第29話 布石か否か
気持ちを切り替える意味もあってか、ノアは久しぶりに睡眠をとらせてもらった。一度寝て起きれば不安も和らぐだろうとの考えあっての事だ。それに今はまだジエルケの件が片付いていない。先に考えなければならないのはそちらになる。
ノアは目が覚めると不安を胸に押し込み、クリスの話に耳を傾ける。
「私が奴を殺した後、その死体を調べた。そこでいくつかわかった事がある」
今わかっているのはジエルケがクリスを誘導し自身を殺させようとした事。それにより、ジエルケの肉体の死がノアとパルミドスを転移させる魔法の代償となった。それはクリスに邪魔をさせない為に極限まで高めた転移魔法とも言えるだろう。その代償にも不足はない。
しかしジエルケが行ったのはそれだけではない。予め別の肉体を用意し、そちらに自分自身を乗り換えてもいる。
「転移よりもそちらの方が魔法としては高度だ。奴はその二つを一度で終わらせた。簡単な事ではない」
それは時間をかけ、道具を揃え、魔力を蓄え、という本来なら必要な準備を全てすっ飛ばして行使されたもの。そこには本来であれば肉体の死と同じような大きな代償が必要となるはずなのだ。
「え、自分が死ぬ以外の代償なんてあるの?」
「ある、普通は考えぬが奴は自身の幽体を代償にしている」
「幽体を!?」
幽体には様々な役割があり単純に魔力とは呼べないが、それでも質としては同じものだ。この場合は自分を構成する魔力と言いかえても良い。ジエルケはそれを代償として新たな肉体へ乗り換えた。
「うわー、そこまでするんだ」
「己が身を切り売りするやり方だな。それは邪法でもある」
だがそれはクリスという強大な存在を出し抜く為に必要な犠牲とも言える。そこまでする必要があったのだ。その全ては計算され尽くされていた。自分で自分を殺すのではなく、クリスにそれをやらせたのもジエルケの死によって油断を誘う為であり、魔法陣やノアたちの配置を確かめ術を行使するなら、できるだけ手間を省く必要もあった。
クリスと比べれば、という言葉さえつけなければジエルケは決して矮小な存在ではない。神話に名を残すほどの悪魔であり、本来その姿は人を騙して喰らう大蛇でもある。
「そう言えば今は大蛇じゃないね。顔は蛇っぽかったような気もするけど」
「既に何度も肉体を乗り換えているのだろう」
「ああ、経験者なんだ。だからそんな方法も思いつくんだね」
「まあそうだな。奴は肉体の乗り換えをするのに幽体の一部を代償にしている。おそらくは幽体の四割ほどを代償とし、残り六割が現在のジエルケとなるはずだ」
「それって……弱くなってるって事?」
「簡単に言うとそうなる。更に乗り換えた肉体がジエルケの幽体に完璧な適合をする可能性などほとんどない。奴の今の力は以前の半分にも満たないと思われる。通常、元に戻すのは年単位の時間が必要だ」
百の力を持つ悪魔が赤子の肉体に乗り換えたとする。その肉体で百の力を行使できるのか。そもそも百の力はその肉体に収まるのか。そんな事はあり得ない。だから肉体が適合するかどうかは重要なのだ。そして、極端に人の少ない修羅の獄でそのような肉体を準備できるのか。それもかなり難しい。クリスはそう説明する。
ジエルケはかなり大きな代償を払ってまでノアを欲したと言える。やり方を知っているから、慣れているから、出来るから、如何にジエルケでもそれだけでは身を切ってまで大魔法を行使する理由にはならない。ノアをそこまで欲したから、それだけの価値があるからこそだと言えるだろう。
だが結果的にジエルケは力の半分を失った。それがクリスの見解となる。
「じゃあジエルケを倒すのは前より簡単って事なのかな」
「ある意味ではな。完全な決着ではないが今回は我々の勝利とも言える、だがそれでは楽観視しすぎでもある」
ジエルケの力は大きく削いでいる。協力者も失い前回と同じ方法も使えないだろう。猿に強制的に飛ばされたが、それも敗走のような形だ。そしてこちら側に大きな被害はない。
以前と比べればジエルケの脅威度は下がった。次に対峙した時、多くの手札を失ったジエルケと何も失っていないノアたちとではどちらが有利なのか考えるまでもない。
と、ノアだけならそう考えたかもしれない。しかしノアはパルミドスからこう聞いている。
『奴の深淵を見通すのは簡単ではないと心得よ』
加えて楽観視はできないというクリスの言葉。ノアよりも遥か格上である二人の言葉を無視はできない。かと言ってノアでは具体的に何も思い浮かばない。
「まずノアの話によると、猿が現れてからのジエルケの言葉には、猿さえ現れなければ計画が上手くいっていた、そう考えていた口ぶりとなっている」
『上手くいっていたのに貴様のせいで――』
それが消える直前のジエルケの言葉だ。猿が現れなければ計画は上手くいっていた。それ以外の意味には読み取れない。
ジエルケはクリスの力をある程度把握している。ならばクリスが早いうちに現場にたどり着く事くらいは予想できたはずだ。実際クリスはそれ程遅れてはいなかった。
ジエルケの言葉を信じるなら、あの現場に猿ではなくクリスが現れていた場合、計画は予定通りになっていたのかも知れない。だがその状態で何ができたのか。
