第17話 現れた者
「あいつが良いな」
クリスの視線の先にいるのは修羅の獄へ始めてきた日に見た蟲。巨大なサソリのような蟲だ。
あの時は百メートル以上あったが、さすがにそれはでかすぎるので違う個体をクリスは選んだ。それでも三十メートルはある。普通の人間が戦える大きさじゃない。
「あ、あれと戦うの」
「そうだ。あの程度倒せずしてトラストが倒せるか」
「いや、トラストより明らかに強いでしょ」
動かない建物だってそんなに簡単には壊れてくれない。その規模の化け物をどうやって倒すのか。ノアにはサッパリわからない。
しかしクリスはそんな事お構いなしに剣を取り出す。
「ハンデをやろう」
まだ遠く離れている蟲。向こうもこちらに気づいていない。
クリスはいつも通り片手で巨大な剣を軽々と振り回す。そしてそこから蟲に向けて斬撃を放った。
「ひっ!」
凄まじい圧、凄まじい風、凄まじい衝撃。剣からは三日月形の光が超高速で繰り出される。まるで距離など関係ないと言わんばかりの速さでそれは蟲の尻尾に到達する。
同時に巨大な尻尾が回転しながら舞い上がる。
悲痛な声をあげる蟲。それはこちらに気づいた。そこでとる行動は一つ。
「き、きたんだけど」
「ああ、そう仕向けたからな。殺ってみろ」
――ああ、じゃないよ本当にこのお姉さんは!
悪態もつきたくなるだろうが殺れというなら仕方ない。ノアは蟲に向かって突進した。
近づく程にその大きさがありありとわかる。
ノアが蟲に剣を当てたとしよう。それが根本まで突き刺さったとしよう。あれはそれで痛みを感じてくれるのか。到底そうは思えない。
――とりあえず近づいて、攻撃を受けにくい場所をとるか。
側面をとろうと回り込む。蟲もそれに対応しようと動く。前足は大きなハサミになっている。あれに掴まれたら終わりだろう。蟲はそのハサミをノアに向かって叩きつけてきた。ノアはそれを急加速で回避する。
――挟むんじゃないんだ。小さすぎって事か。可動範囲は九十度くらい。なら後ろは……尻尾があったらやばかった。
尻尾もおそらくは攻撃手段。サソリっぽいので毒もあるだろう。それはクリスが斬り飛ばしてくれたので何とかなりそうだ。
とは言えそれは回避に限っての話。この巨体をどうやって攻撃すれば良いのか。
――とりあえず。
「やーっ!」
掛け声とともに数本ある足へ攻撃してみる。徐々に足を減らして機動力を落とすつもりだ。
「くぅ、かたい!」
剣は鎧のような甲殻に跳ね返される。斬撃は全く通用する気配がない。剣での攻撃は無理だ。ならば魔法か。ノアは貫通力の強い光弾を放ってみる。だが結果はあまり変わらない。
サソリの正面を回避しながら何度か似たような攻撃を繰り返す。しかし何をどうやってもダメージにはならない。
そのまま五分、十分と時間は過ぎてゆく。完全に攻めあぐねている。
「全てを見ろ。前に教えただろ」
――んな事言われても。
肉体能力は上がっているので回避はできる。しかしこのまま攻撃手段がないとジリ貧だ。一切のダメージを与えられていない。それができそうな場所。
――ん、尻尾か?
体から上に反り上がる尻尾。その先端はクリスが斬ったのでない。下からは見えないがそこなら内部が露出しているはずだ。そこならダメージを与えられるはず。
「よし!」
サソリの体は平べったく、体高はそれ程高くはない。尻尾の付け根付近に手をかけ、その上に登る事は可能だ。ノアはそれを実行してなんとかよじ登る。
「ここ完全に死角だな……」
サソリの甲殻は硬い。だからなのか上に乗られている感触を感じていないようだ。ノアを完全に見失いウロウロするようになった。
剣で足元を軽く突いてみる。刃が通りそうな部分はない。やはり尻尾しかないのか。ここから尻尾によじ登り断面を……何か違う気がする。
クリスの言うハンデ。その細かな説明はしなかったが、それはサソリの後方攻撃をなくしてハンデとしたように思う。わざわざ弱点を作ったという感じはしない。そもそも場所は体の末端だ。クリスに切られた時点でダメージがあり、それでもこれだけ動いている。ノアがそこを狙ったとしても決して大きなダメージは与えられない。
「クリスに切られた時点で……あ!」
それを真似できれば。
「あの技……」
おそらく技としては単純なものだろう。光弾に近いがそれは剣から振るわれる。切っ先が描く線の軌道があの鋭さを生み出すのだ。肉体では難しい事を剣なら容易にしてくれる。
サソリの上に乗り集中するノア。剣を構えてそれを一気に振り抜く。
「よし! ……でもないな」
剣先から放たれる三日月形の光の刃。それがサソリの尻尾に到達する。それは硬い甲殻へ斜めの線を描く。
ダメージという程ではないが今までよりはましだ。
おそらくクリスは十の力で切れる尻尾に十万の力を軽々と出してしまう。今のノアは二といったところか。
「全てを見ろと言ったぞ」
