2-5.道化の追憶
一旦落ち着くにしても
だが、ここで話すより仕方がないので、
さっきよりも近い距離にいるからか、少々の熱を感じる。
曲がりなりにも命の奪い合いをしてきた身としては、目線が吸い寄せられてしまうのも無理はない。
王都の
色は夢の時とも合わせて、これまでの
目立った外傷はないことから、完全体であることは間違いない。
天界から新しい
「ちなみに、こいつはいつからいるんだ?」
「ザーを見つけた次の日だから、二日前だヨ。
その日からここでずっとこの体勢をしているのサ~」
「なるほどな。……そんじゃ、ゆっくりでいい。お前の話を聞かせてくれ。
苦しかったら、休み休みでいいからよ。
とにかく何があったか分からねぇと信じようにも信じられねーんだ」
できる限りゆっくりと、オズの目を見て話した。オズは小さく首を縦に振って、地面に置いていた視線を剝がし俺の方に向ける。
その目は真っ直ぐ、そして力強く俺の目を見つめていた。
「私は、不運の子だったワ――」
ゆっくりとかみ殺すように、言葉を発し始めた。
その声音には独特な緊張感が宿り、辺りの温度が下がったように感じる。
オズと俺の輪郭が濃くなったり、薄くなったりを繰り返している。
頭を強く打たれたときに焦点が合わない、あの感じに似ている。
一度瞬きをすると空間から切り離され、オズと俺、二人だけの世界に包まれていくような不思議な感覚に陥った。
これはオズの能力の一部なのだろうか。
妙な浮遊感が全身を包み、溺れているような、泣いているような真っ黒な宇宙へと誘われる。
いつから目を瞑っていたのだろう。
独りでに瞼は落ち、優しく抱きしめられているかのような心地を味わっていると、突然沢山の人の声が飛び込んでくる。
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――」
幾重にも声が重なって、気分が悪くなりそうだ。
まだ目は開かない。それでも、どこか知らないところに来たことだけは悟った。
(バチンッ)
お腹のあたりで何かが切られた音がした。これは、まさか――。
「よく頑張りましたよ、奥様!」
「元気いっぱいで、腕の中をもぞもぞしていますよー!」
「最後まで気を抜かず、頑張ったからこそのご褒美ですね!」
「かっわいい~。私たちも一緒に頑張れてよかったです!」
「笑顔がとってもキュートな
ほら、抱いてあげてください!」
誰かの腕から誰かの腕へと渡される。心が、身体が覚えている。
これは、生まれたばかりの記憶。しかも俺ではなく、今感じているのはオズの誕生の記憶だ。
しかし、何故俺にこんな光景を体感させてくるのだろうか。すると、
「オギャーオギャー!」
声を上げたつもりはないのだが、何故か泣き始めた。
そうか、感覚が共有されているだけであって、この身体に対する占有権はないようだ。
「よしよし。よーしよしよし……」
鈴を転がしたような、耳を撫でる声が昔の記憶を呼び起こしてくる。記憶の中の母は、笑顔が素敵な人だった。
産声が落ち着いてきたとき、その二つの
記憶がないため初めて見る形になる、お母様の顔。
また、右目の下に黒子があるのだが、それも別の魅力的な雰囲気に帰依しているようで、目が奪われる。
汗だくになり、髪もぼさぼさ。それなのに、柔和な表情を絶やさないお母様は、本当に健気で愛おしかった。
それだけオズは生まれてくることを祝福されて、真心をもって育てられたのだろう。
……いや、そうであるならば、こんな場面見せる必要がない。そんな思考が脳裏に浮かんだ時、視界がまた暗転した。
✕✕✕
場所が変わったらしい。今度はどうやらベッドの上に寝ているようだ。
目を開くと、薄い布で包まれた豪華絢爛な仕様のベッドに身体を投げ出していることが分かった。
……それもそうか。俺たちは元々王族の生まれ。こんな風に大きくてふかふかなベッドで寝ていたはずなんだ。
俺は、全身を存分に使って暴れまわるオズの身体に振り回されながら時間を消化していると、突然空が暗くなるのを感じた。
遠くから雷のような音も響いてきている。
その様子を直で見たいと思ったのか、ベッドから飛び降りて窓の方までハイハイで歩いていく。
鏡での確認はできていないが、おそらく一歳くらいにまで大きくなっているのだろう。
そして、少量の汗を掻きながらの全身運動の末、ようやく窓まで来ることができた。
窓の近くには花瓶が上に置いてある本棚がある。その本棚を一段一段よじ登っていき、目的の光景を目の当たりにした。
そこには、大荒れの空とそんな空から垂らされた一筋の光があった。あの光は、一体……。
それが気になって大風に大雨、おまけに雷まで鳴っているというのに、窓を開けてしまった。
途端、ものすごい勢いでそれらが猛威を振るってくる。
(ガチャン!)
