第28話 試し


「じゃあ猿はそんなに悪い奴ではないね。少なくとも敵ではないよ」

「そうだな。だがそれはノアに限った話かもしれん」

「え?」


 神話を事実と考えるなら猿は修羅となるのだろう。多くの人を殺したがエンショウテンが救済の道を示してくれたので修行者となった。しかしその機会を棒にふり、よりにもよって大僧正に勝負を挑んでしまった。それによりボルポスと同じ地の底、つまり修羅の獄へ落とされた。

 現在クリスとノアの知る猿は神話にあるエンショウテンと同じ、法衣と錫杖を持つ修行者と思われる。加えて猿はこちらに敵対した事はない。そしてノアもジエルケから助けられた。

 敵ではないとも考えられるが簡単に味方とも考えられない。


「猿は修羅としてではなく修行者としてここにいる。多くの修羅がいるここにな。つまり猿はかつてのエンショウテンのような立場だ」


 エンショウテンは修羅を地の底に突き落としもするが救済の道を示す事もある。それがボルポスと飛猿だ。


「ここで修羅でないのはただ一人。ノア、お前だけだ」


 なので猿はノアを助ける。何をどこまで考えているのかはわからないが、いずれノアに対しては何らかの救済を示すだろう。


「だが私はそうではない」


 魔王ヘレンゴードとして君臨したクリスは紛れもなく修羅。基本的に猿にとっては救済の対象とはならない。


「そんな! じゃあクリスはここから出られないの」

「いや……私は試されている可能性がある」


 ノアが修羅の獄にきたきっかけはトラストに殺されそうになったからだ。その時ノアはアイテムボックスの中に扉が作られた。それはノアがしたのではない。誰かがノアを救う為にやったのだ。仮にそれをエンショウテンとしよう。

 エンショウテンとて万能ではないだろう。全てを助けてよいわけでもない。他の事情もあるはず。だからノアの意思で道を切り開けるよう僅かな救済として扉を作った。そしてノアを扉の先にいる飛猿へと託した。

 飛猿はそこにクリスを飛ばした。修羅の獄でノアを生きていかせる為には手助けとなる人物が必要だ。おそらくそれができるのはクリスただ一人。飛猿はここで様々な修羅を見てきてそう判断した。

 そしてそれはクリスがどのようにノアを扱うのかという試し、そうも考えられる。その試しにより飛猿はその先の対応を変えるだろう。

 猿は敵か味方かではなく、救えるか救えないかで考えているのではないか。


「な、ならクリスは大丈夫だよ。クリスは僕を救ってくれた。生きる力を与えてくれた。それは間違いないんだから」

「ああ、かもな。だが私は魔王と呼ばれ多くの殺戮を行ってきた。それはノアの想像を絶するものだ」


 魔王としての殺戮、ノアへの手助け、果たしてそれは釣り合うものなのだろうか。クリス自身はそれをある程度測る事もできる。だからこそわかる事もある。

 ノアは不安げな表情でそう話すクリスを見つめる。


「フッ、まあそんなに気にするな。猿の意思などどうでも良い。やる事は今までと変わらない」

「でも……」

「ノア、お前は必ず帰してやる」

「クリスは? クリスはどうなるの」

「そうだな……もし猿がそれを邪魔するのなら押し通るまで。たかだか妖鬼程度に私は止められない」


 本当にクリスはそう思っているのだろうか。ジエルケなど全く相手にならない程の強さを持つクリス。神話によると飛猿はボルポスを僅かに上回る程度。しかしそれは数千年前の話。今もそうだとは考えられない。


「その話は終わりだ。外が見えてきた」


 二人はクリスのぶち抜いた穴から外へ出た。


 先程までとは違い二人は無言で歩く。

 この修羅の獄から出られるのはノアだけであってクリスは出られない。その可能性をクリス本人から知らされた。ここを二人で脱出する、そう思い込んできたノアには衝撃的な話だったはずだ。

 そしておそらく、その障害となるのは猿。神話だけの話ならばそこまでの危機感はなかったかもしれない。しかし現在ノアの知る猿は、ジエルケをあっさりどこかに飛ばし、ノアがここへきた頃にはクリスでさえも飛ばされていた。

 猿がクリスをここから出さないと考えているのなら、一筋縄でいくとは思えない。

 だからといってノアに何ができるのか。何もできはしないだろう。


「随分大人しくなったがそんなに心配か」

「だって……」

「あくまでも可能性の話だ。そうだと決まったわけではない」


 だがそれでノアも納得はしないだろう。クリスはノアを鍛え、ノアはクリスをここから出す。最初に交わされた約束はただの約束ではなくなっている。それはノアにとっての願い。二人でここから出てシフォンを探し、クリスには平穏な人生を歩んでほしいという願いになっている。


