1-4.無理だなんて言わない

※途中、一人称視点のようになっているところがあります。ご注意ください!



 眼前には肉体全体を巨大な両翼で包み込んだドラゴンが、その姿を露わにしていた。

小さな子が自慢したいものをもったいぶって見せてくるように、禍々しく暗黒に染まった翼を開いていく。

鋭く尖った鱗の一つ一つが嫌と言うほど鮮明に見える。

アクセントのように所々に入った真紅は、人の返り血を彷彿とさせてくる。

ザビ達を飲み込むように満遍なく筋肉の付いた翼を最大まで広げ切った。


「ヴォオオオオオオオオオオオ‼」


 開戦を知らせる不協和音が大広間フロアを闊歩する。

声による先制攻撃を食らったことで、ザビたちの足は言うことを聞かなくなった。


 ここで死んでしまうのか。そう思われたとき、ザビが声を荒げた。


「戦うしかねぇみたいだなぁ!」


 冷静沈着なエクにとって、聞き過ごせない一言だった。

確かに戦闘のセンスはピカイチだが、ドラゴン相手にそれが通用するかわからない。

ここで危険な橋を渡ることをお父様は許さない。


「無理に決まってんだろ!

こんなの相手にならないぞ‼」


 一早く判断したエクは、すぐさまザビを怒鳴りつけた。

それでも、こんな言葉一つで止まる男ではなかった。


「無理だと思っているから、無理なんだ。

始めっから無理だなんて言うな! 前を向け‼

『神様』は……どうにもならねぇ試練なんか与えねぇっての‼」


 そう凄んだかと思うと、前傾姿勢になり走り出した。

その瞬間、誰かの泣き叫ぶ声が響き渡る。

誰かの口元が歪んだ気がした。

思わず、進行を止めるザビ。


「お兄様方っ‼」


 声の発生源に視線をやると、そこには末の妹、ロビがいた。

五年前に失踪して、行方不明になっていた、生き別れの家族。


「私は、ずっとドラゴンにつかまっていたのです。

五年間待ち続けたのですけれど、ようやく迎えに来てくれたのでございますね……」


 肉親との感動の再会を噛み締めたい二人だったが、怪物にそんなものを待つ義理はない。

言葉を返そうとしたが、赤黒く染め上がった爪牙がザビ達を襲う。


「待ってろ、今助けてやっから‼」


 かろうじてこの言葉だけ投げ、身を翻す。

エクを守りながらの戦闘は、流石のザビでも荷が重い。

どこか攻撃範囲の外側にまで連れていかなければ勝ち目はないだろう。


「……コホッ、コホッ」


 いきなり激しい運動をしたためか、小さな咳が止まらないエク。

この閉鎖された空間に安全な場所なんてあるのだろうか。

いくら家一個入るスペースがあると言えど、ドラゴンにとってその程度の距離は一瞬で詰めることができる。


 そうあれこれと、いつものザビらしからぬ思考を巡らせていた、ほんの0.3秒間。事は大きく動いた。


 それは、ただ瞬間の出来事――ザビの身体から数センチ分だけエクの身体が離れてしまった。

その好機をドラゴンは見逃さず、間の空気も、時間も、何もかも一気に消し飛ばして、狂った巨体を接近させてきた。

距離にして、たったの10センチ。

そんな出鱈目な進行に気付いたザビは、即刻エクを渾身の力で突き飛ばす。

ドラゴンの攻撃を食らったら、エクは本気で死んでしまう。

ザビはエクの代わりでなければならないし、守り通す義務がある。

それが、将来の王としての責任だ。


「俺がっ! ニグレオスの王になる男だぁぁあああああああああああ‼」


 ガラクタのように地面を跳ねるエクを尻目に、ザビはドラゴンの餌食となって、その身体に真っ赤な溝が施された。

衝撃のままに、後方によろけ、ビシャビシャと鮮血を撒き散らす。

辺りを深紅に塗り上げて、頭を地面に垂らす。

手には力が入らないのか、重力に素直に従っている。

蛮声と尋常ならざる精神力で、何とか足の裏を地面に縫い付けていた。


 手をついて起き上がったエクは、その姿を見て口を大きく開いた。

何か言いたげではあるが、言葉になっていない。

パクパクとその小ぶりな唇を動かしているだけだ。


 ロビに関しては、顔を明後日の方角に向け、小刻みに震えていた。

キラキラと光る何かが石畳の色を濃くしている。

竜は振り下ろした右腕をもとの位置に戻し、満足そうにエクの方へと歩いていく。


 誰がどう見ても勝敗は明白で、ザビの『負け』は言い逃れができないものだった。

が、その時。ドラゴンの背後、大きな向こう傷を刻み込んだ胸元が小さく動き出した。

そんな微動にドラゴンは一切の興味を示さなかった。

一人の少年との決着は疾うに済んだと勝手に結論付けていた。


 だから、気付かなかった。

そう彼が、あの強大な一撃を食らった未熟な少年が――ザビ・ラスター・シセルが自分に向かって歩みを進めてきていることに。

その一歩は果てしなく小さい。だが、確実に距離を詰めていく。

その様子に気付いたエクとロビ。彼らは依然として同じ反応を継続させた。

すべての希望は、ザビに託す。


 ひ弱な少年は拳を握った。


――自分自身を奮い立たせるように。


――仲間を、兄弟たちを安心させるために。


――己が王であることを証明するために。


 そして、なけなしの力で歯を食いしばって、疾駆する。

敵は、最強最悪の、ドラゴン

『一千年』に一度、世界の秩序を守るために現れ、人間にとっての災厄を齎すという『神様』の手駒。

本来ならば、人類は為す術なく蹂躙される運命だ。

それでも、諦めきれない信念と、潜在レベルで植え付けられた冒険への渇望がその身を前へと進ませる。


「いつでも全力。どこでも全力。

男に後ろの二文字はねぇんだよっ‼」


 迷うことなく、ただ宿敵へ。

醜き反逆者の姿を捉えた、史上最強の怪物は口から業火を吐き散らす。

火炎の渦に巻き込まれながらも、止まることはない。

全身全霊をもって携帯していた剣を執り、石畳を跳ねる。

むしろ速度は上がっていさえする。

痛みで、熱さで、身が焦げ落ちそうになる。

でも、走るしかないから、倒すしかないから、絶対に勝ちたいから。だから――。

ザビはドラゴンの頭上へと跳び上がった。


「無理だなんて言わないんだよっ‼」


 決まった。エクも、ロビも、当の本人、ザビでさえも決まったと

ザビの旭日昇天の一撃は虚空を斬ったのだ。

それすなわち、『負け』を意味する。

顔を歪ませ、必死に藻搔く。

だが、その願いが叶うわけもなく、花びらは――ザビは舞い落ちていった。

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