第11話 その先へ


 薄汚れた袖で涙を拭き、走り続けるノア。

 もう誰もいなくなった。騎士団も、使用人も、ベンも、バスティアンも。

 およそ十三の少年に降りかかるには過酷すぎる運命。

 クリサリス伯爵領を守る為に立てられた緻密な計画。バスティアンに聞くかぎり、それはほとんど上手く行っていた。だが最後の最後でひっくり返された。たった一つの駒により全てがひっくり返されたのだ。


 その首謀者はアルの母親であるリンダ。実行者はトラスト。憎んでも憎みきれないほどの恨みつらみがノアの奥底からフツフツと湧き上がる。

 ただ地位が欲しいから、鉱山の利権が欲しいから、そんな下らない理由で大勢殺された。みんな自分の為に犠牲になった。

 何故殺された。何故死ななければならなかった。何故逃げなければならないのか。何故だ。何故だ。

 いくら考えても答えなどあるはずもない。欲に塗れた亡者が腹を空かし人を切り刻んで食い散らかす。そこに理由などない。しいて言うなら欲望を満たす為。ただそれだけ。


「ベンさん……バスティアン……」


 あそこにトラストが現れた時点でベンは生きていないだろう。トラストと対峙しなければならないバスティアンも同様だ。


「許さない……許さない!」


 復讐したい、殺したい、殺された人たちの何十倍もの苦痛を味合わせてやりたい。

 だがそれをするのにノアでは力が足りなさすぎる。武器もバスティアンから預かったナイフ一本のみ。これで戦えるわけがない。

 考える度に涙が込み上げてくる。考えないようにしていてもすぐに思い出す。妙案など一つもない。可能性すら出てこない。情けない自分に再び涙が溢れ出る。


「今は……今は逃げなきゃ」


 これも自分を騙さなければやっていられない。バスティアンがそう言ったから。それが最も現実的だから。追いつかれても何もできないから。そんなの全部嘘だ。

 復讐したいに決まってる。懲らしめたいに決まってる。

 何度も何度もそんな考えが頭の中をぐるぐるまわる。結論なんてでないのに。

 それでも、どんなに情けなくても逃げるしかない。それ以外になにも方法なんてない。


「うわっ!」


 足元をよく見なかったせいか木の根に躓いて転んでしまった。勢いでバスティアンから預かった小さな鞄が前方に転がり落ちる。

 ノアは立ち上がりすぐにそれを拾い上げた。


「これ……ナイフ以外はアイテムボックスに入れておくか」


 ノアのアイテムボックスはお世辞にも性能が良いとは言えない。咄嗟に必要な時、武器となるナイフがすぐに出せるのか。その心配が出てくる。なので今必要のない、それ以外の食料や水だけをアイテムボックスに入れる。

