残火

阿宮菜穂み

残火

「おばあちゃん、お客さんがいらっしゃったよ」


 梅雨などとうに越しているのにも関わらず雨の絶えない8月中旬、部屋の中は線香の薫りが充満していて、少し煙たい。

 「なんてね?」

 なまりのある口調で訊き返して来たのは、美希みきの曽祖母である。

 「初盆のお客さんよ!」

 「ああ、はいはい。」

 声を荒げた美希に曽祖母は、「わたしゃ、耳が遠かもんだけんなあ」と口癖のように続けた。


 「ばあちゃん耳遠くなってたろ? 」

 お客さんに応対している曽祖母を眺めて、父がそう言った。

 「こないだ私が帰って来た時より、遠くなってるね」

 美希は家から高校が遠いため、普段は高校に近い下宿に身を置いている。先日帰って来たのは曽祖父が亡くなって49日の日であった。

 曽祖父が亡くなって半年、曽祖母は明らかに耳が遠くなっている。

 昨日も曽祖母は父から話しかけられたが聞こえなかったらしく、以前までのように何度も聞き返すかと思ったら、1回聞き返してわかったふうでもなかったのに「そうね」とわかったをしていた。


 今日は初盆ということで多くの客が来た。

 その間の美希の仕事はお茶出しや、接客である。

 多くの客が来る中、その相手をするのは父と祖母ばかりで曽祖母は耳が遠いためか、あまり会話に入ろうとはしなかった。

 「おじいさんが亡くなって大変でしょう?」

 不意に曽祖母に話題が振られたが、当の本人は何も聞こえていない様子だ。みんなの視線が自分に集まっていることに気付いて、「耳が遠かもんだけんな」と笑う。

 父が何度も説明するが、全く伝わらず父は説明するのを諦めたようだ。

 最近は父や祖母、私も含め多くの人がおばあちゃんと会話するのが少なくなったように美希には感じられる。

 それはおばあちゃん自身が耳が遠いことから話すのを避けているのか、私達が拒んでいるのか、きっと両方だと美希は思った。


 お盆も終わり夏休みも終わるという頃、美希は車と接触事故を起こして入院することになった。

 美希の不注意ではなく、明らかに車側に過失があった。幸い軽い脳震盪のうしんとうだけですみ、命に別状はないらしい。だが、念のために2週間入院することになった。

 その2週間は美希にとってとても長いものだった。

 最初は色んな人が見舞いに来てくれたから良かった。

 学校の友達、部活の後輩、従兄弟たちなどたくさんの人達が来てくれた。

 両親は毎日来て、話し相手になってくれた。

 そして、曽祖母もまた両親のように美希のもとへ毎日訪ねて来た。

 「今日も来たの?」

 そんな心配しなくて大丈夫よ。とニッコリと微笑んだ。

 曽祖母はそんなこと知らんぷりで近づいて来て、具合はどうか、大変なことはないかなどと訊ねてくる。

 その全てに返答するのにも大声で言わないと伝わらないので、そっちの方が苦労した。


 見舞いに来てくれる人は日に日に減っていき、1週間もすると見舞いに来るのは両親と曽祖母だけとなった。

 私にとって独りは別に辛く無かった。逆に大人数でいる方が疲れるものであった。

 ……はずなのに、なぜこんなにも寂しいんだ?

 見舞いに来てくれた人が帰る時の絶望、いつまでも満たされない渇き、まるで心にぽっかりとあなが空いているようだった。

 ああ、私は人が……人と接するのが大好きなんだなあ。


 美希が無事退院し1か月が過ぎた頃、父から電話がかかってきた。

 ーーばあちゃんが倒れたーー

 気がついたら走っていた。

 父から聞いた病院は下宿からそう遠くないとはいえ、走るのには相当な距離があった。

 おばあちゃんは、お見舞いに毎日来てくれた。

 おばあちゃんは知ってたんだ。

 独りの辛さを、人と会えない地獄を。

 それにおばあちゃんは耳が遠くて会話がちゃんとできないから、きっと私と比べ物にならないくらいに辛いはずだ。

 耳が遠くなるのが酷くなったのは、曽祖父が他界してからだ。

 曽祖父が他界した晩、曽祖母は線香を絶やさないように一晩中起きていた。

 私が小さい頃、曽祖母と曽祖父はよく喧嘩をしていた。昔の私の目には仲悪く写っていたが、今思い返せば2人の間には確かな信頼や愛があったのだと思う。

 私は思った、2人のようになりたいと。そして、感謝をおばあちゃんに伝えたいと。


 曽祖母が目覚めたのは、翌日の朝だった。

 父から倒れたと聞いて焦ったが、ただの転倒だったらしい。命に関わるものではなく、怪我もないようだが、しばらくは病院で安静にするらしい。

 「おばあちゃん」

 呼びかけたが、聞こえていないらしい。もう一度呼びかけると、こちらに気が付いた。

 昔は大きく見えていた背中が小さく丸まっているのを見ると、なんとも言えない感情に襲われた。

 「ありがとう」

 渦巻く感情の中出た言葉は、情け無いくらいに小さかった。

 もう一度言い直そうと思ったら、おばあちゃんは笑顔でうんうんと首を縦に振っていた。

 -あ、伝わったんだ。

 私は命という火を蝋燭ろうそくといういつ終わるか分からない現実の上で、残りの命をおばあちゃんみたいに燃やしていきたいと切に思った。

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残火 阿宮菜穂み @AmiyaNaomi0322

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