3.オリバーとテオ
日付が変わるか変わらないかという真夜中、オリバー・ルイスはどうにか仕事が終わり家に着くと、自室の椅子に大きな音を立てて座りながら天を仰ぎ、溜息をついた。髪は赤茶色のくせっ毛で、好奇心が隠し切れていない猫のような人懐っこいグレーの瞳は、彼の性格を表す魅力の一つとなっていた。
オリバーは見習い記者として『デイリー・ヴィリテ』で日夜馬車馬のように働いていた。働くだけなら文句など無いが、豚男トムの下についてからはそこに理不尽な要求と嫌味まで付いて来る始末で、測ってはいないが、オリバーはここ数ヶ月で10ポンド(5kg)程痩せたと確信している。
「大丈夫か?オリバー」
「テオ……」
寝室から出て来たテオは黒い髪に緑色の瞳の美しい穏やかな男で、オリバーの同僚であり、ルームメイトであり、そして親友でもある。5歳の頃孤児院の牧師に拾われ、その恩返しにどうしても孤児院に仕送りがしたいテオと、とにかく生活費を安く済ませたいオリバーの利害関係から共同生活を始めたのだが、今の所順調に上手くいっていた。格安の家賃の為雨漏りや隙間風など日常茶飯事、今年の頭など猛吹雪で宿屋が崩壊しかけるなんて事もあったが、その度家を補強し、お互いに力を合わせて乗り越えていくうちに仲間意識が芽生え始め、何より人懐っこいオリバーと穏やかなテオの性格の相性も良く、今となっては二人は唯一無二の親友となっていた。
「またトムの奴に何か言われたのか」
「グズ、ノロマはもう一生分聞いたな。何度頭の中であの豚野郎を焼豚にしてやったことか」
「きっと不味いだろうな」
「違いない」
そう言いつつお互いケラケラ笑い合うと、テオがおもむろにキッチンの棚を探り出し、
「確かウィスキーならあった。ロックで良いか?」
「あぁ」
各々のグラスにウィスキーを注ぐと、テオはグラスを掲げ
「では我々の永久の友情に」
乾杯、とお互いグラスを浮かせた後ウィスキーを一気に飲み干した。
「オリバー、ちなみにお前は今何の記事を書いているんだ?」
「あぁ、丁度15年前に起きたフェルナンド家の事件のだよ。ほらそろそろ事件が起きた8月9日だろ?家宝のエメラルドはまだ発見されていないし、あの次男坊だって生きているのか死んでいるのかも分からない。言わば闇に包まれた未解決事件さ。この時期にあの事件について取り上げると、売り上げが良いもんだから」
「……くだらないな」
「俺だってそう思うが、記事が事実であろうと無かろうと、皆あの事件の事を覚えていて、何か進展が無いかと読みたがる。当時7歳のオリバー少年だってな。やれ次男坊が何処かの国で実は生きていただの、エメラルドは実は海を越えて黄金の国ジパングで何処ぞの富豪のコレクションとして保管されてたって具合にだ」
「俺はあの頃それどころじゃ無かった」
「確かルーカス牧師に拾われたんだよな」
テオは神妙な面持ちで頷く。
「俺は恐らく当時5歳位だったと、牧師から聞いている。ルーカス牧師は用事でロンドンに宿泊していて、翌日の礼拝に間に合わないからと朝早く孤児院に戻ろうとしていた際、周りには背の高い植物が生い茂っていて、そこからはみ出した、まだ子供だった俺の手を偶然見つけてくださったそうだ。俺は頭からかなり血を流していて、もしルーカス牧師が俺を見つけてくれていなかったらと思うと……」
「俺はお前と酒も飲めなかったって訳だ。神様に感謝しないとな」
「そして、俺は孤児院で目を覚ましたんだが、今までの記憶が一切無かったんだ」
「それも聞いた。なぁテオ、何か言いたい事でもあるんじゃないか。だからこんな夜遅くまで起きていたんだろう。お前は何かを隠している時、右手で左手の親指を触る癖があるからな」
テオはハッとして自らの手元に視線を向けると、確かに右手で左手の親指を触っていた。テオは観念したとばかりに苦笑いし、
「……やっぱりお前に隠し事は出来ないな」
そう言うと、ズボンのポケットから小さなシルバーリングを取り出し、それをオリバーに手渡した。
「これは……ベビーリングか?」
「15年前、俺のポケットの中に入っていた物らしい。指輪の裏を見てみろ、オリバー」
オリバーは、指輪の裏を覗き込む。指輪の裏には、文字が彫られていた。
『アーサーへ愛を込めて Y&M』
オリバーが驚愕の表情でテオに顔を向けたが、分かっていると言わんばかりにテオが話を続ける。
「2週間程前、ルーカス牧師の所に顔を出した時に、この指輪を渡してくださったんだ」
「だが分からない!何故ルーカス牧師はお前の事を警察に言わなかった」
「さっきも言っただろう。俺は頭から血を流して倒れていて、周辺には血の付いた兇器の様なものも無かった。オリバー、俺は15年前のあの日誰かに殴られ、意識が無いうちに発見が遅れる様な場所に移動させられた。あの日屋敷では女伯爵も殺されていたし、ルーカス牧師は当時の俺がもしかしたら何者かに命を狙われていたのではとお考えになった。警察に事情を話しても、時間が経てば子供の俺は再び何処かでいのちを狙われるかもしれない。だから俺が成長して、自分で判断が出来るようになるまでは、記憶喪失の孤児テオとして俺を育て、守ってくださったんだ」
「そして、遂に真実が明かされたと……。でも犯人は逃走した強盗の仲間なんだろう?」
「あぁ、そうだな……」
「テオ。お前は一体どうするつもりだ。まさかあの屋敷に戻るとか言わないよな?」
「……」
「おい嘘だろ?」
「すまないオリバー。ルーカス牧師から俺の出生の話を聞いた後から、ずっと考えていたんだ。記憶は一切戻って無いが、俺にこのベビーリングを贈ってくれた母は本当にエメラルド強盗に殺されたのか、そして誰が母を殺したのか」
「考え直せテオ!!」
「……でも俺は真実が知りたいんだ!!俺がフェルナンド家に戻って来たとなればニュースにもなるし、犯人だってきっと……」
「だとしてもだ!!わざわざそんな自らの命を危険に晒す必要はないだろう!俺はお前にそんな事して欲しくない……!!」
息を荒らげてオリバーはテオの肩を揺さぶり、説得しようとしたが、テオの決意は固かった。
「実は……一週間にあちらに手紙を送って、明日あの屋敷に伺う手筈になっている」
「なんだって!?」
「オリバー、お前には事前に言っておきたかったんだ。親友として」
「…………」
「さっきあの事件についての記事を書いていると言ってたな。だとしたらオリバー、俺はお前に記事を書いて欲しいよ」
強く掴まれていたテオの肩から、オリバーの手が力無く離された。オリバーは灰色の瞳に怒りと哀しみを浮かべながら、
「……勝手にしろ。俺はもう寝る」
そう言い残し、重たい足取りで寝室へと入っていった。一人残されたテオは、椅子に座り直した後顔を手で覆い暫くそのままであった。
この日の夜、二人は初めて喧嘩をしたのだ。
そして、テオはこの家に戻る事は無かった。
オリバーとテオの喧嘩から程なくして、デイリー・ヴィリテの一面の見出しにはこう書かれていた。
『アーサー青年帰還!!フェルナンド家の奇跡』と……。
エメラルドの悪魔 ふじ @fujinakamura
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