第16話 夢で


 ドラケルスの指輪を使い始めてからかなりの時が経った。基礎能力については相当向上した自覚がある。そうなると修羅の獄に存在する蟲たちの強さも理解できるようになった。圧倒的強者を測る事はできないが実力が近づけば見えてくるものもある。


「くっそ!」

「一面だけを見るな。全てを俯瞰して見てみろ。どこがいつ動くかわかる」


 今戦っているのはカマキリ型の蟲だ。全長は二〜三メートルほどの大きさ。動きが素早く両手は鎌になっている。その鎌の動きがかなり速い。

 いま何とか戦えているのはクリスが鎌の刃を潰してくれているおかげだ。とは言え蟲の力は強い。下手に挟まれても危険ではあるが、鎌に引っかかりがないのでスルッと抜けられる。大怪我はしないがかすり傷は多い。

 それを倒すとドラケルスの指輪を通じて力が流入してくる。


「ふう、これで最低レベル?」

「そうだな。しかしこいつは剣のみだと戦いにくい。似たような攻撃同士での戦いになるからな」


 つまりは鎌の達人と剣の素人が戦うようなものだ。本来であれば同じ土俵で戦う必要などない。今それをやるのは戦いの勘を養ったり通常の体力作りの側面もある。


「そろそろ魔法を覚えるか」

「やったあ、いよいよか」

「私はそもそも魔術師だからな。剣はあまり教えられん」

「そうなの? かなりの達人に見えるけど」

「それは幽体の力を極限以上に引き上げているからだ。今の蟲が基礎能力を一としよう。わたしが一億なら剣技など必要ない。ゆるゆるの鎌が当たると思うか」

「確かに、でもクリスは一億なの?」

「数値化はしていないので適当に言ったがそんなものだろ」


 話が途切れるとクリスは辺りを見回す。手頃な大きさの岩を見つけるとそちらへ手をかざした。すると岩はクリスの手前まで一気に飛んできた。


「な、なんでもできるね」

「魔王だからな。とりあえず見ておけ」


 クリスはそう言って人差し指を立てる。するとそこに光が集まり直径三センチ程の球体を作り出した。それを岩に向けて一気に打ち放つ。

 光はバシュッと音を立てて岩を貫き、その反対側から出て消えた。


「これは基礎的な攻撃魔法の光弾。フォトンバレットとも言う」


 自身の魔力を半物質化し、石つぶてのように使う。小さい方が威力、貫通力ともに高い。大きくすると打撃力、命中率が良くなる。人間相手なら大抵は通用する。バリエーションを覚えておくと様々な使い方があるだろう。この魔法に詠唱は必要なく、魔力放出の延長だと思えば良い。


