2-10.天界の騒動

※今回は、天界での話となっています。ご注意ください!



 ――上空一万メートル。天空一階層、『鉄の領域』で、頭を抱える影が二つあった。

一人の腕には、痛々しい包帯が巻いてある。


「何しているのですか、ムネモシュネ様!

いくら脅迫の言葉を受けたからって、何の理由も無しに地上に降臨なさるなんて行き過ぎた行動でしたよ‼

これがにバレてしまったら、おいらたちもう後がないってことが分かっているのです⁉」


 開口一番に早口でまくし立てる、高く澄んだ声。サバスは一人、焦燥を爆発させていた。

もう一人の包帯巻きの方も焦りはするものの、サバスが異常なまでに騒ぎ立てるのでかえって冷静になっているようだ。


「サバス、少しは落ち着いたらどうです! 確かに私の考えは早計でした。

オズを思うばかりに規定ルールより感情を優先してしまいました。

それほどまでにあの『神様』の脅迫は恐怖を感じるものでした」


 自分にも非はあるが、あくまであの『神様』と呼ばれる者の脅迫が大きかったと主張するムネモシュネ。

サバスは髪の毛をぐしゃぐしゃと搔き乱しながら、苦悶の表情を見せた。


「その考えにも理解はできます。

だって、あの『神様』はこんなことを言っていたんですから!」


 ――もう一度、あの頃みたく贅沢をしてみないか?

今、こんなド辺境の地まで追いやられて生活が苦しいんだろ?

かつてあの方ゼウスとの熱愛も話題になっていたムネモシュネ様がなんでこんなところで暮らしているのだ。

これじゃ、あの方の顔に傷がついちまうんじゃないのかい?


 それは、一つの提案だった。

かつてあの方――ゼウスとの交流があったとき、天空四階層、『銀の領域』にまで上り詰めた話を持ち出してきて、その頃の贅沢をもう一度などと誘ってきている。

断りづらくするために、あえてゼウスの名前を出してきたのも実に厭らしい手段である。

ムネモシュネが中々首を縦に振らないのを見て、しばしの間、顎に手を当てて考え込むポーズを取った。

何かを思いついたように、噤んでいた口を再度開く。


 ――でもな、そこには一つ大きな障害があるんだ。お前には今、『神様』の力がない。

そう、に参加しているからだ。

一部を除いてだが、『神様』の力がない奴に、上階層に行く資格はない。

もうあの計画を進めていく上で、お前は

最後に、つがいとなる『神種ルイナ』との関係を断つことで、完全に降りることができるんだ。

どうだ、すごいだろ?『神種ルイナ』と別れるだけで、富と権力、そしてゼウスの面子(かお)も保たれるってことだ。

悪くない話じゃないか?なぁ?なぁ?なぁ?


 とにかく物凄い圧をかけてきた。流れるように言葉を繋げることで、相手に思考する暇を与えない。

口を出させたら、あの『神様』には死でも待っているのかと思うほど、饒舌がその場をほしいままにした。

ムネモシュネの番は、『呼思者』オズだ。

オズと関係を断てば、富に権力に、ゼウスの面子も保護できるという。

関係を断つということは、具体的に何をすればいいのか。

気になったムネモシュネは、それは単純に観察を止めればいいということでしょうか?と確認のつもりで問うた。

 すると、あの『神様』は、明らかにおかしな挙動を見せ、いやいやとさっきまでの口上手とは打って変わって要領の得ない解答を繰り返した。

こんな反応を見せられれば、否が応でも不審であると判断せざるを得ない。

そもそもムネモシュネにオズとの関わりを止めるという選択肢はなかった。

自身の不遜によって、オズを巻き込んだのだから。

その罪は彼の一生を見届けることで、いや支えることで償おうと思っていたからだ。

 だから、ムネモシュネは丁重に断ろうとした。

そんな雰囲気からあの『神様』は何かを察し、高速で既成事実を作りにかかった。

その手には『盟約書カルタ』をもっている。

盟約書カルタ』とは、何かを『神様』と取り決める時に使用する、『神様』であろうと絶対遵守しなければならない書類のことだ。

その手に持ったものは何かしら?言いかけた言葉が宙を泳いだ。

腕が切り付けられ、紅血が蝶の羽のごとく広がる。


(ビチャリ)


 『盟約書カルタ』に赤い印が付いていた。時が止まったように、耳には何の音も響いてこない。

ムネモシュネはあらんかぎりに瞳孔を開き、息ができずにいた。

見ていた従者のサバスも思わず口を抑え、身体を硬直させている。

あの『神様』は、ニヤリと口角を歪め、ありがとう、後は俺たちがやっておく、とだけ残してムネモシュネの前から去っていった。




✕✕✕




  時間にすれば、ほんの十分程度の出来事。切り付けられた時間なんて、たったの一秒未満。

これっぽっちのことでオズにことが決まってしまったのだ。

そこから昨日の突然の地上降臨へと繋がる。無理はなかった。

何よりも大事なオズ。ムネモシュネにとって、今の生きがいは彼しかいなかった。

どん底の生活の中でも、彼がいたからこそ、返り咲くことに諦めが付いていた。


『記憶の女神、ムネモシュネ様。

中央デュクスがお呼びです。

繰り返します。記憶――』


「あぁ、ついに私にも終わりが来たみたいですね。

サバス、長い間私を支えてくれてありがとう。

…………不甲斐ない『神様』でごめんなさい……」


 恥ずかしいためか、それとも涙を見せないためか。ムネモシュネはサバスの前から足早に去っていく。

その背中は、酷く曲がっていて昨日彼にあってきたようには到底見えなかった。

彼女は彼の幸せを心の底から願いながら、中央デュクスの元に向かうのだった。

あの『神様』と呼ばれる謎の使者の手によって、何かを犯した者に処置を下す中央デュクスの元に送られたムネモシュネ。

彼女に待ち受ける運命とは――。

試験当日まで、残り四十九日。

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