第18話 ジエルケ


 突然現れた修羅、ジエルケ。クリスの攻撃を受け即座に立ち去った。それはほんの一瞬だけ訪れた大嵐。ノアも蟲に勝利した高揚感など軽く吹き飛ばされた。


「僕に目をつけたってどういう事」


 ジエルケが発したのは一言だけ。「小僧を飼ってらっしゃるか」と。クリスはその直後に攻撃した。おそらくはこの一言で殺す必要性を判断したのだろう。それは何故か。そこにノアが目をつけられた可能性を見たからだ。


「あれはジエルケという名の修羅。悪魔や邪神かなにかが受肉したものだろう」


 始めて遭遇したのは百年〜二百年程前。クリスはジエルケと短時間だけ戦った事がある。その時はジエルケが彼我の戦力差を即座に理解して逃走。その後数度目撃したがいずれも逃走していた。


「奴が名乗ったのは一度目の逃走時。こちらの動きを止める為かポリシーなのか知らんがな」


 基本的にクリスは去るものは追わない。しかしそのケースはあまり多くはない。大抵は逃走の判断をする前に死ぬからだろう。ジエルケのようなタイプはレアケースだ。


「強いの?」

「弱くはないが私には勝てない。魔将軍にギリギリ届くか、という程度だ」


 普通に戦えばクリスの圧勝。ジエルケもそれを理解しているから逃げるのだ。そしてその後も逃げ続けている。

 しかし今回は違った。いつもと違う様子のクリスを見つけ、念の為に逃走の準備をしてこちらを覗いにきた。そこにノアがいた事を知り二人の関係性に興味を持った。

 通常、修羅は二人以上で徒党を組む事は稀だ。そのようなケースがないわけではないが、大抵は主人のような強者と奴隷のような弱者の組み合わせとなる。だがそれはほとんど長続きしない。ここにくるのは例え弱者でも当たり前のように背中に剣を突き立てる事のできる者が多数。いつまでも奴隷に甘んじてはいない。

 だからこそ、ジエルケの興味をひいてしまったのだろう。

 ジエルケはクリスがノアを飼っていると言っていたが、本気でそう思っているかは定かでない。本来ならどう考えるのが妥当か。


「私はここでも圧倒的強者だ。本来誰の助けも必要ない。だがここを抜け出す事に関してはノアの助けが必要になる。奴がそれを見抜いていたら、ノアの有用性に気づくだろう」


 それを匂わせるのが、ノアを飼っている発言だ。必要ないはずなのに必要としている。そこには何か理由があると考えるだろう。ノアに何かをさせるならクリスができない事だ。その答えに辿り着かないとは言いきれない。

 クリスは即座にそれを判断し攻撃をした。だがジエルケはそれを予想していたのか最初から逃走を視野にいれていた。


「少し奴の逃走経路を洗ったが転移網が細かく構築されている。一が四に、四が八に、八が十六と進む度に増える。逃走時はその全てに偽装の魔力残滓が発動していた。あれは独自の理論で逃走網を構築している。それを作るのにかなりの時間をかけただろう。捕まえるのは簡単ではない」


 つまりジエルケは逃走のエキスパート。奴の勝利は勝つ事ではない。逃げ切る事だ。

 クリスの推測が正しければ、次回はノアを奪いにくる可能性が高い。その時、ジエルケはクリスとの勝負を如何にして回避するか。そこが重要になってくる。


「ええぇ、それじゃ僕はどうなるの?」

「逃げる事はできても私を突破してノアを奪うのは容易ではない。だが万が一は考えておくべきだな。もしノアが捕まった場合、時間稼ぎを優先しろ」

「どうやって?」

「有用性があるので殺される事はない。木偶にされる可能性はあるがな。とにかくそれを邪魔しろ」

「う、うん。わかったようなわかんないような」


 とは言え魔将軍にギリギリ届くというクリスの見立てならば、ノアが戦って勝利するのは難しい。今まで以上に鍛錬を積む必要がある。そしてああいったタイプは策略家の側面も持ち合わせている。意外な方法で目的を達成してしまう可能性は否定できない。

 ノア、バスティアン、ベン、エルードもその策略に嵌められた被害者だ。今回はなんとしてもそれを阻止したい。


「まあ、今から気張ってもしょうがない。今後の為の勉強と思って対応してみろ。あれは純粋な悪だが一面では優れている事も確かだ。敵から学ぶ事も必要だ」


 それを聞いて思い出すのはやはりリンダだろう。あれも純粋な悪のような気がしないでもない。人から奪う事に関しては嬉々として頭をつかう。いずれここを出たら必ず対決する。その時、力技の勝負ならノアが圧勝するがそう簡単にはいかない。