暴風に煽られて、花瓶が地面に落下する。
俺が心の中でなんてことしてくれてんだ!と叫んでいるのも露知らず、オズはキャッキャッと喜びだした。
確かに、子どもの頃はこういうことをして楽しんでいた気がする。
今になって思うと、子どもって凄いパワフルだな。
そんなどうでもいいことをつらつらと考えていた矢先、その光はどんどんこちらへと迫ってきた。
千メートル、五百メートル、百メートル、十メートル……。
どうすることもできないまま、気付けば視界全てが光の柱に飲み込まれていた。
すると、その光の中に人影があるのを発見した。その人影は迷わずこちらへと向かってきて、やがて目の前でピタリと止まった。
その顔面には、作り物の笑顔が貼り付けられていた。
「やぁ、こんにちは、人類の実験体さん!
あなたは『神様』に
さぁ、時間もありませんし、さっさと貴方を天界へと連れて行かせていただきます‼」
忽然と姿を現して、長い台詞を吐き始めたと思ったら、連行していくだって?冗談じゃない。
それはそっちの都合であって、こちらの意志はそこに含まれていないだろう。
そう思い、身体を元のベッドまで戻そうとする。
しかし、赤ちゃんの好奇心は強すぎるまでに突出している。
空からやってきた謎の使者の方に手を伸ばしていた。
そもそも俺はこの赤ちゃんに干渉することができないのだ。
端から救えない、この状況下。今から起こることを想像して唇を噛む。
そうか、そういうことだったのか。オズはおよそ一歳の時、天界へと連れ去られてしまったのだ。
それからほどなくして家臣や、お母様がやってきたが、もう遅かった。
そこには大きく開け放たれた窓と、粉々に砕け散った花瓶だけが残されていた。
✕✕✕
ここは、天界だと思われる場所。
オズは連日、採血を受けていた。血の取りすぎで、顔を真っ白くさせると『
また採血をし、『
そして、そんな日常が続いたある日のこと。その日は、いつも採血が開始される時間になっても採血が行われなかった。
オズは不思議に思って、いつも呼ばれるまで待機している何もない部屋から、看守がサボって居眠りを始めたすきに館内をうろつくことにしたようだ。
幸い部屋に鍵は掛けられておらず、容易くその部屋からは脱出することができた。
天界のどこかの建物の中であることしかわからないが、とにかく広かった。
未だ四つん這いでしか歩けないオズは、館内での移動も苦戦を強いられた。
何度も何度も転びながらも、何とか進んで、ようやく大きな部屋の前に着いた。
特に扉のようなものはないため、すたすたと両手両足を動かす。
そして、眼前に現れた途轍もなく巨大な物体を見て驚きが隠せなかった。
そう、そこにはいくつものケーブルが突き刺されたポッドがあり、その中には――
その姿を見て動きを止めた時、後方から声が掛けられた。
「駄目じゃないかネ、オズくん。勝手に動いていいなんて、『
やばい。おい、まずいじゃないか、オズ。このままじゃつかまっちまう。このままじゃ……。
オズの身体からはなんの言葉も発せられない。当然だ。だって、まだ、オズは三歳にも満たないのだから。
推定ではあるが、ここには一年はいたと思う。
でも、誰も、誰一人としてオズに味方はいなかった。
ただ利用するだけ利用して、その研究が何に役立つとか、何にも教えてくれなかった。
まぁ、確かにこんな赤ちゃんに教えたとてどうしようもないと思うだろうが……。
それでも、こんなにも小さな時から誘拐して、成長の機会を奪っている『神様』が悪者であることは間違いない。
