第12話 魔王ヘレンゴード


「魔王……ヘレンゴード」

「そうだ。同郷なら聞きたい事もあるがその前にどうする。殺すか?」


 ノアはレッドウルフから逃れる為、生還不可能とされたアイテムボックスに自ら入った。そこを抜けると何故かその場所には魔王ヘレンゴードがおり、殺し合いをするか聞かれている。


「だからなんでそうなる」

「ここはそういう場所だからだ。永遠に殺し合いをする場所。修羅の獄だ」


 修羅の獄。そこは殺すか殺されるかしかない場所。周りは全て敵。それ以外はなにもない。つまり、魔王ヘレンゴードはノアの敵であり今から殺し合いをしなければならないのだろう。


「まあ、とにかくやるか」

「いや、ちょ、ちょっと」


 ノアはどうして良いのかわからない。そのヘレンゴードを見ると一瞬右手が光ってそこに二メートル以上はありそうな巨大な剣があらわれた。


「さっさとかかってこい。やらなきゃ死ぬぞ」


 その巨大剣を片手で軽々振り回すヘレンゴード。そしてその刃をこちらへ向けた。


「では行く」

「え、ちょっと待て、待て」


 ヘレンゴードは剣を振り上げると真っ直ぐに振り下ろす。その刀身は白く輝きながらとてつもない圧を生み出しノアへと迫る。

 こんなので斬られたら確実に真っ二つになるだろう。


「ひっ!」


 しかしその巨大剣はノアの一ミリ手前でピタッと止められた。


「お前、本当に殺し合いしないんだな」

「そ、そりゃまあ」

「じゃあなんでここにいる?」

「僕もよくわからない」


 ヘレンゴードの側は殺し合いが当たり前と思っているようだ。だがノアはそうではない。お互いの擦り合わせをするのは時間がかかりそうだ。


「まあいい。ついてこい」


 手に持っていた剣はスッと消えた。ノアのアイテムボックスと似たような性質なのかもしれないが、自在に使いこなしている印象は受ける。


 改めて周りを見るとかなり広い洞窟のようだ。ここは通路なのか等間隔に蝋燭が灯してあり、明るくはないが暗闇というわけでもない。そして自分が出現した辺りを振り返って見るがそこには何もなかった。


「早くしろ」


 ノアはゆっくりと歩き出したヘレンゴードについて行く。


「お前は何をした。何人殺した?」


 ヘレンゴードが歩きながらそう質問する。


「いや、人を殺した事はないよ。何をしたと言われても……」


 するとヘレンゴードは立ち止まり振り返る。そしてその恐ろしい顔を近づけてきた。


「う……」

「ふむ…………嘘は言っていないな」


 二人は再び歩きだす。長い通路の先にホールが見えており、更にそこには何者かが蠢いているのも見える。かなりの大きさのようだ。


「あ、あれはなに……」

「蟲だ、気にするな」


 構わず進むヘレンゴード。ノアはその後ろを恐る恐るついて行く。やがてホールに到達すると、蟲とやらが一斉にこちらを見た。

 一見すると馬のような獣だ。黒い体毛は所々剝げており、足は図太く鋭い爪がついている。大きさはおよそ五メートル程か。最大の特徴は頭だが、そこにあるのは円錐形の尖った物体。顔らしきものはない。それが数十は群れている。


「大丈夫なの」

「ああ、前にはでるな」


 その途端全ての蟲がこちらへ襲いかかる。円錐の先は割れ、毒花のように広がり、そこにはギザギザの歯がビッシリと並んでいた。強い嫌悪感を感じさせる。あんなのに襲われたらどうにもならないだろう。


 だがヘレンゴードは全く動じない。そして襲いかかる蟲たちに一言呟いた。


「退け」


 次の瞬間、全ての蟲たちは真っ白な光に包まれその体が砕け散り、凄まじい風圧が発生する。それは一秒にも満たない刹那の出来事。眩い光と嵐のような風はすぐに収まるが、そこには血も肉も骨も、何の痕跡も残っていない。完全に塵となって消し飛んだようだ。

 ヘレンゴードはいったい何をしたのかサッパリわからない。だが強大な魔物のような蟲の群れを一瞬で蹴散らした、いや、消滅させたのは確かだ。


「凄い……」

「あんなのは雑魚だ」


 その者は魔王ヘレンゴードと名乗った。それが嘘か本当かは考える余裕もなかった。おそらくはそれについて確かめようもないし調べようもないだろう。

 しかし、今眼前で繰り広げられた光景はその根拠となるのに充分な説得力を持っていた。それ程の凄まじい光景だったのだ。


「本物の魔王ヘレンゴードなの? 勇者と相討ちになって死んだって聞いてるけど」


 するとヘレンゴードはピタリと歩みを止める。そして少しだけその恐ろしい顔をこちらに覗かせた。


「やはり奴は死んだのか……」


 本物かどうかの問いには答えなかった。というより本物に見えようが偽物に見えようが気にも留めていないのだろう。それ以上に勇者と相討ちの部分が重要だったようだ。ヘレンゴードが反応したのは相討ちによる勇者の死。それを知らなかったと思わせるものだ。だが『やはり』と言うからには予想はしていた、となるのだろう。

