2-11.『目標』と『約束』
大穴の開いた砦には、今日も今日とて太陽の光が降り注ぎ、激しく殴り合う二人の汗を煌かせた。
一昨日ようやく『
俺は未だオズから『勝ち』をもぎ取れていない。
俺も考えなしにただ戦ってきた訳ではない。幾度も拳を交えてきたからこそ、オズの手癖もなんとなく掴んできていた。
オズは左利きであることから、左サイドの攻撃がより強烈なものとなっている。
その反面、左に頼りがちで、最後の決め手はほぼ確実に左手が使われるのだ。
この事実を利用しない手はない。
そう思って試しているのだが、どうにもうまくいかなかった。
攻撃は当たるものの、決定打にはなり得ていない。うまくいなされるか、しっかりガードされるかの二つに一つなのだ。
「あっ」
やばい。考えに集中しすぎた。小さなスキが生まれる。
見逃さない。見逃すわけがない、あのオズが。
すかさず、得意の左ストレートが繰り出された。
「はいネ~! これで私の『勝ち』ヨ。
今日は、あともう一セットやるネ~」
俺が真剣に足りない頭をフル稼働させているっていうのに、遠慮配慮なんてものはない。
だからと言って、手を抜かれて勝ったとしても、釈然としないだろう。
そう、これでいい。本気のぶつかり合いをして、お前から『勝ち』を奪い取りたいんだ。
「じゃあ、二セット目開始ネ~」
所定の位置に素早く戻ったオズは声を上げると、間髪入れずに俺へと距離を詰める。
……まぁ、それもそうか。これはあくまでオズが無意識化のうちに行っている決着の付け方であって、俺を『勝ち』に導く方法ではない。
いや、勝負を決しようとする瞬間、左に意識がもっていかれるなら、右サイドにちょっとのスキが生まれるのではないだろうか。
試してみる価値はある。
オズはもう目の前にいた。左の腕から手までを後ろに引き、力を込めるようなポーズ。
一撃で勝負を決しようとしてきている――。
チャンスは今しかない。俺は振り下ろされてくる左拳を直前まで待ち、ついに顔の五センチ前。
よし、もらった。これで、俺のか……。
「甘いヨ、ザー!」
激突寸前の左拳を引っ込め、俺からもらいそうになった右アッパーを難なく避ける。
そして、何事もなかったかのように右ストレートが炸裂した。俺は静かに後方へと倒れる。
まるでお手本のように、オズのストレートは俺をガッチリ捉えた。
意識が混迷し、視界がぼやけていく。
「……まだ終わりたくないからサ」
何かが聞こえた気がした。
何を言ったのか、聞き返したい俺の心とは裏腹に、感覚はどんどん遠のいていった。
オズとの日々は淡々と続いていった。毎日欠かさず、組手に挑み続けている。
まだ、勝てない。
でも、何とか最近は突破口が開いてきた気がしていた。
オズが俺の攻撃に対して、身体を引くタイミングが増えてきたのだ。
これは正しく俺の攻撃がオズを追い詰めているということで間違いないだろう。
組手の修行を始めた時、そのような動きは見られなかったのだから。
今日の
「今日は前々から言っていた、あの先が尖った細い棒の作り方を教えるネ~」
さも当然のように意味の分からないことを話し出したオズ。理解ができなかった俺は、思わず声を上げる。
「え? なんで今のタイミングで?」
「え、ずっと作りたいって言ってたじゃないノ~。
ザーがやりたいこと、全部やろうヨ。そしたらきっと楽しいネ~」
「確かに、言ってたけど、今もっとやるべ……」
「はいはい、御託はいいから準備しようネ~。
今日は一日かけてこれをやりますヨ~」
なぜか分からないが、なんとあの
もうこういう場合は、オズを止めることはできない。
でも、せめてもの抵抗をしよう。俺にもやりたいことがある。
「一つだけ確認だ。……俺に隠し事なんてよしてくれよ、オズ」
無駄に広い崩れかけの砦に、空虚に響き渡った。
後に続く言葉は何もなかった。
俺は、気を取り直すようにオズのやりたいことに軌道修正する。
「で、『先の尖った細い棒』ってなんか言いにくいから、ちゃんとした呼び名ねぇの?」
オズは下斜め四十五度に固定されていた顔をこちらに向け、楽しそうに喉を揺らす。
「それは極東の地に伝わるとされるもので……確か…………そうネ!