ジエルケはノアの体を乗っ取るような事を言っていたが実際はそうではなく、傀儡とする為の術を使っていた。
普通に考えるとジエルケは更なる逃亡を考えており、その際にノアを扱いやすく、つまりノアに抵抗されないよう連れて行きやすくする為に傀儡の方法を選んだと思われる。そこにクリスがたどり着いても魔術師パルミドスがおり、彼を捨て駒にする事もできただろう。
だがそれはあくまでも普通に考えると、だ。その程度の考えでジエルケの深淵を見通せたと言えるだろうか。パルミドスはそれを見抜けなかっのか。
「猿がいたからその後の行動ができなかったって事だよね。もう一度クリスに自分を殺させるとか」
「なくはない。だがその場合ジエルケは更に自分の幽体を削る事になる。そこまでするかは疑問だ」
あの状態で更に肉体を乗り換えるのなら、その魔法の代償として再び幽体を削る必要がある。たとえ新たな肉体の死を利用できたとしても適合度が幽体を削る可能性は否定できない。それにそれをしても逃げられるのは自分だけ。ノアはその場に置き去りになるはず。意味があるとは思えない。それとも再び肉体を代償に転移をするか。そんな二度手間をするのも考えにくいし、それならクリスや猿がくる前にできたのではないか。
「可能性だけを考えるならジエルケの言葉は猿ではなくノアへ向けた嘘、演技とも言える」
「ああ、策がないのに何かあるかのような、こちらを惑わす為のって事かな」
「……いや、自分で言っておいてなんだがそれはないな。あそこまで命をかけておいて最後が惑わすだけ、はないだろう」
「確かに……」
結局のところ最後の一手はわからないと言うしかない。もしかすると今考えた中に正解があるのかもしれないが、断定できる材料は全くない状態だ。
「いずれにせよノアを奪われずに奴を倒せれば、それ以上何かできるとも思えない。あくまでも普通に考えるとだが」
「じゃあとりあえずは見つけ次第倒す、でいいのかな」
「うむ……いや、倒すのは私がやる。ノアは身を守る事に徹しろ。力を失ってはいてもあれは危険だ」
ジエルケが力を失っているのは確かだ。しかし経験や思考能力まで失っているわけではない。そこにノアを直接触れされるのは良いとは言えない。奴の目的はクリスではなくノアなのだから。
ジエルケを見つける事ができたなら後はクリスが倒すだけ。ノアは全ての時間をクリスとともにいる。一度使った手を二度も使うとは思えないので死角もほとんどない。どう考えてもこちらが有利。しかし素直にそう思えないのも事実。
「それと……一応もう一つ方法がある。そちらの方が安全だろうな」
「え、他にもあるの?」
「ああ、奴と会う前にここから出る。そうなればアレはこの場に残り追いかけようがない」
「あー、なるほど」
とは言ってもそれができるならジエルケ関係なく今すぐやっている。本来のノアの魔法であるアイテムボックス。現実世界と繋がる扉はそこにある。今までにそれに関するヒントらしきものは何もなく扉の場所は全くわかっていない。おそらくはヒントとかの話ではなく扉があるかないか、だけなのだろう。
「しばらくは修羅との戦闘は控えひたすら扉を探して歩き回るか。鍛錬は私が模擬戦をしてやろう」
ジエルケが再び他の修羅を利用しないとも限らない。そこは事前に気をつけられる部分でもある。とは言え魔術師パルミドス以上の存在などそうはいない。ジエルケもやらないとは思うが念の為だ。クリスはその時間を扉探しに当てたいと考えている。少なくとも行動方針は見直すべきだろう。
「うーん、どう考えても修羅と戦う方が楽そうだけど仕方ないか」
「以前に比べ少しは戦えるようにはなっている。私にかすり傷でもつけられたら何でも言う事を聞いてやるぞ」
「魅力的な話だけどそんな事できた人はいるの?」
「魔王と呼ばれるようになってからはいないな」
おそらくそんな事ができるとしたら魔将軍かそれ以上の存在だろう。ノアが思いつくのは魔将軍に匹敵するシフォンくらいだ。それでも全力でかかって行ってかすり傷がせいぜいではないか。魔将軍もシフォンも元々はクリスが育てたのだから。今のノアでは到底無理だろう。
――いや……
もう一人だけ思いつく存在がいる。
強さについては全くわからない。だがクリスの敵対勢力としては最高峰と言えたはずだ。現実世界では魔王と相討ちと言われているが、実際はクリスには勝てず滅んでいる。本来であれば魔王は誰にも倒されていないが、クリスが修羅の獄に堕ちた事により魔王も滅んだと思われ、そこが歴史の転換点となった。最後に魔王と対峙した存在でもある。
「何か聞きたそうな顔をしているな」
「え、うん……勇者はどれくらい強かったのかなって思って」
「奴か……弱くはないが所詮は借り物の力だ、私には届かない。だがそれは奴もわかっていた」
勇者とは借り物の力であり、それは勇者自身もわかっていたとクリスは言う。ならば勇者は何故、魔王に挑んだのだろう。そもそも借り物の力とはなんの事なのか。
「話しても良いがそこだけ聞いても意味はない。長くても良いなら教えてやる」
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