夏休みの中頃に会いに行く約束になって、それから毎日旭とLINEが続いた。

 楽しみだね、という旭の言葉は期待を膨らませ、同時に「やっぱ辞めます」と言い辛くなる。彼女の話題は一切出なかった。

 出発前夜は不安で眠つけず、土屋とLINEで長話をした。


 当日は曇天で、新宿は眩しく人混みは怒涛だった。

 ざわざわした話し声に靴音、出どころ不明な電子音、ピンポーン『係員のいる改札までお回りください、係員のいる改札まで――』汗ばんだ白シャツのサラリーマンにぶつかって謝り、背中にダラダラ汗を搔いて駅を彷徨う。


 家族には土屋の家に泊まると言って出てきた。

『土屋さんのご家族にちゃんと挨拶するのよ。毎朝毎晩LINEして。年頃の娘が、お父さんに心配掛けないでよ』

 母親に押し付けられたダサい芋羊羹をトートバッグの底に押し込み、数日分のお泊りセットの他、コツコツ貯めた貯金を3万と、絶対要らないけど一応、可愛い下着を一セット新調した。駅中の3COINSでモバイルバッテリーと、自販機で麦茶を買う。



 土屋の彼氏は昼過ぎ発のバスを予約した。バスは青森駅までで、そこから函館駅まで新幹線、そこに旭が迎えに来る。

 南口を出ると、大きくバスターミナルが見えた。




『バスタ着いた、緊張!』

 待合室の写真を撮りグループに送ると、二つ既読が付いた。


『楽しんでね』

『まぁ気を付けてなw マナとお土産待ってる。何かやられたらやり返せよw』



「やり返す…」

 改めて、こんな物言いをされるのは初めてだ。

 対等な大人扱いってこんなもの? 土屋と彼氏のゼロ距離具合を考える。

『困ったら連絡しろよ。俺もマナも今夜は花巻行くし、何かあったら守ってやるw』


 守る。何から?


 カップルが床でバッグを広げて中身を整理している横に座り、時間を待った。

 乗車前は忘れずトイレに行った。内心怯えながら列に並んで、乗務員に苗字を告げ「12-Cの席」と事務的に返される。低くエンジンが響いた。


「大型の荷物があれば、先にトランクで預けて」

「無いです…」

「はい。……まだ何か?」

「いえ」


 優菜の席は通路側だった。修学旅行の時の観光バスと同じ、横四列の席が続くバス。車の振動が伝わりテンションが上がる。車内は新車の臭いがした。

 乗客は20代が多く、座席がまばらに埋まる。

「ご乗車ありがとうございます。当便はさくら観光JTK2号、停車駅は――」

 運転手がボソボソ喋り鼓動が速くなる。ビーとブザーが鳴りドアが閉まって、ぬるりと発車した。




 逸る胸を抑え、また写真をグループに送る。土屋から、トラック内の写真が返って来た。走行中の助手席から撮っていて車高が高い、角ばったバックミラーにチープな麻の葉モチーフが吊り下がる。

 思わず笑みが浮かんだ、浮き立つ気持ちになった。大切な共有ができたような。なるほど確かに、これは「楽しい」。特殊能力のある人にしかわからない何かだと思っていた。


 高速道路に入ると景色からビルが減る。住宅地が続き、高い視界にも慣れ寝不足を思い出す。芋羊羹を半分食べた。



 さいたま新都心駅で、一度目の停車をした。人が次々乗り込み空席が消えていく。女の子が優菜の横の通路で止まった。


 中学生位の顔に見えた。アボカド柄のTシャツで、抱える位大きな袋を器用に6つ下げてリュックを背負っている。女の子は体をねじ込んで、優菜の隣の席に収まった。


 慣れた様子で窓際のフックにリュックを下げ、優菜の前まではみ出して足元に袋を積み上げる。中身は殆ど箱入りマスクだ。花粉PM2.5、優菜の目と鼻の先まで来る。

 モゾモゾ足の置き場を探しているうちに、ドアが閉まり発車した。


「…」

 視界が箱で埋まった。すぐに揺れで倒れてきて押さえる。女の子は優菜を見て、スマホでゲームを始めた。


『隣荷物やばい狭い』

 とりあえずグループに愚痴る。既読は付かない。隣の子がスナック菓子を取り出した。

 お香とお酢を混ぜたような異臭が漂う。女の子が床に捨てた包み紙には赤く中国語が書いてある。


『隣やばい臭い』

 まだ既読はない。


 再び倒れてきた箱を支え、隣に『察せ』と視線を送る。女の子が振り向いた。個包装のお菓子を一掴み、優菜の膝にいきなり載せてにっこりする。

「请一定要吃吃看―」


 思わず固まると、女の子がスマホに何かを打ちこんで見せてきた。翻訳アプリだった。



『今,故郷はマスクが買えません,これらを母に送ります

 新種の肺病があります,祖国のマスクが売り切れました』

「え…はい」


 女の子は熱心に文字を打ち込む。

『東京は田舎より物価が安い,沢山買いました

 ありがとうございます』

「どういたしまして…?」

 女の子は黄色い500ミリペットボトルも一本、優菜の膝に乗せた。


「こぉれ、オイシです」

 ゆったりと、発音しにくそうに言われる。そしてスマホゲームに戻った。

「…」


 異臭が充満する。優菜は文句の言い方もわからず箱を押さえ続けた。

 

 外国で新種の肺炎が出て、収まらず大変なことになっている、ニュースで見た記憶は僅かにあった。遠い国の事だけれど、母親がいるなら他人事で済まないだろう。

 優菜も母親を思った。女の子は次の駅で、大量のお菓子のゴミを残して降りて行った。

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