『トマヨーシ』って呼ばれているヨ~」
俺には分かった。手に取るように、鮮明に、詳細に、明細に、誰よりも強く直感した。
オズは平静を装っているようだが、いつもより声のトーンが安定していない。
どことなく不安がっているかのような、今にも泣きだしそうな……。
あぁ、やっぱり駄目だ。触れてほしくないのは分かっている。
苦しんで苦しんで、今にも壊れてしまいそうな思いを抱えて、俺の前に立っているのも重々承知だ。
でも、でも……。聞かずにはいられない。言ってくれなきゃ分からない。
俺は言っちゃ悪いが、そんなに頭がよくはない。だから。
――隠し事なんてよしてくれよ、オズ。
「全部話してくれ。俺、わかんねぇんだよ。……お前の気持ちが。
何を抱えて、今心が泣いているのかって」
風のそよぐ音だけが、その場所では響いていた。生物は声を発さず、沈黙を決め込んでいる。
静寂が耳を打って、血でも出てきそうだった。
どのくらいの時間が経ったのか、ただゆっくりと空間を空気が循環しているのを感じる。
顔を覗かせていた太陽も雲に隠れ、オズの表情を黒く塗り潰す。何も分からなくなった。
どこからか大きく息を吸い込み、そして吐き出す音が聞こえる。
吐き出しきった音と同時に、小さく今にも途切れそうな声が鼓膜に届いた。
「私、別れたくないんだヨ……。
ずるいよネ、自分から焚き付けといて、こんな身勝手な願い。
そんなの言えないヨ、絶対…………」
切実な思いが、そこにはあった。
オズはずっと一人で、何の実感もない生活を耐えてきた。
誰にも認められず、愛されず、人生に自由なんて言葉はなかった。
だからこそ、俺のことを何よりも大事にしてくれた。一番に考えてくれた。
今だって、確かに別れたくないからっていう建前もあるだろうが、俺が前にやりたいと言ったことを実現しようとしてくれたのだ。
考えてみれば、俺も無遠慮で無配慮だった。
と、ここまで思いを馳せて一つの疑問が浮かんできたことに気付く。
「そう言えば、俺を『我世』に入隊させようとしたのはオズだったよな。
あれは何でなんだ?」
明らかに今のオズとは矛盾している。
『我世』の入隊を目指せば、いずれ別れることは分かりきっていた。
そんなことを推奨するなんて、考えにくいことではないのか。
「確かにネ。私、なんでそんなこと言ったのカナ……?
自分でもなぜか理由が思い当たらないヨ」
……どういうことだ?自分の意志で勧めた訳ではないってことか。
なら、何がそうさせたって言うんだ。
すると、何か思い当たる節があるらしく、オズは続けてこう告げる。
「もしかしたら、私もザーと同じように『神様』に操作されてるのかもしれないワ。 考えにまで干渉できるのは『神様』しかいないものネ」
なるほど。やっぱり『神様』は何かしらを企んでいる節があるようだ。
まだ確定ではないが、オズの予測が当たっているような気がした。これまでのこともあるのだ。
「なかなか、面倒くさいことに巻き込まれてるのかもしれねぇな。
…………お前の気持ちも、考えもよく分かったぜ。
話すの辛かったろうに、ありがとな」
そこで一息入れる。ここから話すことは、オズをきっと傷つける。
それでも俺は、『答え』を知らなくちゃならない。
オズの思いも胸に、俺はこのエイム・ヘルムから旅に出る。
「でもごめんな、オズ。お前との生活は楽しいもんだった。
だけど、俺には目指すべき『目標』と、果たすべき『約束』があるんだ。
そう、二つともお前にもらった! お前の言葉が、俺の生きる意義になってんだよ‼
この二つだけは守らせてくれ、オズ‼」
――誰でもない、お前のために。
必死だった。自分に出せる何もかもで、オズに思いを伝えた。
オズの目は大きく見開かれる。何かを堪えるように下を向いて、顔を左腕で隠す。
身体は小刻みに震えていた。
鼻をすする音と、小さく零れる嗚咽が酷く耳に残って、胸が強く締め付けられる。
どれだけ時間が経ったのだろう。
以前、オズと『約束』を結んだ時は、もっと取り乱していた。
でも、今回はそれほどでもなかった。しばらくして落ち着いてきたのか、左腕を下げ、顔を上げる。
前と変わらず崩れていたが、どこかスッキリとしたような顔つきになっていた。
俺は少し呆れたような顔をする。
「いつか言われるって悟っていたネ。
だから、何度も何度も予行演習したりして、感情が溢れ出ないようにって頑張ってたヨ。
でも、無理だったサ。涙は止めどなく流れて、身体が震えることも抑えられなかったヨ。…………うん、その思い受け取ったネ!
ちょっとは練習してたから、何とかなったワ! その代わり、絶対私を救いに来てネ~‼」
うまく言葉が出てこないようで、つっかえつっかえしながらもなんとか紡ぎ切った言葉。
俺は、その思い、その願いを絶対に叶えなければならない。
また決意を新たに固めたのだった。
「じゃあ、今日は『トマヨーシ』作るか!」
「はいネ~! どっちがうまく作れるか、勝負ネ~」
「お! いいじゃねーか! オズにだけは負けねぇぜ‼」
「参加者、私とザーだけだけどネ~」
「うるせぇよって‼」
「ハッハッハッハッハ!」
「アッハッハッハッハッハッハ!」
俺はオズとの別れを話し合い、そして、前に進むことを決めた。
それは、オズを捨て行くためではない。
全ては、オズを助けるため。
俺はもう少し残されたオズとの時間を楽しむのだった。
試験当日まで、残り四十七日。
✕✕✕
「ハッハッハッハッハ! やっぱり私の方がうまかったネ~」
「クッソー! 絶対お前に会うまでに練習して、うまくなってやるからな‼」
「へ~、それは楽しみだネ。期待してるヨ~」
二人の声はいつまでもいつまでも響いていた。
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