第15話 彼方の存在


 ドラケルスの指輪を使った訓練は着々と進む。それによりノアの基礎能力は驚くべき速さで伸びている。純化も自分でやり始め、まだまだクリスには及ばないがコツのようなものは掴めてきた。

 それにより人に化ける蟲はこの辺りからいなくなってしまったので移動をする。


 修羅の獄にも夜はある。普段は曇り空だがそれが夕方のような暗さになるだけ。

 基本的に睡眠は必要ない。寝る事はできるが修羅の獄で寝るのは危険なので寝ない。

 食事も必要ないがそもそも食べるものがない。だがクリスは持っている気がする。茶があったのだから可能性はある。

 拠点となるような施設も当然ない。休む場合はクリスがテーブルやソファなどを出してくれる。

 なんとクリスは湯浴み施設も持っている。壁のある東屋のような形だ。ノアも一緒に入るか聞かれたが恥ずかしいので断った。完全に子ども扱いされている。


「クリスのアイテムボックスってどうなってんの? 明らかに僕のと違うよね」


 そんな疑問をぶつけてみた。


「正しくは空間領域魔法だ。アイテムボックスという言い方は造語が定着したのだろう。まあどちらでも良いが」


 空間領域魔法は基礎の違うものが複数存在する。


「私の場合は自分の幽体の中に亜空間を作る。一般的に高難度になるだろうがその分扱いやすい」


 自分だけの亜空間という世界が幽体にある。そこに入る量や広さは物理的な際限がない。例えば、椅子を亜空間にしまう時、砂粒のような存在にしてしまえば良い。現実で椅子を砂粒のような大きさにはできないが、椅子に対しての亜空間を巨大にしてしまえばその存在は砂粒にもなるのだ。自分の世界なので概念や扱いもかなり自由になる。


「ノアの場合はおそらく世界の隙間を使ったものだ」


 こちらは自分のではなく、世界の亜空間だ。例えば人の世界と精霊の世界。これはダンジョンのように重なり合う存在となる。その隙間に何もない空間が存在しており、これを空間領域魔法として利用する。これは個人の適正により自然と使えるようになっている場合が多い。そこにアクセスしやすいという適正だ。アクセスはしやすいが、扱いやすくはない。多くの空間領域魔法がこれになる。


「この場合は術者によりかなり差が出るがまともに扱えぬ者が多い。大抵は正しい使い方を知らぬだけだ」

「正しい使い方なんてあるの?」

「当然だ」


 基本的に自分のものではないので扱いにくいという側面が大きい。加えて自然と使えるようになった場合が多いので苦労した試行錯誤のプロセスがない。そのパターンが多いなか、正しい使い方を会得した者はそれをやすやすとは教えないだろう。

 ではどうするのか。


「精霊を自分と亜空間との繋ぎ役にするのだ」


 それは意思を持つような強大な精霊ではなく、生まれたてで小さく自我を持たない精霊だ。亜空間は基本的に闇なので、同じく闇の精霊を使う。具体的には亜空間に住まわせる。そこに自分の意思を繋げる。すると亜空間と術者の疎通が深くなる。


「はあぁ、なるほど。もの凄く納得できる」

「闇の精霊などどこにでもいる。アイテムボックスが使えるようになったら試すと良い。呼吸ができなかったと言っていたが、それはアイテムボックスに意思が反映されていないからだ。別に入っても問題ない。重要なのは空間の支配だ」


 自分の部屋にベッドを置かなければ寝る事はできない。椅子とテーブルがなければ食事ができない。それを精霊に整えさせる。亜空間はそもそも物置きではない。物置きに改造しなければ使えない。そう考えれば良い。


 他にも、ある程度の精霊を使役しそれに預けたり、精霊そのものを空間としたり、転移系魔法で現実世界の部屋に置いたりもする。方法自体は様々あるようだ。

 クリスはおそらくどれでもできてしまう。世間ではノアの方法が最も一般的らしい。だから様々な角度から研究されたが、中々に性能のばらつきは抑えられなかった。精霊を使うという単純な方法は盲点だったのだろう。


