第26話 名前
「な、な、何故貴様がここにいる!」
壁をぶち破って現れたクリス。それに驚いたのは小部屋に残された魔術師だ。
「私の術に反応すらせずいったいどうやって……」
「術? 私がお前らの逃走経路を使うとでも思ったか。それとも転移を防ぐ結界か」
「ならばどのように……」
「そんな下らん事はどうでもいい。私の身内に手を出した覚悟はできているんだろうな。こちらを怒らせる事はするなと言ったはずだ」
クリスが手をかざすと魔術師は吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
「ガフッ」
口から血を吐く魔術師。それを拭いながら魔法を行使しようと手を振り上げる。
「化け物め、調子にのるな!」
しかし魔法は発動しない。焦る魔術師。何度も手を振ってみるが結果は変わらない。
「ば、ばかな……」
「魔法を封じられた事すら気づかんのか」
「封じたじゃと! そのような事できるはずが……」
「さすがに呆れる。無詠唱の仕組みすら知らぬとは」
「仕組みだと! そんな事ができるのか」
「当然だ。勝負の最中にいちいちそんな事は教えんがな。どうする、のんびり詠唱でもしてみるか」
魔術師が単独で戦闘に使う魔法はほとんどが無詠唱か部分詠唱となる。ノアと戦っていた時も使っていたのはほぼそれだ。
無詠唱、部分詠唱ともに省略されたものになるが正確には口頭での詠唱をしないだけで別の形で高速詠唱しているだけだ。もちろんそれが全てではないが、この魔術師の場合はそれにあたる。正統派の魔術師であるほどこれに近くなる。正統派とは魔法を学問として学ぶ者たちだ。
省略された部分は幽体、正しくはエーテルに刻まれており、そこを魔力が通る際に術式が拾われる。要は印刷されているようなものでそれが高速詠唱処理となる。基礎は暗記と変わらない。例えば覚えた数式を口頭で言うのと図や絵として思い浮かべるのとどちらが早いか。前者が詠唱、後者が無詠唱だ。
幽体の一部となるエーテルは他からの影響を受けないか。もちろんそんな事はない。
クリスは先程の攻撃で魔術師のエーテルを局所的にコピーしている。大雑把で範囲も広くはないがそれは術式のある部分になる。魔術師のエーテルとコピーされたエーテル。二つを重ね合わせて歪めるとどうなるか。本体の術式もその影響を受けそこに僅かな歪みを生じさせるのだ。すると術式は正しく動作しなくなる。あくまで一時的なものではあるが、それの修整は五分や十分でできるものではない。相手の技量によるが早くて数時間、遅ければ数日はかかるだろう。
クリスにとって相手が魔法を行使しようがしまいが大した影響はない。しかしここは小部屋であり近くにはノアがいるので破壊力の強い魔法を使われるとノアが危険だ。なので最初にそれをしたにすぎない。だが魔法としてはかなりの高等テクニックだ。相手のエーテルを見通すのは難しく、行使は経験によって見極める部分が大きいが、正統派の魔術師には通じやすい側面もある。逆に言えば感覚、念動、特性に頼る魔術師には通じにくい。身近な例は種族特性のありそうなジエルケと念動に近い感覚的な光弾しか使えないノアだ。
「良いものがあるな」
クリスの目に止まったのはノアが張り付けられていた木組みだ。かざした手を再び魔術師に向けるとその体は浮き上がり木組みに叩きつけられた。その下に落ちていた縄は生き物のように動き出しあっという間に魔術師を拘束する。
「ぐぐ……」
「勝ち目があると思うならいくらでも抵抗してみろ。痛い目をみるだけだがな」
魔法を封じられ体も拘束されている。それを造作もなくやってのける相手に抵抗の意味などあるのか。魔術師は奥歯をギリッと噛みしめるながら視線を逸す。
「ノア、ジエルケはどうした。体を乗り換えてここにいると思ったが」
「え、そうだ! ジエルケは猿が――」
そう言いながらノアは猿がいるはずの背後へ振り返る。
「あ、あれ? さっきまでここにいたのに」
しかしそこには既に猿の姿はなかった。ノアは確かめるように辺りを見回すが、先程の気配は微塵も感じられない。クリスもその様子から猿がここにいたとは知らなかったようだ。
「猿がここにいたのか」
「うん、猿の錫杖がシャリンって鳴ったらジエルケが消えて……」
「錫杖か……なるほど」
クリス自身、ノアと初めて会う直前にも同じ事があったのでそれについて思い当たったのだろう。ジエルケは猿によってどこかに飛ばされたと理解した。