 クリスはそれも説明してくれる。


「トラストとの勝負は力で良い。実行犯で既に自白もしており国外にいる。死を偽装しているのだからどうにでもできる。だが、アルとリンダはそうはいかない」

「なんで?」


 ノアは今ひとつわかっていないようだ。クリスはため息を吐いてから説明を続けた。


「ここにはないが現実世界には法があるからだ。首謀者と断定するなら確実な証拠が必要になる。妥当な復讐はノアが奴らを叩きのめすのではなく、処刑台に送る事だろ。まさか考えてなかったのか?」

「え……え……言われてみれば」

「別に力で全て叩き潰してもよいが、ノアの実家は伯爵家だろ。そちらがどうなるか考えろ。乗り込んで惨殺でもするつもか。なにも考えず大っぴらに動けばお前の父はどうなる。それを勝利と言えるか」

「言えません……」

「そちらも教える必要がありそうだな」


 全てを力で叩き潰してきたと思われる魔王ヘレンゴード。それは間違いではない。そこには世界を敵にする覚悟と圧倒的な力を持っていたからできた事だ。

 しかしノアのする事はそれとは違う。法を無視してリンダとアルを殺せば捕まるのはノアの方だ。

 クリスに鍛えられて得た力、それを使う場面は当然出てくるが全てではない。

 リンダの後ろにはアードレイ家がいる。罪をもみ消す可能性、騎士団や暗殺部隊を動員する可能性、逆に罪に問われる可能性、いくらでも考えられるのだ。その対象が魔王に鍛えられた自分ならまだ良いが、普通に考えれば責任ある立場のエルードも対象になる。


「だが既定路線はある。それを軸に考えればそれ程問題はない。間違ってもいきなり姿を現すな」

「わかった。対策立てられちゃうよね」

「そういう事だ。死んでいると思われている部分は有利に働く。それはギリギリまで持っていたいカードだ」

「クリスもけっこう策略家じゃない?」

「ノアが何も考えなさすぎなのだ!」


 クリスはそれらを細かく教えてくれる。大戦争をしてきただけあってその辺のノウハウもないわけではない。やるなら徹底的にやれ。奪う者は奪われる事も想定している。それを全く考えていないはずがない。だからノアが死んでいると思われているうちに全てを終わらせろ。奴らと会うのは処刑台で良い。


「それをほぼ一人でやる必要がある。できそうか」

「うん、大丈夫。クリスに手伝ってもらおうとは思ってない。だってクリスはシフォンと会わなきゃいけないからね」

「……そうだな」

「僕は復讐をしてクリスはシフォンを探す。でも……復讐が早く終わったら僕もシフォンを探すの手伝いたいな」


 クリスと一緒にシフォンを探したい。ノアはそう言いながら窺うようにクリスを見る。


「い、いいかな……」


 ひと呼吸置いてクリスは答えた。


「ああ……構わない」


 復讐は大事だ、絶対にしなければならない。だがノアには他にも大事な事ができつつある。

 それは、クリスともっと一緒にいたいという事。こんな場所ではなく、ここより自由な現実世界で。クリスにとってもそちらが故郷だ。

 世界を滅ぼしかけた魔王ヘレンゴード。異界の大悪魔と恐れる人は今現在もいる。だがノアにとってはそうでない。

 間違いなく厳しいがその全てに理由がある。頭ごなしに命令する事もない。意外と優しい面もあり、ぶっきらぼうにノアを気遣う部分もある。色々な事を教えてくれる。今まで一緒にいてクリスの様々な面を見てきた。とても美しく魅力的な人物だ。だから多くの亜人たちはクリスの旗の元に集ったのだろう。ノアにもその気持ちが充分理解できる。

 ノアはクリスが好きなのだ。それがどういう感情かまではわからない。そんな事はわからなくても良い。ただノアはクリスをここから出してあげたい。シフォンに会わせてあげたい。争いなく笑って過ごせるようになってほしい。

 ノアはそれを見ていたい。クリスの傍らで。

 少しづつそんな考えが芽生えてきた。ノアのそんな考えをクリスは気づいているのか。


「じゃあ約束だね。僕は頑張って復讐を終わらせる。バスティアン、ベンさん、騎士団や使用人たちの為に。もちろん僕の為にも」


 フッと笑みをこぼすクリス。


「ああ、約束しよう。だがのんびりしていたら置いていく。復讐は手伝わんからな」

「わ、わかってるよ」


 二人の間にシフォンを一緒に探すという新たな約束が加わった。どんな人物なのだろうと想像してみるノア。クリスを慕うならきっと良い人物に違いない。

 クリスとシフォンは瓜二つのように似ていると聞いたが、どんなに似ていても違いはあるだろう。ノアにはそれを見分ける自信がある。


 何故ならノアはクリスを好きだからだ。


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