伐戦以前の関係性は、たった一週間程度で培われたものしかないということ。


 それはこうも違うわけだ。俺は、一人納得し、『回顧リコレクト』を解除した。




✕✕✕




 俺たちは会ってから今までで、この直近の一か月程度しか関われていないということが分かった。

これまでのオズの言動は、全部嘘だったってことだ。

でも、今ならわかる。お前は誰かが隣に居てほしいって、ずっと思っていたんだよな。

だから、仲が良かったなんて嘘をついて、仲良くなる下地を作っていた。

そんなことしなくても、実際俺は仲良くした。

でも、お前はこれが最善だと思って、行動に移したんだ。

色々なことができる癖に、こんな可愛いところもある。なんとも隅に置けない奴だな……。

心の中で、微笑を一つ漏らしたのだった。

 これは、お別れなんかじゃない。もう一度、ただいまっていうための、ただのお出かけだ。またすぐに帰ってくるさ。


「それじゃあ、またな、オズ。俺の心強い仲間で、優しい親友で、温かい家族!」


「はいネ~! 今度会うときも『トマヨーシ』作り負けないからネ~!」


「言ってろネ~」


「だから、マネしないでネ~」


 大きく大きく手を振った。何度も何度も手を振った。

オズが豆粒くらいになっても、手を振り続けた。

きっと迎えにくるから、お前を救い出してやるから――。

 目的地は王都。

あのドラゴンを一緒に倒そうとしたメガネ野郎の元へ、とにかく向かってみようとオズと話し合う中で決めた。

果たしてメガネ野郎は修行相手になってくれるのだろうか。

試験当日まで、残り四十日。

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