第10話 バスティアンVSトラスト
休憩を終え再び動き出したノアとバスティアン。隆起した高台を見つけたのでそこに登る。なんとか森の全景が見渡せそうだ。遥か正面に連なる峰をバスティアンが指差す。
「あの一番高い峰とその右の峰の中間、そのふもとに村があります。そこまで行けばなんとかなるでしょう」
そこなら配達人を雇いクリサリス伯爵へ手紙を出せる。もちろん一通ではなく複数に分けてだ。自警団もあるし匿ってもらうこともできる。
そもそも犯行が露見さえすればリンダもただでは済まない。そこまでやってしまえばトラストも追跡の意味はなくなる。つまりこちらの勝利。もちろん辛勝ではあるが。
「近いのかな」
「いえ、そう見えるだけです」
その為にはまだまだ気が抜けない。多くの犠牲を出したのだ。なんとしてもこの逃走を成功させなければならない。
とは言え、ここまでそこそこハイペースで進んできた。そのペースを続けてしまえばいざと言う時すぐに体力が尽きてしまう。
「少し歩きましょう」
のんびり散歩というわけにはいかないが、多少は気を抜かなければ体が持たない。
「ねえ、バスティアン」
「なんでしょう」
「ベンさんの言ってたエルフなら、こんな場面も簡単に切り抜けるのかな」
「ふむ、おそらくは。魔王の配下という話が本当なら、その強さは想像を絶するでしょう」
歴史の転換点となる大戦争を生き抜いた者たち。凄まじい破壊の数々は現在も語り継がれている。その渦中にいたのなら、トラストなど到底届かない高みにいるはずだ。
「魔将軍と呼ばれる者もいたはずです。彼らは魔王程ではないにしろ、いずれも一騎当千の実力はあったと聞きます。その一騎当千の基準も今とは違いますし」
「凄いなあ、もしそのエルフを見つけても遠くから見るだけしかできないね」
「まあ、そうですね。話しかけただけで殺されるとは思いませんが、接触は危険でしょう」
「どうやったらそうなれるんだろ」
「ふむ……おそらくはダンジョンでしょう」
ダンジョンとは、異界に繋がる場所。
多くは洞窟や遺跡などにできる古い魔力溜まりが変質したものとされている。その仕組みはもちろんわかっていないが、大雑把に言うと異界が現実世界と重なり合う異空間と考えられている。その異界は更に別の世界との繋がりを持つが、そこは人の辿り着ける領域ではないとされる。
しかし繋がりはあるのでそこには通常見ないモンスターや宝物があるようだ。おそらく、それらは他世界から弾かれたものではないかとも言われる。
それが神の意思なのか、それとも人の技なのか定かではない。
「邪悪なモンスターを封印したらこっちにきちゃったみたいな感じかな」
「かもしれません」
「モンスターはわかるけどなんで宝物まであるの?」
「モンスターと何らかの存在の戦闘により残った物が一緒にこちらへきたとも言われます。特に宝石類や武器の場合、それ自身に力が宿るとも聞きますのでその影響かもしれません。儀式に使われ供物として呑み込まれこちらに吐き出された。そんな風にも考えられます」
そのような場所なので、そこでモンスターを相手に鍛錬を積む者は少なくないようだ。宝物目当ての者もいるだろう。魔王はそのダンジョンを自分たちの扱いやすいよう手を加えて利用していた。その奥底では強大なモンスター相手に過酷な戦闘訓練をしていたとの古い証言もある。
とその時――
バスティアンは歩みを止め辺りを警戒し始めた。
「しゃがんで下さい。声を出さないように」
一点を見つめるバスティアン。視線の先には人影が見えている。その人影は徐々に大きくなる。進行方向はこちら。近寄られる前に位置を変えなければならない。
――ついにきたか。
そしてバスティアンはノアへ静かな声で語りかける。その声色に覚悟を含んで。
「申し訳ありません。私が同行できるのはここまで。後をノア様に託します」
「え、そんな……」
「大丈夫です。あなたはモルガン様の血を受け継いでいます。苦境である程、強くあったお方です。きっとその御加護があるでしょう」
「バスティアンは……バスティアンはどうするの」
自分を心配するノア。一人になる不安もあるだろう。言葉にはしないが察している部分もあるだろう。後の行動などわかりきっている。もちろんその結果、結末もだ。気持ちは痛い程よくわかる。
だが不安がるノアの様子を見てバスティアンは表情を引き締めた。
「年寄りの屍など踏み越えなさい。あなたは全てを託されているのです」
そのキッとした鋭い表情もすぐに柔和な顔へと戻る。
「あなたは私にとっても大切な家族。最後まで諦めず、強く生きて下さい。それだけが、この年寄りの最後の願いです」
そう言ってバスティアンはノアを抱きしめた。深い愛情がノアを包み込む。こんなに心地よかったのか。ずっと、ずっとこれに守られていたのか。それを改めて思い知るノア。もっと早くこれを知りたかった。もっと早く知るべきだった。こんな土壇場でなくもっと……
「さあ、行きなさい」
力強い声とともにノアは背中を押された。そこに二度と触れられぬ暖かいぬくもりを感じながら。
行かなければならない。わがままなど言える状況ではない。命をかけて道を切り開いた人たちがいるのだ。屍を越えて、想いを越えて。
「わかった。僕はいく」
溢れる涙を堪える事もなく、ノアはその優しい笑顔を見つめる。記憶に、脳裏に、体に刻み込むよう。
そして前を向いて動き出した。エルードの、ベンの、バスティアンの、その全ての想いを託されて。
◇
バスティアンはノアと反対方向へ静かに移動する。できるだけ慎重に、ゆっくりと。
目指すはトラストの背後。そこへ大周りしながら向かう。
近づくにつれその様子も鮮明になってくる。かなりの傷があり歩き方も正常ではないのがわかる。
――ベン、良く頑張ってくれました。
それを見て多くを察する。ベンがもう、この世にいない事も。
背後まで移動したバスティアンは静かに剣を抜き、鞘をその場に置いた。そして少しずつ、少しずつ、相手との距離を詰める。
近づきすぎてもダメだ。トラストに気づかれてしまう。バスティアンは神経を研ぎ澄ましながら射程距離を決める。
――今だ!