「猿の意図はよくわからんがそれまでの事を詳しく話せ」
ノアはジエルケと魔術師の策略によってここへ飛ばされた。そこでジエルケの望んだものは自分がノアとなり変わる事。つまりノアそのものを欲しており、そこに付随する扉に関する情報も自分のものにするつもりだったのだろう。
クリスがここへ到達した時間を考えても最初から余裕がなかったはずで、そこは魔術師も認識していた。それはノアも、そしておそらくジエルケもだ。
しかしジエルケは余裕をもった態度でノアに迫り、更に計画の説明をするなど悠長すぎるとも思える行動をしていた。
だがそれは説明などではなく既に最初から術中なのだとノアは気づいた。気づきはしてもそこから自分で脱する事はできたのか。かなり難しかったはずだ。
「上手いやり方だ。ノアが時間稼ぎを考えている事を始めから予想し、それを意図せず与えているように見せかける。だからこそ話を聞かなければならないように仕向けられる。結果的に術は深く、そして早く浸透する」
クリスはそう説明しながら更に続ける。
「だがその程度で肉体を乗っ取るなど不可能だ。ノアは私が鍛えているのでそう簡単にはいかない。別の意図があったな」
「え、そうなの?」
「ああ、おそらくはノアを傀儡とするための予備的な術だろう。短時間で肉体を乗っ取るには様々な条件がある。どうせ委ねろとかなにか言ったのだろう」
「え、良くわかるね」
「それは乗っ取りで使う文言ではない。傀儡となる為に委ねろと言う意味で意識を奥底に封じるものだ。大きな術は段階や条件が重要となる場合が多い」
クリスはノアの話を聞きジエルケの意図を言い当てていく。
肉体を乗っ取るには相手がそれに抵抗しない事、できれば乗っ取りを望んでいる状態が理想だ。その上で契約を交わし相手に対価を与える事も必要となる。ノアのように抵抗する相手には簡単に通じない。
今回行われたのはその何段階か前の予備的なものだ。おそらくはノアを連れて更に逃走しなければならないので、そこを考慮したものだろう。ノアの抵抗がある状態で連れて行くのは楽ではないはずだ。
他の方法は相手を殺し、その肉体を修復して使うと言う手もあるが、ノアの何が扉と直結しているのかわからない状態でそれはできない。
ここで乗り換えた肉体はその方法なのだろうが、ノアにそれをやっては意味がなくなる。
「途中で気づけて術に堪えたのなら上出来だ」
「堪えられなかったらどうなってたの?」
「傀儡にされただろうが、その程度なら私が治せる。術としては言霊のような縛りを強化させたものと思えばよい」
クリスであればその程度なら瞬時に解除できただろう。現場に到着さえすればクリスを止める事はできない。
しかし、そうなると疑問に思うのはジエルケほどの相手がそこまで見抜けなかったのか、と言う事。時間的に考えて猿がこなかったとしてもクリスは充分間に合っていたと思われる。そうなればこの計画は失敗だ。ジエルケはそう考えなかったのか。
「他にもなにかありそうだな。猿が何かを狂わせたと言う事か……」
猿が現れた時、ジエルケは通常では見せない態度を見せ激昂していた。ノアにはあれが演技とも思えない。ジエルケにとって計算外の出来事だったように思う。それが何かを狂わせた可能性はあるだろう。だがそれはあくまでも可能性の一つでしかない。
「猿は純粋に僕を助けたように思うんだ。それまで苦しかったのは事実だし、猿がきてくれたから僕も助かったと思っているし」
「私も話を聞く限りではそうだと思っている。だが単純に味方と考えるのは危険だ。ハッキリした事がわからぬ以上、可能性は捨てるべきではない」
敵の敵は味方。そう考えるにはあまりにも猿の情報は少なすぎる。しかしノアが思うのは助けられた時に見せられた猿の無邪気とも思える笑顔だ。複雑な意図を感じさせるものではなかった。
ノアはその時の事をよく思い出してみる。そこで印象に残ったのは猿ともう一つ、ジエルケの言葉にもある。
「そう言えばジエルケは猿をヒエンって言ってた。落ちぶれた妖鬼とかなんとか」
「ヒエンか……」
クリスはヒエンと言う名を聞き、なにか心当たりがあるのか少し考える素振りを見せる。その視線は魔術師へと向けられた。
「お前は仕込んだ転移の術を行使する時ジェルケン・ボルポスと言っていたな。それが奴の真名であり、お前はそれを使った代理行使の役割か。あれは真名ボルポスの名で発動させたものだ」