「誰かきた」

「蟲ではない。修羅だ」


 荒野の向こうに見える人影。クリスはそれを修羅と言った。向こうもこちらに気づいているようで歩いて近づいてくる。やがてそれは早足に変わり最終的に走り出した。


「あれも発情期の豚だな。よく見ておけ」


 修羅は剣を抜きながら二人の目前までくる。その顔は狂気に歪んでおり、ノアにもわかるほど欲望が滲みでている。


「女だ。女、ガキは死ね」


 そう言いながら剣を振り上げノアへと襲いかかる。


「動くな」


 その一言で修羅はピタリとその場に止まった。剣は振り上げられたままだ。


「言葉を使う事を許可する。何をするつもりだ」


 すると修羅は答える。


「女、女はやるにきまってるだろ! ガキはどうでもいい。殺す」

「そうか。お前は何人殺した」

「お、俺様は気に入らない奴は殺す。お前も逆らえば――」

「黙れ」


 再び修羅を黙らせるクリス。そしてノアへと口を開く。


「これが普通だな。一番多いタイプだ。ノアに見せる為にこうしているが、通常は即座に殺す」


 クリスによると現実世界でもこんなのはゴロゴロいるが、ここにくる修羅の場合は罪の大きさ、業の深さが違うのだという。おそらくは街や国などの大きなコミュニティを支配し、そこで欲望のまま殺戮の限りを尽くしたのだろう、と。


「これもノアの糧にする、殺せ」


 ノアは無言で頷き修羅の前に立つ。見るからに狂っている。その眼球だけは動いておりノアを捉えている。憎悪し、蔑み、見下し、弄び、喰らう。それを見てノアの脳裏に浮かぶ人物。それを修羅に重ね合わせた。

 振り上げられた邪魔な腕を斬り飛ばす。僅かに修羅の表情が苦痛に歪む。直後に首を撥ねる。修羅はその場に倒れ、その力はノアに流れ込む。


「良くなってきたな」


 それは身体的な事か、それとも殺す覚悟を言っているのか。いや、一つの意味ではないだろう。


「修羅とはいえノアはそれを殺した。それは僅かながらでも自身の業を深めている事になる」


 クリスは言う。だが殺らなけは自分が殺されていた。だから殺る必要があるのだと。戦いとは、復讐とは、それを背負う覚悟を持つ者に許された行為。おそらくこれからもノアは業を深めていく。


「だからせめて、関係ない者は殺すな。力に溺れるな」


 ノアはそれに頷いた。同時に思う事がある。

 それはクリス自身が自らを修羅と称していた事。魔王ヘレンゴードはそれだけの事をしてきたのだろう。伝説となる程の殺戮を行ってきた。だからここにいる。だからそれをノアに伝えるのだ。

 ノアはなんとしてもトラスト、リンダ、アルに復讐をする。現実世界に戻った時、ノアが生きていると知られれば、奴らはまたこちらを攻撃するだろう。復讐は良い。問題は覚悟だ。罪を背負う為の、業を深める為の、それが無念を晴らす事と引き換えになる。


「強さだけじゃなくてそう言う事も知らないといけないんだね」

「そうだ。私のようにはなるな」


 クリスは自嘲気味に笑う。だがそんな姿をノアは美しいと思った。罪は重ねてきただろう、業も深めてきたはずだ。なのに美しい。先程の修羅のような禍々しさは微塵も感じない。

 思い出すのはシフォンの事を話した時のクリスだ。

 クリスは彼女を拾い育てたと言っていた。シフォンは水鳥の雛のように後をついてまわった。それだけ好かれていた、頼りにされていたのだ。シフォンにとってクリスは命を救われた恩人でもある。


 ――徳を積み重ねた。


 何故かそんな言葉がノアの脳裏に浮かぶ。何故だろう、自分で導き出したという気がしない。

 ノアは振り返ってクリスを見る。するとクリスはあらぬ方向を向いていた。そこには通常とは違う雰囲気がある。


「猿……」


 クリスは呟く。ノアもそちらの方向に目を向ける。荒野の遥か彼方、そこに僅かな存在が見えた。


「あれが猿……」


 詳細には見えない。辛うじて何かいるとわかる程度。クリスに聞いていた法衣や錫杖は認識できない。


 しかしノアは確信する。


「…………」


 あれはこちらを見ている、と。


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