 右手に持たれた鞄は黒い闇に覆われノアが手を放すと闇と物が同時に消える。

 あまり試した事はないが、闇が現れる位置は自分の意思で変化する。距離などはわからない。


 ノアは鞄の消えた右手を眺める。手も一緒に覆われていたがそれは問題なかったようだ。


「これ、自分が入ったら……」


 戻れない。そこに入って生還したものはいない。その理由もわからない。でも何故だかノアはそれに凄く興味が惹かれた。

 今の今までそんな事絶対にしないと思っていたのに。


 しばらくボーッとその手を眺めていた。

すると――


 ――パキッ


「はっ!」



 枝の折れる音。ノアは咄嗟に振り返る。


「トラスト!」


 手の届きそうな位置にトラストがいた。反射的にノアは全速力で走り出す。当然トラストも追いかける。

 心臓の鼓動がどんどん早くなる。息も荒く、胸がくるしい。振り返るとトラストとの距離は縮まっている。息は乱れに乱れ足も重くなってきた。それでもノアは走る。

 しかし背後の気配は見なくても近づいてくるのがわかる。少しずつ、少しずつ。


 そしてノアの肩に大きな手がかかった。


「やっと捕まえました、ノア様」

「離せ!」

「そうはいきません。失礼」


 持っていたナイフは即座に取り上げられ、トラストはノアの鳩尾に拳を叩きこんだ。


「ゴホッ!」


 肺の空気が一気に吐き出され、一時的に呼吸が困難になる。その隙にトラストはノアの手首を縛り次いで足首も縛った。


「やめろ、離せ!」

「森で大声は自殺行為です」


 そして猿轡もされてしまった。トラストは声も出せず全く身動きのできないノアを担ぎ上げ、移動を開始する。

 ノアは一生懸命もがいてみるが、トラストには全く通用しない。ザッザッと規則的に聞こえる足音には抵抗の影響が全く感じられない。


「ノア様には本当に申し訳なく思っています」


 トラストは歩きながらポツリと言葉を吐き出す。


「ですが……ノア様には本当の事を言います。まあ、聞きたくないかもしれませんが」


 そしてひと呼吸置いてからトラストは語りだした。


「今回の件の首謀者は……わかっているとは思いますがリンダ様です。実行犯は基本的に私一人。使用人の共犯者は最初から捨て駒です。他にリンダ様の連れてきた工作部隊が三名。所属はわかりません。これは偽装工作のみです」


 工作部隊三名は初耳だ。

 トラストによると、まず最初に遅効性の毒で騎士団を襲いトラストもそれに巻き込まれた振りをする。

 それを合図に使用人の共犯者がメイドを殺し、次に御者を殺す。

 全員の目が共犯者にいったところでトラストがもう一人の使用人に疑いをかける。

 疑心暗鬼になって全員が動けなくなったところで、その使用人をトラストが殺す。 そこでトラストが犯人とばれる。それを合図に共犯者は共闘体制の為にトラストへ近づくのでそれを殺す。

 残りはベン、バスティアン、ノアとなるが、ほぼ壊滅状態の為にバスティアンとノアは逃走する。まともに戦うのはベンのみとなる。

 この時点で現場にはトラストしかいないが、じつはここに工作部隊がいて森に隠れていた。

 工作部隊は野盗に襲われたよう見せかける為、荷物の回収や毒殺された騎士団の死体に工作をする。

 トラストの分は別の似た背格好の死体を用意。顔は潰しておく。

 普通に野盗に襲われた場合でも、バスティアンはノアを連れて逃走するはずだ。なのでこの二人は森の中で殺す。

 これが計画の全容となる。


「動機は聞くまでもないでしょうが、次期伯爵をアル様にする為、邪魔なノア様を消したかったという事です。そして私が実行犯になったのは娘を攫われたからです」


 かなり以前からトラストの取り込み工作はされていたようだ。

 トラストの親戚を誑かして借金を重ねさせ、それをリンダが建て替え貸しを作る。女性を使い機密情報の漏洩をさせる。目の前に直接金を積まれた事もあったそうだ。しかし中々トラストが折れないので最終的に娘の誘拐となってしまった。

 リンダはこの仕事を引き受けないなら娘を殺すと言った。だが、引き受けるなら亡命や新たな住まいと資金の提供をするとも言った。

 トラストが何か不穏な行動を起こせば娘は殺される。だからトラストはやるしかなかった。

 そんな経緯で今回の仕事の契約がされたのだ。

 トラストは念の為リンダが契約を破る事も考慮し、契約を履行しなかった場合、何を差し置いてもアルとリンダを必ず殺すと脅しをかけておいた。

 リンダはトラストの立場と戦闘能力に目をつけ、今回の仕事をやらせたかった。高い戦闘能力を持っている事はわかっているのだ。だからトラストを騙して敵にする事はしないだろうと読んでいる。


