第2話
「侑芽?どこやー?侑芽ー?」
「っ!?」
障子、畳に不釣り合いな押し開きのドアの向こうから、自分を呼ぶ声がする。
金切声の母ではない。この声は。この声は−−−
「お…婆ちゃん………?」
「侑芽は仏間かー?お菓子買いに行こかー」
血が。血の気が引く、と言う慣用句が。身を持って理解できた瞬間だった。
聞き間違いだろうか。祖母の仏壇を掃除していたから、懐かしくなって?
混乱に視線を彷徨わせる。先ほどと何も変わっていない。−−−いや。一つだけ変わっている。雨が酷い。…いやそんな事はどうだって良い。
「侑芽ー?どないしたんやー?入るでー?」
がちゃりとドアが開くと、記憶のままの祖母が、そこに立っていた。
「おるんやら、返事しんかいな」
「…えあ、あ、うん。ごめんお婆ちゃん」
あまりにも【普通】な祖母の登場に、理解が追いつかない。
祖母は死んだはずだ。私がまだ小学1年の頃……13年も前に。
「え、あ、の…お婆ちゃん?」
「んー?」
「お婆ちゃん、だよね?」
「ふぇっふぇっ、侑芽、どないしたんや?お婆ちゃんの顔忘れてしもたんかいな」
「いや、そうじゃなくて…」
幽霊というにはあまりにも明確だ。足もある。では夢だろうか?そちらの方が可能性はある。箱を開けた瞬間に突然寝た。いやいやいや、あり得ない。自分に何が起きていると言うのか。状況が飲み込めず瞬きを繰り返す私を他所に、祖母は変わらずふぇっふぇっと笑っている。
「大人になった侑芽は、別嬪さんやねぇ…。お婆ちゃんの若い頃ににそっくりやー」
「大人になったって…お婆ちゃん」
「侑芽は小さい頃からお婆ちゃんの自慢の孫やったけど、今はもっと鼻高いわ。天国帰ったらみんなに自慢しよ」
「お婆ちゃ…」
「お婆ちゃんな、侑芽の事ずーっと見てたで。お母さん、彩芽の事ばーっかりやろ?せやから侑芽の事、心配やってんよ。ほんでも侑芽はちゃーんとええ子に育って、こんな立派な大人になってんやねー」
喋りながら私の前を横切って、仏壇の前の座布団によっこらしょと座る。床に座る時は何故かいつも体の後ろに手をついて、どしんと座る祖母の懐かしい癖。
これはきっと、夢だ。そう解っている。
それでもこんなに、愛おしい。お婆ちゃん。
「あらまー、こんなに綺麗にしてくれて。有難うなー」
「お婆ちゃん」
「なーにー?」
「会いにきてくれて、ありがとう。会えて、めっちゃ嬉しい」
そう告げると、祖母はやっぱり固定できていない入れ歯でふぇっふぇっと笑う。
私も、それを真似してふぇっふぇっと笑ってみせる。
「さーて、そろそろ帰らなあかんな」
「えっ、もう!?」
「せやねん、ケチくさいやろー?折角帰省パスポート取ったのに。閻魔さんとこの出入り口、地獄の釜の蓋言うの?あれが開けられるん3日間だけらしくて、今から帰っても帰省ラッシュで大渋滞や。間に合わへんかったら獄卒さんに物凄い怒られるらしいで、早よ帰らんと」
「そ、そうなんや…結構シュールやな」
「ほんま、天国や地獄や言うても、お役所仕事やでー」
そう言いながら、怒るでもなく笑い飛ばす祖母の姿が、少しずつ薄れていく。
「侑芽、あんたももう、ちゃんとした立派な大人や。黙って大人しうしとかんでも、自分の好きな様に生きたらええんやで。お婆ちゃんは、これ以上ないくらい綺麗な仏壇に帰らしてもらいます」
「…!…うん、有難うお婆ちゃん」
透けた祖母の笑顔の向こうに仏具がきらきらして、まるで祖母の笑顔が輝いているかのように見えた。
「あーそうそう、お菓子ね、侑芽の好きなお菓子。」
「?」
「一緒に買いに行こー思たけど、そんな時間あらへんかったから。お母さんには、内緒やでー?」
ふぇっふぇっと笑う。消えてしまう。消えてしまう。
「…有難う、お婆ちゃん」
目には見えなくても、まだそこにいる気配がある気がして、私はそっと呟いた。
*****
「侑芽!侑芽!?まだやってんの!?いつまでかかってんの!侑芽!」
びくりと体が反応して、目を覚ます。座布団を枕に、いつの間にか眠っていたようだ。
「やっぱ夢だったかー。でも、良い夢だったなー」
寝覚めには最低の声で目を覚ました筈なのに、ほんのり心が柔らかい。先程まで会話していた祖母の姿を、胸の内にそっとしまう。
仏壇を振り返って見ると、眠ってしまう前に手にしていた小箱と目が合った。
ふとその蓋の隙間に気がつく。自分が見つけた時、蓋はピタリと閉じていた筈だ。
「やば。壊したかな」
焦りながら手に取り、壊れているならばそれ以上被害が広がらないようにと、恐る恐る蓋を開く。
「−−−あ、」
『お母さんには、内緒やでー?』
箱一杯の、銀紙に包まれたサッカーボールのチョコレート。
「うん、お婆ちゃん。有難う。頂きます!」
こばこ @konjou
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