魔術師は些細な抵抗なのかそれに答える事もなくそっぽを向く。だがクリスはそれ以上問い詰める事もなく視線を外す。ただの確認なのだろう。
魔術師やノアをここまで運んだ転移魔法はジエルケの魔法であり、おそらくはジエルケしか行使できないものだ。それを他者である魔術師が行使するなら真名が必要だった事になる。あくまでも行使の主体はジエルケであり魔術師はその代理である。
ジエルケは猿が現れた時も自身をボルポスと言っていた。それが本当の名である可能性は高いだろう。大雑把な言い方だが真名と言うのはその者の本来の力を持っていると考えてよい。クリスに邪魔をさせない為、ジエルケは魔術師にそれを使わせたとも言えるだろう。
「妖鬼ヒエンと大蛇ボルポスか。ここでそんな話になるとはな」
「大蛇? なにか知ってるの」
「思い当たる話は知っている。今は関係ないので後で教えてやる。ノアの話はとりあえずわかった。次はお前だ」
そう言うとクリスは張り付けにされたままの魔術師の前に立った。その眼は忌々しげにクリスを睨んでいた。
「お前の目的、それとジエルケについて知っている事は洗いざらい話せ」
だが魔術師は話さない。即座に目を逸し口は噤まれたままだ。だがクリスはそんな事もお構いなしに言葉を続ける。
「大体の予想はついている。お前はジエルケにノアについての秘密を聞き、その分け前に預かるべく奴に協力した。具体的にはここからの脱出が奴への協力条件だ。だが実際はそうならず捨て駒にされた状態だ。何故ならジエルケは私が間に合うと予想していたと思われるからだ。その場合の生贄がお前になる。捨て駒にされたお前は禄な情報を与えられておらず、猿に飛ばされたジエルケの行き場など知るはずもない」
「………………」
「何故お前は捨て駒にされる可能性に気づかなかったのか。そこまで間抜けでもあるまい」
クリスが疑問なのは何故魔術師がジエルケに協力したのかだ。魔術師は今までクリスとの勝負を拒んできた。それは相手が自分を遥かに凌駕する化け物と知っているからだ。ジエルケの条件はここに生存する者ならば誰にとっても魅力的に映るだろう。他の修羅なら喜んで協力もしただろう。しかし、この魔術師にとってもそれは魅力的ではあるが拒みたい理由もあるはずだ。それはクリスと言う怪物がこの計画を力ずくでぶち壊す可能性であり、魔術師はそれを知っていはずだ。
「……さっさと殺せ」
ポツリとそう漏らす魔術師。既に覚悟はできていると言った雰囲気だ。クリスとまともに対話する気はないのだろう。
「こんな場所にいればいずれは望まぬ死を迎える。貴様のような怪物に喰われてな。じゃがワシは長いこと生きたので生への執着も大してあるわけでもない。やるなら殺れ」
諦めともとれる発言をする魔術師。死を受け入れているのであれば、ここから情報を得るのは難しいだろう。
「なるほど、私も拷問をしてまで得たい情報ではない。潔く死を受け入れているのならそれも良いだろう」
クリスは地面に手をかざすと色とりどりの魔石や杖などを出し、それを魔術師の前に置いた。
「これはノアとの勝負の結果に関係なくお前に譲ると約束したものだ」
「今更どうでも良い。勝手にせい」
「ならばここに置いておく」
そしてクリスは大剣を出した。それで首を跳ねるつもりだろう。魔術師は虚ろな表情でそれを見つめる。
しかし――
「ちょっと待って、クリス」
そこでノアから声がかかる。
「少しだけ話をしてもいいかな」
クリスは一瞬訝しげな表情を浮かべるがすぐに了承する。
「構わんがこれを助ける事はしない。わかるな」
「わかってる。生かしておけば僕が危険だ。この魔術師から自分だけでは身を守れない以上、クリスには従うよ」
そう言ってノアは魔術師の前に立った。そしてその目を見つめる。
「僕はあんたとの勝負で色々と教えられたと思っている。それにより力をつけられたとも思っている。まだ遠く及ばないけどね」
魔術師は虚ろなままその視線をノアに向けた。
「あんたは僕の敵だったが、それでも僕に色々と教えてくれた。もちろん僕を信用させる手段なのは今になればわかるけど、それでもその事については感謝をしている」
すると魔術師は僅かに目を見開くとすぐに口角を持ち上げる。
「クックック、なにを言うかと思えば……甘っちょろいバカな小僧じゃ」
「かもね、僕もそれはわかっている。でもそう思われても今を逃したらもう言えない。だからあんたには感謝をしたい」
そう言ってノアは魔術師に対し深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
