第25話 音色


「ジェルケン・ボルポス、死の術式アレグラータ、肉体を対価とし、ここに発動せり」


 死の術式。それは自身の命を対価とする魔法。予め肉体に仕込まれた術式を死によって発動させる。方法としては生贄を捧げる儀式のようなものだ。そのやり方で行使される魔法は強力であり、他からの干渉を受けにくい。ジエルケは魔法の行使をクリスに邪魔されないよう、これを使ったのだろう。

 しかしそれではジエルケが死んでしまうのでいくつかの面でコントロールが効かない。それは魔法を発動させる位置、対象、タイミングだ。それを補うのが魔術師となる。

 まず魔術師はクリスがきた時にこの辺りの罠を停止させたと言っていた。その停止させた罠の中に死の術式の発動ポイントがあったのだ。そうなればクリスから見て怪しい場所は一つではなく複数となる。そしてそれは全てが罠と誤認する。クリスは以前から魔術師が近辺に罠を仕掛けていた事を知っていたのでそれを利用したのだ。

 クリスとジエルケの勝負が始まると、その余波を受けないように魔術師は結界を張る。その際にノアへ下がれと言って発動ポイントへ誘導する。

 何度か微調整を繰り返し準備を終えると、ジエルケはノアを攻撃し自身をクリスに殺させるように仕向けた。

 ジエルケの死によって術式は発動するが、タイミングが重要な為その内容は予め分けてあった。最終的な行使は魔術師の鍵言によって行われたのだ。

 ジエルケと魔術師は最初から協力者であり、クリスとノアがいずれここにくるだろうと待ち構えていた。

 魔術師はこの辺りの蟲が減っていた事を知っていた。ジエルケはクリスがノアを連れている事を知っていた。そしてこの場所で生きるためにはある程度の強さが必要であり、それを身につけなければならない。その程度は誰でも考える。クリスもそれは隠しておらず、そもそも生活の大半がその為の時間なのだから隠しようもない。

 多くの蟲や修羅を倒しながらいずれこの場所を訪れる。ジエルケはそう予想し魔術師に話を持ちかけた。

 修羅の獄では双方ともに強者と言えるだろう。なので通常なら考えにくい組み合わせだ。更に魔術師はクリスとは戦いたがらない。

 おそらくはノアを餌にしたのだろうがそれでも少し腑に落ちない部分はある。しかしそこがクリスを欺けた最重要ポイントになるのかもしれない。


「これは……逃げろノア!」


 魔術師の結界の中で術が発動する。予め地面に描かれた魔法陣は光を走らせながら浮かび上がる。ノアと魔術師はその上にいる。何が起きたのかわからないノアは結界により逃げる事もできない。


「クリス!」


 そう叫ぶのが精一杯だ。その直後、ノアは魔術師とともにその場から消え去った。

 静寂の訪れた岩山に残されたのはクリス、そしてジエルケの亡骸のみ。ノアはまんまと連れ去られてしまった。

 いくつもの要素が重なり実行された計画。一つの大穴に気づく者は多くいるだろう。しかしその穴が細かく、そして小さく分散されていたらどれだけの者が気づけるのか。例え一つの小さな穴を見つけても全体像までは見えてこない。それがこの計画の仕組みだ。


「……やってくれたな」


 クリスは既に死んでいるジエルケに手をかざす。そこから薄い光が照射されその肉体を検分しているようだ。数秒の後、光は強さを増しジエルケの遺体を木端微塵に打ち砕いた。


「体を乗り換えたか。用意周到な事だ」


 そしてその瞳は鋭さを増した。


「ノア、すぐに行く」



 まどろみから意識が浮上する。自分に何が起きたのか理解できぬまま、ノアはその目を開いた。


「……うっ! 誰だお前」


 目の前に知らない人物がいる。特に大きな特徴はなくそこらにいる修羅、と言えばそう見えるだろう。しかしよく見ると何かしらの歪みが見て取れる。それは立ち方であったり、首の角度であったり、左右の目の開き具合であったりと不自然さ不自由さを強く抱かせる。


「申し遅れました。私はジエルケと申します」


 その風貌にミスマッチな言葉と態度。それはまさしく短い時間ながら記憶に残っていたジエルケのものと変わりない。ノアは別の体と入れ替わったと思われるジエルケに、不可解さを感じながらもそれを呑み込む。そこを考えている余裕などない。


「お前!」


 ノアは体を動かそうとするが動かない。よく見ると自分の体がT字型の木組みに張り付けられていた。その腕、足、胴体は縄できつく縛られている。

 力まかせに何とかならないかと体を動かすが縄はびくともしない。


「無駄です。それは普通の縄ではありませんので」


 ジエルケを睨みつけるノア。だがそんな事に意味はない。即座に気持ちを切り替え自分の置かれた状況を把握するよう努める。

 自分は魔術師の縄張りとなる岩山にいたはず。そこでクリスとジエルケが勝負となりジエルケが頭を叩き潰されて死んだ。そこで何らかの魔法が発動され、ノアはそれに巻き込まれてここにいる。おそらくは転移系の魔法だろう。