 ヘレンゴードはそれだけ言うとまた歩きだす。やがて通路の先が明るくなり、洞窟の外へ出た。


「うわぁ」


 曇天の広がる空、干からびた大地、森のような場所も見えるが決して青々とした森ではない。その先にそびえる山々は焼け焦げたように黒く、所々が赤く光って見える。

 ノアが元いた場所からすると、全く見たことのない光景だ。印象を言うなら死の世界、生命の躍動感が感じられない世界だ。

 ふと視線を移すと遥か遠くに蠢く巨大なものがいる。それはひと目見てサソリのような印象を受けるが、その全長は百メートル以上ある。


「あ、あれは」


 ノアの指差す方向を見ることもなく、ヘレンゴードはまるで普通の事のように答える。


「蟲だ、あれも雑魚だ」


 到底雑魚には見えない。元いた場所であんなのが現れたらどうなるか。街など簡単に壊滅してしまうだろう。騎士団総動員でも倒せる気がしない。

 それを気にする素振りもなく辺りを見渡すヘレンゴード。


「どこに飛ばされたのかサッパリだな」


 独り言のようにそう呟く。


「なにか探しもの?」

「いや、猿にこの場所へ飛ばされた。物ではなく私がな」


 今ひとつ意味がわからないが、少し考えてその恐ろしさに気づく。

 ここには魔王ヘレンゴードでさえ抗えない力があるのではないかと言う事。

 ヘレンゴード自身がどこかわからない場所に飛ばされる。その様子を見るに不可抗力だったのだろう。それはその力に於いて魔王を上回るものなのではないかと考えられるからだ。


「猿ってなんなの?」

「細かいことは後だ。蟲も近くにいないようだし、まずはお前の話を聞く。その上でどうするかを決める」


 どうするかを決める。今までの雰囲気からすると殺されはしないだろう。しかし、先程聞いた『修羅の獄』という言葉。そして馬のような蟲と呼ばれる化け物。ここでヘレンゴードにどこへでも行け、と言われたらどうなるか。想像するのは然程難しくない。

 逆に魔王相手に自分を助けてくれ、と言ったところでその願いが聞き届けられる気もしない。ヘレンゴードは先程まで自分を殺そうとしていたのだから。

 とりあえずは成り行きに任せてみるしかないのだろう。


「この辺にするか」


 ヘレンゴードは洞窟近くの岩陰を選ぶ。すると次の瞬間にはそこに立派な椅子とテーブルが置かれていた。その上にはティーセットが置かれており、二つ用意されたカップには湯気をたてた茶が入っている。


「座れ」


 どのような魔法でこうなるのか全くわからないが今はそれを優先すべきではない。ノアは椅子を引いて腰掛ける。


「名前は」

「ノア……ノア・クリサリス」

「貴族の名か? まあよい。ではここへ来た経緯を包み隠さず全て話せ」


 ここへきた経緯。それを聞いて真っ先思い浮かぶのはバスティアンやベンの事だ。それを思い出すと否応なく涙が込み上げてくる。言いたい事は何も出ず、言葉にならず、ただ静かに嗚咽する。


「よく見ればまだ子どもか。何があったか知らんが茶を飲んで落ち着け」


 言われるままカップに手をつける。一口飲むと暖かさと仄かな甘さに少し心が落ち着いてきた。

 今回の件、どこから話せば良いのか記憶を遡る。自分にとっての始まりは伯爵家次期当主の選定だろう。


「僕の家は伯爵家で自分以外にもう一人アルという名の兄弟がいました」


 そこからは堰を切ったように話し出す。

 次期当主候補、アルとの軋轢、魔力測定、父の考え、バスティアンの計画、リンダの陰謀、トラストの裏切り、そしてベンの、バスティアンの死。

 一つ一つ、ゆっくりと、自分の想いを言葉に綴る。それが如何に理不尽か、如何に悔しいか、どれほどの絶望なのか。

 そしてその最後。レッドウルフに襲われる直前、そこに感じた強い無力感。選択肢が一つしかなかった。縋る想いでそれをした。それしかできなかった。

 何度も涙が溢れ話が止まる、ヘレンゴードは何も言わず、相槌をうつわけでもなく黙ってそれを聞いていた。


「アイテムボックスの中で死ぬかと思ったけど、そこに何だか硬いものがあってそれを回したらここに出てきました」


 全てを話し終えて静寂が訪れる。ヘレンゴードは一口茶を飲むと口を開いた。


「貴族社会ではよくある話だな。何もできなかったお前は情けない限りだが、バスティアンという男の言葉は守った」


 それを聞き思い出されるバスティアンの最後の言葉。


『あなたは私にとっても大切な家族。最後まで諦めず、強く生きて下さい。それだけが、この年寄りの最後の願いです』


 最後まで諦めず強く生きろ。そしてノアはまだ生きている。まだ強く生きている、とは言えないが。バスティアンの言葉はギリギリ守れているのだろう。


「それでお前はどうしたい」

「僕は……」


 そこで真っ先に浮かぶ事。トラスト、リンダ、アル。奴らに復讐したい。奴らに後悔させたい。そうでなければバスティアンもベンも浮かばれない。

 だがこの状況でそれができるのか。可能性の欠片さえ見えてこない。

 それでも、言うべき事はそれ以外にない。


「復讐したい!」

「どうやって」

「それは……」

「まず、ここからどうやって出る。どうやって力をつける。力をつけて勝てる見込みは」

「…………」


 再び訪れる静寂。ノアには何も答えようがない。だがそこで空気を変えたのヘレンゴードの方だった。


「一つ気になっている事がある」


 ヘレンゴードは言葉を続ける。


「猿は私を意図的に飛ばしたのかもしれん。ノア、お前の元に」


 それはどういう意味なのか。今のノアには全くわからない。ヘレンゴードは更に続けた。


「力をつけたいのならこの私が直々にお前を鍛えてやる。だがそれには条件がある」


 世界を滅ぼしかけた魔王ヘレンゴード。

 今、ノアはその助力を得ようとしている。

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