「詠唱いらないんだ」

「戦いの最中に詠唱などできるのは後衛の魔術師かただの間抜けしかいない。ノアはそんな戦い方をするのか」

「ああ、なるほど。軍隊じゃないしね」

「時と場合によりそのようなものも必要だが、まあとりあえずの想定は対トラストだ」


 剣士に対してお手軽な遠距離攻撃を持っておく。自在に使いこなせれば牽制、打撃、貫通、フェイント、様々に応用が効く。複数の魔法を覚えるより一つを極めるのも有効だ。


 早速覚え始めるノア。最初は戸惑うがクリスが上手く誘導してくれるのでコツを掴むのは早い。

 ドラケルスの指輪により幽体から基礎能力を上げているのがかなり役立っているようだ。

 一度でき始めるとあとは反復練習、効果を変えるなどの練習に入る。遠隔で人を殴り飛ばすくらいの威力なら、すぐにできるようになるだろう。


「こんなに撃って魔力量は大丈夫かな。僕、あんまり魔力多くないんだけど」

「魔力量などと言っている時点で三流だ。なんの為に幽体を鍛えたと思う」

「え、違うの?」

「人は多かれ少なかれ大地から魔力を取り込むようできている。自然の中に生きる者は全てそうだ」


 ノアの暮らしていた社会では体内の魔力保有量が重視される。しかしそれはクリスからするとバカげた考えだと言う。

 本来人間は自然物の一つであり、大自然と同様に魔力を生み出す存在でもある。だが人間一人となるとそんなのは微々たる量だ。

 自然と繋がりそれを自身に集めるのが本来の形だとクリスは説明する。


「幽体の純化をしただろ。それ以前のノアは濁った水たまりだ。しかし今は純化をしたので透き通った急流のように水が流れる。濁った水たまりはその汚い水しか使いようがない。それが魔力保有量の考え方だ。とめどなく水が溢れるなら測りようもないだろ」


 幽体の純化によりその流れを良くする。それを一時的に測っても水は流れているのでその直後に量は変わる。流れる水を汲み上げて何がわかるのか。少なくとも全体の量など測れない。


「え、じゃあ魔力測定って意味ないの?」

「ない」


 清々しいくらいに完全否定するクリス。しかし魔王が言うのであればそれは正しいのだろう。

 一般の人間社会では魔法を攻撃の道具として重視する。そこに軍隊のような組織を作り、魔法を使える者たちを育てるが、そこにはある程度誰にでも使えるような教育が必要になる。そこには平均化という現象がおこり、それが魔力保有量の考えに繋がるのだとクリスは説明する。


「才能があろうがなかろうが使わなくてはならん。それは教える側も同じ。だから教育は低レベルで抑えられる。その低レベルが平均化だ。代わりに人員は増えるがな」


 もちろんそんな中でも飛び抜けた才能を持つ者もいる。それらは別に隔離され精鋭化されていく。だが、そのやり方で精鋭が生まれるのは一握り。なのでクリスは違うやり方で配下を育ててきたのだろう。

 そのやり方を受けているのがノアだ。


「まあ、時間が許せばノアを極限まで高めてやれるが、そうもいかんだろ」

「……うん」


 一応タイムリミットはある。目標はクリサリス家の家督承継までに帰る事。

 現実世界ではノアを含めた一団が、野盗に襲われ壊滅した事にされているだろう。その為の偽装工作はトラストから聞いている。

 ノアがいないのでリンダとアルは家督承継を早めろと言うだろうが、エルードはギリギリまでそれを阻止するはずだ。そうでなければあのような計画など立てたりしない。

 しかし本来はノアとアルが十五歳になってからそれが行われるので、引き伸ばせても後二年。それがタイムリミットになるだろう。


「二年あればなんとでもなる。ノア次第だがな」

「うん、僕頑張るよ。でも扉は……」

「そちらはなんとも言えんが……」


 扉についての手がかりは今のところない。しかし、根拠のない可能性らしきものはある。


「猿……とっ捕まえて吐かせてやりたいが」


 猿はクリスとノアを引き合わせた疑いがある。その二人にとって最も重要なのが扉だ。それに関連する何かを猿は意図した。今はその方向に考えが動いている。


「猿だとクリスでも難しい?」

「わからん、まともに対峙すらしていないのでな。しかしうっかりしていたとは言え猿はこの私を飛ばした。簡単に考える事はできん」


 おそらく、猿は再び現れるだろう。その時に何かが変わるのか。それとも何も起こらないのか。それを知っている者がいるとすれば、それは猿だけだ。



 暗闇の中を歩く。いつからここにいるのか、そしてどこへ向かうのか。そこに答えはない。

 少しづつ覚醒する意識は目の前を開かせる。複数の影が見える。誰なのか、いや、知っている。知っているはず。そこへ行かなければならない。何故かはわからない。わからないが、進まなければならない事は確かだ。