 辺りは薄暗く洞窟の中と思わしき場所。そのどこかにある小部屋といった雰囲気だ。他にも簡素な木組みの寝台やテーブルのようなものが置かれている。部屋への出入り口らしきものはない。転移でのみ、こられるのだろう。

 小部屋の一角には魔術師が背を向けて立っており、今現在何らかの術を使っているようだ。小声で呪文を唱えている。


「僕をどうするつもりだ」

「いきなり本題ですか。まあ良いでしょう」


 ジエルケは邪悪な笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「あなたは本来ならこの世界にくる人間ではない。何かしらの役目があるのでしょう」


 確かにノアは修羅ではないので修羅の獄へきているのはおかしい。何か理由があるのかもしれないがジエルケはそれを役目と言った。それが嘘か本当かまではわからない。


「役目だと?」

「ええ、もちろんその全てはわかりません。ですが確実なのはあなたがこの世界から抜け出す為の鍵を持っているという事」

「っ!」


 やはり見抜いていた。クリスの言ったとおりだ。ノアはそう考え思わず表情を強ばらせてしまう。


「図星ですか」

「……試したな」


 簡単な誘導に引っかかってしまった。ジエルケはこれで確信しただろう。自身の推測が正しかった事を。


「私がほしいのはその鍵です。譲っていただけるならあなたの命を奪う事はしません」


 ――鍵……だと。


 その言葉に違和感を覚えるノア。持っているのは鍵ではなくアイテムボックスの扉だ。大きく間違ってはいないが噛み合ってもいない。ジエルケにはわかっていない部分がある。クリスは言っていた。捕まった場合はできるだけ相手の邪魔をしろと。今できそうな邪魔は、時間を引き伸ばす事。鍵という言葉は突破口になるかもしれない。


「僕は鍵なんて持っていない」

「では、扉、或いは出入り口とでも言い換えましょうか。揚げ足取りは無駄ですよ。私にもわかっていない部分はありますが、最終的には全てわかるようになっていますので」

「うぐっ」


 ダメだ、一瞬で終わった。こちらの考えは見透かされている。


「私はどちらでも良いのです。強引に奪う事も可能ですから。ですがその場合、あなたは地獄の苦しみを味わう事になります。どうしますか」


 地獄の苦しみ。それは嘘ではないのだろう。ジエルケは真実を開け透けに話しているような気がする。だがどのような手段であれ邪魔はしなければならない。


「断る! お前なんかに協力しない」

「そうですか。あの怪物がくるのを期待しての時間稼ぎなのでしょうけど、良い選択とは言えませんね。ここへくるには数万通りの逃走経路、特殊な転移術、あらゆる結界を全て把握していなければなりません。通常なら数年掛かっても解き明かせないものです。期待は無駄に終わるでしょう。それでも考えは変わりませんか」

「うるさい! しつこい! 死ね、バーカ!」

「言葉が乱れてますがまあ良いでしょう」


 幼稚なのはわかっているが口では到底敵わない。半分やけっぱちだがとにかく抵抗はしなければならない。ノアに思いつく手段など全くないが、それだけは忘れてはならないのだ。


「では、強引なやり方とはどのようなものかご説明しましょう」


 説明をするなど随分と悠長な気もするが、多少の時間稼ぎにはなるかもしれない。そう思いノアはそれを聞くことにした。しかしそこで思わぬ横槍が入る。


「時間をかけすぎじゃ! そんなに持たぬぞ」


 それは魔術師の声だ。ノアが悠長と思った同じ事を魔術師も思ったようだ。おそらく彼はクリスをせき止める最後の砦となっているはず。だからこそ、悠長に説明を始めようとするジエルケにイライラしているのだろう。


「私が数年かかると脅したのに事実を言ってはダメですよ。少し黙っていて下さい」

「くっ、腐れ悪魔が……とにかく急げ」


 ジエルケの前では魔術師でも口答えはなかなか難しいようだ。悪態をつくのが精一杯。結局従うしかない。

 これを主導しているのは明らかにジエルケ。ノアは魔術師の話術に嵌められてしまった部分がある。しかしジエルケはその上を行くのだろう。おそらく魔術師は武力も魔法も使われず、ごく自然にジエルケの配下に置かれている。

 魔術師はそれに気づいているのだろうか。ジエルケは構わず説明を続ける。


「方法は簡単です。あなたの肉体から魂を抜き、そこに私が入ります」

「な、なんだと」


 驚くノア。しかし、同時に気づいたのはジエルケが最終的には全てわかる、と言っていた意味だ。肉体を乗っ取りジエルケがノアになる。そうなれば隠していた事など全てわかってしまうだろう。ジエルケはノアになるのだから。