それを見下ろす魔術師。心なしかその瞳は僅かに緩んだようにも見える。しばらくそれを眺めていた魔術師はおもむろに口を開く。
「小僧……あの腐れ悪魔は生きている。どこにいるかは知らんがな」
魔術師はそう話を始めた。
「そこの化け物の言うことはおそらく正しい。しかし奴の深淵を見通すのは簡単ではないと心得よ」
それは魔術師がジエルケに協力をしたからこそ得られた率直な感想だ。自らの命を対価に魔法を使うなど普通は考えない。それは魔術師も同じように思ったのだろう。
「これもおそらくではあるが、奴は呪言を使う」
「呪言?」
「そうじゃ。呪言とは言葉そのものに呪がかかっている状態を言う」
それはジエルケの意思に関係なく言葉に強い説得力を持たせる状態。言霊ほど強力ではなく力はそれ程強くはない。人間で言えば政治家や扇動者が知らずに使っている場合もある。
ジエルケは種族特性によりそれよりも強力になるだろう。そしてそれを更に強化させる技術もある。ジエルケの本質、その基礎的な部分とも言える。
「化け物よ。お前も少しは感づいているのではないか」
「ああ、ジエルケは自分のタイミングで私に殺されようとした。そう言う事か」
ジエルケはクリスに殺される直前、挑発的な言葉を使い更にノアを殺そうとまでした。だがその意図は自分が殺されるタイミング、すなわち術の発動タイミングをコントロールした事にもなる。そしてクリスもそれに関して全く心当たりがないわけではないようだ。
もちろんそれがなくてもクリスはジエルケを殺しただろう。問題はそのタイミングをコントロールされたという事だ。
そしてその呪言が、クリスの先に対する読み間違いを生んだ僅かな一因となるのかもしれない。
「別に命乞いをするわけではないが、ワシもそれを使われたと思われる」
魔術師はノアを餌として協力を持ちかけられた。九割方それに協力したいとは思っていても残り一割にはクリスの存在がある。もしかするとそれが協力を断る要因になったのかもしれないが、そうはならなかった。魔術師はそこにジエルケの使う呪言の可能性を考えたのだろう。こうなる未来が全く見えなかったとも思えない。
「え、じゃあもしかすると……」
「その先を考えるな小僧。可能性をいくら考えてもワシとお前は敵同士。それは変わらぬ。何よりお前の後ろに控える化け物がそれを許さぬ」
ノアは魔術師が敵とはならない可能性を考えた。しかしそれは当の本人から否定された。既に終わった事の可能性など魔術師にとって意味などないのだろう。
仮にジエルケの呪言がなければ魔術師はノアの敵にならなかったのか。呪言は対象の意見を簡単に変えるものではない。魔術師に気づかれずそれを使うのなら、背中を押す程度のものにしかならない。
「やはり甘っちょろいバカな小僧じゃな。じゃが貴様らが奴を討つのなら、ワシの溜飲も少しは下がると言うものよ」
そして魔術師はノアの目をじっと見てから再び口を開く。
「常々用心しておけ。その化け物がいつまでお前を守ってくれる。最後にものを言うのは自分の力じゃ。それを忘れるな」
魔術師はそう話を締めくくるとノアから視線をずらした。ノアはそんな魔術師を見つめ続ける。
「僕の名前はノア。ノア・クリサリス。最後にあんたの名を聞きたい」
すると魔術師は再びノアと視線を合わせる。
「フフッ、貴様は本当に変なガキじゃな。ここで名を聞かれたのは初めてじゃ」
僅かに笑みを浮かべる魔術師。そこに先程までの悲壮感は見えない。仕方のない事を笑って許すかのような表情だ。
「ワシはパルミドス・エンゲラージュ。ノア・クリサリスよ。お主の名、覚えておこう」
「僕もだ、パルミドス・エンゲラージュ。あんたの事はずっと忘れない」
「よかろう、ではノア・クリサリス、お前がワシを殺せ」
パルミドスはそう言って目を閉じた。ノアがクリスを見ると頷いている。その要望に問題はないのだろう。ノアは手に剣を持ちゆっくりと振り上げる。
そして全身全霊の力を持って一瞬でその首を跳ね飛ばす。
地面にゴロリと転がるパルミドスの首。その表情に苦痛の色は全く見られなかった。そしてその首と肉体はドラケルスの指輪により崩れていき、最後にはクリスの置いた宝物のみが、その場に残された。
ノアはそれをしばらくの間じっと眺めていた。
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