『一千年』に一度、人々を絶望に貶める
確かに、『神様』は悠久の時を生き、その中で色々なものを見てきたのであろう。
それでも、単なる娯楽のために人類が、いや世界に滅亡を招くようなことをしていいわけがない。
「あ、オズくん。ここまで来たってことは
だったら、君には、
今はまだ無理だけど、また十年くらい経ったとき、君に神託を授けるヨ。
だから、待っていてネ~」
これが、オズの言ってた神託の件か。でも、まだ
「まぁ、例え
俺は何も言えなくなった。オズは間違ったことを言っていなかったんだ。
俺が絶対嘘だって決めつけて、それであいつの信用を溝に捨てた。
ごめん、オズ。お前の話何にも聞いてあげられてなかった。
帰ったら、絶対謝ろう。ちゃんと面と向かって「ごめんなさい」って口にするんだ。
そう決意を胸に固めた時、劇場の帳が下りるように、光景が黒く塗りつぶされる。
✕✕✕
どこからか漂う生物の臭い。間違いない、ここはエイム・ヘルムだ。
場所はよく分からないが、どこかの居住区の一角だろう。どうやら家の中であると考えられる。
とりあえず呼びかけてみないことには始まらない。
「お~い、オズ! どこにいるんだ~?」
自分の出せる最大限、喉を震わせる。俺には、あいつに言わなきゃならないことが沢山あるんだ。
家の中から叫んでいても埒が明かない。少し暗めな家の中を走り回り、ようやく出口を見つけた。そして、息を呑む。
「ここ、まだ現在じゃないじゃないか!
てことは、最初の家にオズがいたってことかよ‼」
そう、異臭に関しては変わらないものの、俺がオズと初めて会った時の町の様子とは比べ物にならないくらい綺麗だった。
先ほどまでオズに憑依するかたちで過去を見ていたこともあり、これが未だに過去の中であることに気が付かなかったのだ。
このエイム・ヘルムにやって来てから、自分の意志で動けるようになっていた。
今出てきた家を振り返ると、誰かの小さな足音が聞こえた。
「おはようネ、世界」
未だ背の小さなオズがそこには立っていた。見た感じ、五歳くらいだろうか。
天界にいた時よりも、顔立ちが端正になってきている。
俺のことは全く見えていないらしく、パジャマのままで外に出てきた。
そして、別段迷うそぶりも見せず歩いていく。
干渉することのできない俺は、ただこの時期のオズの様子を眺めてやることしかできないのだった。
しばらく歩くと、井戸に辿り着いた。慣れた手つきで桶に水を汲み、家まで運んでいく。
それを三往復程したところで、家の席に着きカピカピのパンを食べ始めた。
この子が元王族の子であると誰が信じるだろうか。俺は胸が苦しくなると同時に、憤りを感じた。
そうして、食事を終えると今度は畑を耕しに行った。身長の何十倍もある畑を誰の手も借りずにせっせと耕していく。
その手つきは熟練のそれを感じた。多分ずっとやり続けてきたのだと思う。
そうこうしているうちに、お昼時になった。
ここで取り出したのは、カビが生えたところをくり抜いてある食パンで作ったサンドウィッチ。
申し訳程度に詰められたレタスとトマトがちらりと見えた。あれだけで足りるのだろうか。
その時点で、畑は半分を過ぎた程度まで耕せていた。
午後はその続きを休む間もなく行って、何とかその畑を耕し終えていた。
ふらふらとした足取りで家に帰り、保管庫のようなところから干した肉を取り出した。
後は少々のおかずとひったひたにされた雑炊だった。