「あなたの魂はコーザルという器に入っており、その両者、つまり魂と器を繋ぐ楔があるのです」


 それは以前クリスに教わった幽体構成の一部だ。エーテル、アストラル、コーザル、他にもあるがジエルケの説明が理論的に展開されているのは間違いない。


「私はその楔を破壊し、双方のコーザルを繋ぐ橋、一本道を作れるのです」


 ノアの陣地とジエルケの陣地があり、それを一本の狭い橋で繋げる。自分の陣地を守るのは自身の魂だ。


「私はその一本道を渡りあなたのコーザルに到達する。楔を失ったあなたの魂は私と力比べをしなければならない。負ければあなたはそこにいられない」


 橋は一人しか通れず二人はそこで戦わなければならない。楔を失ったノアとそこに攻め込むジエルケ。どちらが有利なのか。


「楔を失い更に私の攻撃を受けるあなたは、その傷を剥き出しの魂で受ける必要があります。そこで受ける痛みは想像を絶するものです」


 更にジエルケはその方法の経験がある。だからこれをやれるのだ。当然ながら楔の場所も壊し方も知っている。

 ノアはそれを知っているか。そんなはずはない。相手の楔がどこにあるのか、それさえわからない。どのように戦えば良いのか見当もつかない。


「くっ……」


 そのイメージがノアの中に形作られる。橋の向こうからジエルケがゆっくりと歩いてくる。近づく程に大きく見える。その存在感に圧倒される。戦い方さえわからない。無防備とも言える状態をどうすれば良いのか。強い危機感は恐怖に変わる。


「私はあなたを傷つけなければならない。それがあなたの選択だからです」


 恐怖に視界が歪む。吸い込まれるような感覚がある。抗おうとすると痛みが走る。その痛みは抗うほど増してくる。強い苦痛がノアを襲う。


「い、いやだ……ぐあああ!」

「あなたが選んだのです。仕方ない事なのです」

「く、くそ……くそおおお!」


 吸い込まれる感覚は更に大きくなる。その先には何がある。肉体を失った自分だ。その肉体はジエルケのものだ。ノアのものではない。


 ――そ、そんなはずは……


 やがて肉体の感覚が失せてくる。それにより少しづつ楽になるような気がする。このままいけば楽になれる。だがそれをしてはいけない。戻りたい。戻りたいが楽にもなりたい。


「諦めは悪い事ではありません。委ねなさい」


 ――委ねる……委ねる…………いや、違う! そうじゃない。


 僅かに意識を保つノア。しかしそれも陥落寸前の状態。どうすれば良い。わからない、わからない、わからない。

 しかし、そんな意識の中でノアは僅かな光明を見た。


『どうした坊。もう少し堪えてみろよ』


 ――ベンさん!?


 どこからだろう。遥か彼方から聞こえたような気がする。懐かしい声が、暖かいぬくもりが、強い意志が。

 ノアはその声に意識で呼応する。どれほど苦しくても見なければならない。正確に確かめなければならないのだ。


 ――これは……こんなのは説明じゃない。最初から術だったんだ。時間稼ぎと思って聞いてはいけなかった。


 少しだけ意識を取り戻すノア。だからといって状況は全く変わらない。ならばどうする。苦痛を堪えて意識を集中させる。全てを見ろとクリスに教えられたはずだ。痛みを奥底に無理やりしまい込み神経を研ぎ澄ませる。


 ――これは……


 その取り戻した意識は何か別のものを捉える。何かがこちらに近づいている。気配を感じる。


 ――な、なんだ……


 遠くからシャリンと音がする。鈴、鐘、どちらも違うが金属的な音。柔らかく涼やかな音色。もう一度その音が聴こえた。更にもう一度。音は段々とノアの背後に近づいてきた。

 そしてもう一度、シャリンと音が聴こえる。自分のすぐそば。ノアの歪んだ視界はそれとともにゆっくりと元へ戻った。

 目の前にはジエルケがいる。その目は驚愕に見開かれている。何故だ。


 更に音が鳴った。今度はハッキリと聴こえる。


「ぐああああ!」


 その音にジエルケが吹き飛んだ。


「き、貴様あああ! ヒエンか!」


 ――ヒエン?


「落ちぶれた妖鬼の分際でえええ、このボルポスに歯向かうかああ!」


 今までの優雅な態度が嘘のように変化するジエルケ。その眼は憎しみに歪んでおり口から呪詛を吐きそうな勢いで相手を罵る。


「上手くいっていたのに貴様のせいで――」


 その言葉の途中でもう一度シャリンと音が鳴った。するとジエルケはその場から跡形もなく消え失せる。驚いたノアはその音が聴こえた背後に振り返る。そこにいたのは――


「え……猿……」


 そこにいたのはクリスから聞いていた猿。法衣を着用し錫杖も持っている。聞いていた特徴はそのまま。先程の音はこの錫杖からのものだ。

 猿は驚くノアと目が合うといたずらが成功した子どものようにニンマリと笑う。


「え、え……なんで」


 混乱するノアをよそに、猿はノアを縛る縄に触れた。するとあれほど強固だった縄は簡単に解けて地面に落ちる。そして部屋の片隅に指を差した。

 その途端、そこにある壁は爆発するように壊れそこからクリスが現れた。その視線はすぐにノアへと向けられる。


「クリス!」

「……少し手間取ったが無事だったようだな」


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