再び同じ言葉を繰り返すクリス。今のままではダメなのはわかる。何かが足りていない。全てとはなんだ。
「全て……場所?」
しかしここはただの荒野。場所による有利は一切見当たらない。有利とは。
蟲の体は大きくそれにくらべ自分は小さい。正面に対する動きは速いが側面や後方はそうでもない。油断しなければ回避は可能。なので死角は多い。
だが自分の攻撃はほとんど通らない。クリスを真似た攻撃が僅かに通るくらいだ。
「蟲、荒野、クリスの攻撃……あれ?」
クリスの攻撃だけ考え方のスケールが小さい事に気づく。では同じスケールにするにはどうすれば良い。
「クリスの攻撃って、結局……自分だよな。あ! 全てって自分も入るのか」
――全てを、自分を良く見ていたか。
自分とはなんだ、今まで何を教わった。
他者の力を取り込み幽体を強化させた。それは現実の肉体能力を引き上げる。そして幽体の純化をする。純化は不純物を取り除き密度を濃くする。そうなると更に肉体能力は上がる。何故だ。
不純物の気持ち悪さがなくなるから。水の流れが良くなるから。つまりそれは違和感がないから。幽体と肉体の間に違和感がない。当初に比べその適合度は上がっている。幽体と肉体が純化により融和しているのだ。
「適合の度合い……」
ドラケルスの指輪を使った事で肉体能力が上がったのは確かだ。だが、それ故にそこばかり意識していた。表面しか見ていなかった。本質は幽体の方にある。だから最初は違和感を感じていたのではないか。
「うっ……」
そう意識すると、何故か再びあの時の違和感を感じた。幽体を純化する前のあの違和感だ。毎日純化していたはずなのに。
「していたつもりになっていたんだ」
それが見える、感じる、ならばそれを吐き出せ。密度を高めて弾き飛ばせ。
「やっとか……」
そう呟くクリスの表情は明るい。今まで右手に携えていた剣は姿を消した。
ノアは大きく呼吸をする。空気と一緒に魔力を取り込むように。それは体の中を駆け巡り不純物を運び出す。再びの呼吸とともにそれは吐き出された。意識が変わる。研ぎ澄まされていく。見えないものが見えてくる。
もっと力を出せたはずなのにそれを無視していた。クリスがそこまで引き上げてくれていたのに気づいていなかった。
足元の蟲にゆっくりと剣を刺す。先程までとは違いそれは吸い込まれるように蟲の体に入る。硬さなどまるで関係ない。
そこから一転、ノアは力強く剣を斬り上げた。それは地割れのように広がりながら蟲の頭部近くにまで達する。
大きなダメージを受けた蟲は暴れ回る。ノアはそこから飛び降り高速で移動する。それは幽体の移動に肉体がついていくような形だ。これが肉体の限界を越える第一歩となる。
蟲の真正面に立つノア。敢えて真っ向勝負を選ぶ。傲りではない。それは確信だ。
こちらに気づく蟲。怒り狂っているのか凄まじい勢いで突進する。
ノアは静かに振り上げた剣を一気に下ろす。三日月形の光は衝撃波を生みながら蟲へと到達する。それは頭部から背の中程までを真っ二つに切り裂いた。そこで蟲は体制を崩しなが地面を削るように止まる。
直後にドラケルスの指輪が反応しその力を取り込んだ。ノアは即座に純化をする。蟲の体はボロボロになり崩れ去った。
クリスが何故この蟲を選んだのか。それが今になり漸くわかる。遥か格上だと思っていた巨大なサソリ。その威容に、大きさに圧倒されていた。それでは勝てない。だから全てを見ろと言ったのだ。ノアは見ていなかった事に気づかされた。この巨大な蟲を通して。
「やったー、勝った! ……クリス?」
振り返りクリスを見る。するとクリスはこちらを見ていなかった。それだけではない。いつの間にか面を被っていた。その視線の数十メートル先に誰かいる。
「誰だ……」
猿ではない。あれは修羅。
貴族のような上等な服を纏い青白い顔をした男。その口は耳まで裂けており目も鋭くつり上がっている。
「殺されにきたか、ジエルケ」
クリスにジエルケと呼ばれた修羅。名前を知っているという事は何度か遭遇しているのだろう。そのジエルケはクリスの質問には答えず、その後ろにいるノアへと目を向ける。
その途端、肌は泡立ち急激な悪寒が走る。修羅は今までに何度か見てきた。だがあれは今までのとは違う。なんとなくわかる。ドロドロとした悪意が視線となってノアに突き刺ささる。
「小僧を飼ってらっしゃるか」
その言葉にいきなり口火が切られた。天から辺りを一面を呑み込むような図太い雷光がジエルケに落ちる。そこにあるものを全て破壊せしめる驚異の一撃。
もうもうと立ち込める砂煙が一帯を覆う。そこにクリスの声だけが聞こえた。
「逃げる準備をしていたか」
どうやらジエルケはもういないようだ。
「ノアに目をつけられたかもしれん」
クリスは一言そう呟いた。
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