「ノア、私もむざむざ修羅の獄に残るつもりはない。しかし万が一私がここ出られない場合、ノアだけでも行かなくてはならない」

「…………」

「ノアにはその命を繋いでくれた人、帰りを待つ人がいるのだろう」


 命を散らしながらもノアを守った人たちがいる。その帰りを待ちわびている人がいる。だからノアには帰らないという選択肢はない。


「でも……クリスが出られないなら僕もここへ――」

「その先は言うな」


 ノアは自分もここに残ると言いかけたが、それはクリスに阻止された。軽々しく言って良い事ではないはずだ。それをバスティアンやベンが聞いたらどう思うのか。今のノアはそれを考えられていない。


「ノアは以前言ったな、私をここから出してやると。自分に課した言葉くらいはたとえ叶わずとも貫いてみせろ。腑抜けた事を言うな」


 クリスは厳しい口調でそう話す。


「それに私はノアに心配される程弱くはない。数千年生きたであろう妖鬼であっても私の道を阻む事は許さない。ノアは私と猿のどちらを信じるのか」

「そ、そりゃクリスだよ。決まってるじゃないか」

「心配するなとは言わん。だがそれを封じ込めるくらいの強さは持て」

「うん……」

「私をここから出してくれるのだろう。ならばその障害となるものは知っておけ。その上で抗ってみせろ」


 クリスの叱咤を激励と捉えるか、それとも苦言と捉えるかはノア次第だろう。しかしどちらにせよ心配ばかりしていても事は運ばない。

 修羅の獄という最悪の場所でできた大事なもの。それを守る為にはどうするか。結局はクリス頼みになるしかないのだろうが、少なくとも負担はかけられない。ノアはそう思い直した。そう思うしかないのだ。


「わかった。でもクリスも言ったよね」

「なにをだ」

「僕はしっかり聞いてたよ」


 それはクリスが小部屋にたどり着いた時、魔術師パルミドス・エンゲラージュに言った言葉。


『そんな下らん事はどうでもいい。私の身内に手を出した覚悟はできているんだろうな。こちらを怒らせる事はするなと言ったはずだ』


 この時クリスはノアの事を『私の身内』と言った。パルミドスに放った言葉ではあるが、当然ながらそこにいたノアもこれを聞いている。

 ノアはその言葉に驚くとともにクリスから身内として認められた高揚感もあったのだ。


「クリスは僕の事を身内と言った」

「まあ……言ったかもしれんが」

「僕はクリスが困った時に何もできないかもしれない。けど身内なら心配するのは当然じゃないか!」

「それとこれとは……」


 ノアにも言いたい事はある。それは白か黒かでは決められない事でもある。どちらかを選べ、片方を切り捨てろ、身内に対してそれは酷な話だ。


「でもクリスの言うこともわかるよ。だからせめて今くらいは心配させてほしい」


 それを聞き押し黙るクリス。どちらの考えが合っているとか間違えているとかの問題ではないのだろう。歴戦の魔王であるクリスと、ついこの間までまともに戦った事すらないノアとではくぐり抜けた修羅場の数、そこにあった心構えも同じではない。甘えと言えばそうなるのかもしれないが、それは絶対に不要とまでは言えない。その考えを消化する時間くらいはあっても良い。

 クリスは少し間をおき、ため息を吐いてから口を開いた。


「困った奴だ。今日だけだぞ、明日からは切り替えろ」

「うん、明日からは僕がクリスを守る、位の心構えを持てるようにする。明日からね」

「自分を守ってくれるという宣言がここまで弱々しく聞こえたことはないが、まあ良い」


 とは言え拭いきれない不安は残るだろう。空元気もあるかも知れない。話せば現実が変わるわけではないのだから。それでもノアはクリスとともにここから脱出し、そして復讐を果たす気持ちに揺らぎはない。その為に行動してきたのだから。

 クリスが修羅の獄から脱出できない場合どうするか。その答えはない。しかし答えがないからと諦めてしまえばそこで終わりだ。それは二人で考え、行動する必要があるのだろう。


「この後ジエルケについて話しておくつもりだったがそれも明日だな」

「え、ジエルケについて?」

「そうだ。いくつかわかった事があるがノアは今日、私の心配をしなければならない」

「凄く気になる言い方なんですけど……」

「ああ、気にしろ。そうなるように仕向けたのだからな」

「くっ……」


 結局のところいつまで心配などしていられない。その方向へ誘導するのにクリスは一枚も二枚も上手なのであった。


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