 更に意識は浮上する。確かめなければならない。頭のどこかで否定していた可能性を。それを断ち切る為の真実を。


「バスティアン! ベンさん!」


 ノアの前に立つ二人は驚いてこちらを見る。その後ろにも人がいる。あれは騎士団の人たち、使用人の人たち。


 ああ、やっぱり死んでしまったのだ。それを確信する。

 バスティアンもベンも騎士団、使用人たちと同じ場所にいる。その二人が亡くなった現場は見ていない。だがここで出会うのなら、そういう事なのだろう。

 ノアは走ってそちらに行こうとした。だがバスティアンが少し怖い顔をしながら手で制す。

 こちらへくるな。言葉は聞こえないがそう言っているのがわかる。隣にいるベンは苦笑している。


 後ろの人たちを見る。ほとんどは顔見知り以上の関係があった人たち。細かな事で世話になったのを覚えている。

 彼らの表情は苦痛に歪んでいる。怒りに震えている。悲しさに嗚咽している。そこに無念が見えた。誰も死にたくなどなかった。それが痛いほどに良く分かる。


 騎士の一人がノアへ近づこうとする。それは怒りの表情。ノアに怒っているのではない。縋りたいのだ。まだこちらにいるノアに。


 しかし、それをベンが捕まえて投げ飛ばす。


「え……」


 ベンは倒れた騎士の前でしゃがむと滾々と何かを言い始めた。まるでお説教しているようだ。騎士は倒れたまま怪訝な表情で何度か頷く。


「ふふ、ベンさんらしい」


 あれはまさしくベンの行動。それ以外にあり得ない。


「あまり騎士をイジメないでね」


 そう声をかけると、ベンはこちらを向いて親指を立てた。

 隣に立つバスティアンも微笑んでいる。バスティアンはなにか言いたそうな顔をしている。だがその言葉はわからない。

 なにが言いたいのかジッとバスティアンを見る。するとバスティアンは人差し指をこちらに向けた。

 いや、違う。指を向けたのはノアの後ろだ。

 何かと思い振り返る。すると遠くに眩い光が見えた。あれはなんだろう。ノアはそちらに向かって走る。

 全力で走るとそれは少しづつ近づいてきた。息を切らせ、汗を流し、ひたすらそれに向かう。

 その輪郭が見えてきた。人だ。ノアはその人を知っている。もっと走ってその人に近づく。

 するとその人は振り返った。


「さっさとこい。置いていくぞ」

「待ってよ、クリス!」


 クリスは構わず歩いていく。ノアはその後を追いかけるが、ふと立ち止まって後ろを振り返る。

 バスティアンたちは遥か向こうに離れていた。凄く遠い。とても辿り着けない程に。

 だが見える。バスティアンが微笑んでいるのが、ベンが説教しているのが。


 ――行きなさい。


 そう言われた気がした。ノアは頷く。バスティアンはクリスにノアを託したように思えたから。だから行く。バスティアンがそう言ったのだから。

 ノアはクリスとともに歩む。この先もずっと。



「なにを泣いている」

「…………うぅ、夢か」


 いくつかの岩が連なる場所に置かれたソファ。ノアはいつの間にかクリスの膝枕で寝ていた。訓練が激化してきたのでたまには睡眠をとると良い、とクリスに言われたからだ。本当はこんな場所で寝るのは危険なのだが、クリスが起きているなら問題ない。


「夢で会ってきたか」

「うん、バスティアンとベンさんは元気だった。他の人たちは怒ったり泣いたり……これって現実なのかな」

「さあな」


 さすがに魔王でもそれはわからないのか、それともどうでもいい事なのか。

 それでもノアは見た。クリスを指差すバスティアンを、騎士を投げ飛ばすベンを。だからそれでいい。そんな風に思えるようになってきた。


「起きたのならそこをどけ。叩き落とすぞ」

「ごめん、つい気持ちよくて」


 そしてノアとクリス、二人の関係も少しづつ変わり始めている。

 師匠と弟子、先生と生徒、姉と弟、母と子、どれも近いような気がするがどれも違うような気がする。


「魔王に膝枕してもらうなんて僕くらいかな。自慢できるね」

「誰に自慢する。蟲か?」

「アイツら聞いてくれないでしょ」

「まあな、いいからどけ」


 そして二人は歩む。


 同じ道を。


 その遥か先にあるものを知らずに。


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