「それが今回の犯行に及んだ理由です。全てが終われば私は家族とともにこの国を出て、シャンパーレイクという街に住むことになっています」


 そこまで話し終えるとトラストは立ち止まりノアをその場に下ろした。そして手頃な木にノアを寄りかからせると猿轡のみ外した。


「プハッ! なんのつもりだ。なんでそんな話をした」

「……なんで……ですかね。いや、私は……ノア様に裁かれたいのでしょう。信じてはもらえないと思いますが」

「……わかった。僕がお前を殺してやる。必ず、必ずだ!」

「ええ、お願いします」


 トラストはそう言うとロープを出してノアの体を木に縛り付けた。


「契約内容の最後はノア様に死んでもらう事ですが……」


 トラストは淡々と語る。


「ノア様のみ、私が殺すのではなくモンスターに食い殺されるようにしろと。アル様のオーダーらしいです」

「なっ!」


 ノアだけはモンスターの餌になれと。だからトラストは手足を縛り木に括り付けたのだ。


「リンダ様もアル様も狂ってますが私にはどうしようもありません。ちゃんと事件の記録として残るようにと」


 トラストは袋を出し、その中の物をノアにぶちまけた。


「うっ」


 赤い液体と肉片。おそらくは獣の臓物だろう。これで辺りのモンスターを呼び寄せるつもりらしい。


「ではノア様。私がいるとモンスターは獲物に手をつけないので一旦離れます。しばらくしてからきますので」


 トラストはなんとも言えぬ顔でノアを見る。憐れんでいるようでもあり、感情が抜け落ちているようでもある。

 トラストはリンダとアルを狂っていると言っていたが、トラストもまともではないだろう。

 そして無言で立ち上がりその場を去っていった。


「…………トラスト、リンダ、アル……絶対にお前らを許さない」


 しばらくすると辺りの草むらからガサガサと音が響く。いよいよきたようだ。

 一体の狼が草むらから全身を現す。体長は二メートル程だろう。それにつられて仲間も現れる。十数体はいるだろう。赤い目に赤い体毛のレッドウルフだ。

 レッドウルフは不思議そうな顔でノアを見ると軽い足取りで近づいてくる。


 ――もうダメだ。


 近づいたレッドウルフはノアの足の匂いを嗅いでいる。そしてその巨大な口を開いた。


 ――やるしかない。


 ノアはここで決断した。生還記録ゼロのアイテムボックスに入る事を。


「くっ、開けえええ!」


 ノアの声と同時にその体を黒い闇に包まれる。


「え?」


 その途端、世界が消滅した。


「がっ、はっ、なん、だ」


 呼吸ができない。ノアは今わかった。何故生還記録がないのか。呼吸ができないからこのまま死ぬのだ。そしてその死体は永遠にこの場所に留まる。


 手足をバタつかせもがくノア。だが中はかなり狭くまともに体も動かない。


 ――くっそ! 何かないのか。


 とにかく色々な場所に手を伸ばす。何度かそうしていると硬い物に触れる。何かはわからない。もうなんでもいい。それをグイッと掴んだ。するとそれはクルッと回って前に動いた。ノアもそのまま前に転がりどこかへ出た。


「いってえ……なんだここ」


 ふと気づくと息苦しさはなくなっている。助かったようだ。


「アイテムボックスの中じゃ……」


 ノアはそこで気づく。自分のすぐ近くに誰かいる事を。


「ひっ!」


 慌てて飛び退くノア。恐ろしい形相をした人なのか化け物なのかよくわからない生物がそこにいた。


「なんだお前は」


 その化け物が言葉を発する。しかしノアは混乱してなにも答えられない。


「よくわからんが殺すか」

「ちょ、ちょっと待て! なんでいきなり殺す。お前こそなんなんだ」


 すると化け物はこう答えた。


「私はクリスティア・ヘレンゴード。で、死ぬのか、どうする」

「え? え? ヘレン……ゴード、て、その、あの、えー、魔王……魔王のか?」

「昔はそう言われたな。ならお前は同郷か。珍しいこともあるもんだ」


 赤く染まった顔に真っ黒く縁取られた目。口からは長い牙が生えており、頭には曲がりくねった角が二本はえている。声も野太く獣が話しているようだ。とても人とは思えない。そしてこの化け物は自身をクリスティア・ヘレンゴードと名乗った。しかも魔王かどうかの質問にあっさり肯定したのだ。


「その名で知っているのなら改めて名乗ろう。私は魔王ヘレンゴード。世界を滅ぼしかけた大魔王だ」


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