お世辞にもおいしそうだとは言えない晩御飯を、本当においしそうに食べていた。俺は見ていられなかった。
外に出て星を見ると、馬鹿みたいに綺麗に輝いていて思わず下を向いた。
すると、いつの間にか出てきたオズが横に並んで同じ星空を眺めていた。
そして、何の気なしに横を見ると、キラキラした目で星を見ていた。
なんでそんな顔ができるのだろう。俺には分からなかった。
その日はお風呂にでも入ってそのまま寝ると思ったが、まだやることがあるらしい。
パジャマを着て外に出る。まるで『誰か』に見られているかのように、姿勢を屈め、目的地へ一直線に突っ走っていった。
立ち止まった場所――それは、エイム・ヘルムの外壁付近。
よく見ると、扉のようなものは見当たらず、出入りはどのようにするのだろうと疑問に思った。
すると、オズはかぎ爪のようなものが付いたロープを取り出し、外壁の屋根の部分に引っ掛けた。
そして、抜けてこないのを確認し、一気に壁を駆けあがっていった。
五歳児と言えど、今日やっていたようなことを毎日やっているのであれば、筋肉がつかない訳がない。
易々と登っていき、外壁の屋根の上に乗っかった。
そういえば、オズはエイム・ヘルムから出られないんだっけ?見た感じ出られそうだけど、どこが駄目なんだろう。
そう思って見ていると、外壁の外に出ようと、身体を押し付けるも、全然先には進んでいなかった。
見えない壁が張られているのだろうか。幾度にも渡って体当たりを繰り返しているのに、身体は一向に外に出ていかない。
何か見えない力によって、本当にオズはこの町から出られないようだ。オズは最後の力を振り絞って我武者羅の体当たりを叩き込む。
しかし、その一撃も何の影響も与えられず、オズはその体当たりの勢いで外壁の上から落っこちてきてしまった。
地面と激突し、鈍い音を鳴らしたオズ。すると、突然大声で笑い出した。
「ハーハッハッハッハッハッハッハッハ‼
昨日も今日も無理だったヨ。明日はどうカナ?
これをいつまで続ければ私は自由になれるでしょうネ~」
俺に会うまでずっとこんなこと繰り返してきたのだろうか。
誰にも褒められない仕事、誰にも認められない自分の存在。
せめて自由が欲しかった、でも。それすらも遠く儚く、『神様』は試練を与え続けている。
「ねぇ、これでもうわかったネ。
私がどんな思いで生きてきて、どんな思いでザーと過ごしていたかを――」
どこからか声が響いてきた。今のオズの声だ。
その声を聞くだけで、俺は心が締め付けられた。
「ごめんな、オズ!
お前がどんな思いしてたかなんて、どんなもん抱えてきたかなんて考えもしなかったんだ。
俺、お前のこと、いぃや――オズのこと信じるぜ‼」
「…………ありがとネ」
✕✕✕
俺たちはやっとの思いで今に戻ってきた。
長い長い記憶の旅の中で、俺はオズに対する大きな誤解に気付き、自分が間違っていることを知った。
きっとこの記憶をたどるのはオズにとって本当に辛いものだったと思う。
けれど、俺のことを思って見せてくれた。その思いに報いなければならない。
だから、やろう。やってやろう。俺は俺のためだけじゃない。オズのためにも、これからの戦いに全力を賭していくつもりだ。
「さぁ、歩み始めようぜ、オズ! 『我世』入隊に向けた第一歩目をよ‼」
「はいネ~!」
ここから、『我世』入隊への長く、険しい道のりが始まるのだった――。
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