前傾姿勢となり突きの構えで飛び出す。前を向いていたトラストは即座に気づき、腰を落として剣を構える。だが咄嗟に突きを防御するのは難しい。
「くっ!」
僅かに逸れた剣はトラストの足に深い傷を与えた。だが前傾姿勢が災いしたのかトラストはすぐさま剣をバスティアンの肩へ叩きつけた。
「ぐはっ!」
咄嗟の攻撃だからか傷は深くない。しかし、老いた体には優しいはずもない。
バスティアンは一瞬倒れ込むも、なんとか地面転がりながら体制を立て直す。それによりいくらかの距離はとれた。
「やっと見つけた。ノア様はこの近くだな」
斬られた足を気にする素振りも見せないトラスト。両者がここに対峙する。相手と視線を重ねながらバスティアンはゆっくりと立ち上がる。
「リンダ様から提示された条件は、他国への亡命、及び現地での優雅な暮らしですか」
「まあ、よく考えればわかるわな」
「腐りきってますね」
「反論はしない。そのとおりだからな」
「リンダ様が約束を守るとでも?」
「こちらも脅してある。あの手の奴らはリスクの低い方を選ぶ」
――こちらも、という事はトラストも脅されている事になる。おそらくは家族の命。それを守るためならば悪魔にでもなるか。
結局のところ全てはリンダの手のひらの上という事。トラストも、ベンも、バスティアンも、そしてノアも。
――魔王という言葉はそんな人にこそ相応しいと思うんですがね。
バスティアンは自嘲を込めて薄く笑う。
「随分と余裕だな」
「いや失礼。下らない事を考えました」
結論としては懐柔不可能。トラストは紛れもなく悪、だが引けない理由もある。自分がその立場ならどうするか。悪を選ばない人がゼロとは言えない。
しかしそれが自分の前に立ちふさがるなら――
「さあ、最後の喧嘩をしましょうか」
「済まねえな……」
バスティアンはそれを喧嘩と称した。不良少年として生き、不良少年として終わる。そこにモルガンの意思を受け継いで。
剣を両手でグッと握りしめ、そして動く。
「ハアアア!」
バスティアンは地を蹴りながら剣を振り上げる。それを受けるトラスト。既にトラストは満身創痍の状態。片やバスティアンも高齢な上に先程肩をやられた。
これをどう見るか。バスティアン有利とはならないだろう。
元騎士と元騎士団長の剣戟は積み重なる。
遠い過去に喧嘩自慢だったバスティアンはその感触を確かめるように剣を振るう。兵士相手の大立ち回りは仲間から一目置かれるきっかけとなった。そこから騎士となり、その剣はモルガンに捧げた。だから守る。守らなければならない。モルガンの残した全てを。
流れるような剣筋は昔とった杵柄か。まだ振れる。バスティアンはそう確信しながら剣を交える。
だが技術でも体力でもトラストには及ばないだろう。ベンが戦ってくれたから、なんとかそれを引き継ぐ事ができる。その状態を見るに、ベンは全力以上を出してくれたと推察できる。だから負けられない。お前だけを逝かせはしない。
打ち合いが激しさを増してくる。どこまで届くのか。ボロボロの状態でも決して弱くはないこの男に。
打ちつけ合い火花の散る戦いは続く。高い集中力は時間を超越する。どこまでも永遠に続くような錯覚を起こす。実際は短い時間なのだろう。だがその本当の意味は命が尽きるまでだ。
刃の交わる甲高い音が響く。どれ程それが続いたか。その時間などもはや意味を成さず、ただひたすらに振るう。
「クハッ!」
だが、ついにトラストの剣はバスティアンを捉える。先程の肩とは逆の腕を深く斬られた。こうなると剣を持つのもままならない。震える両手で剣を振るバスティアン。それは最初より格段に威力の落ちたもの。
必然的に押され始めバスティアンの体に次々と剣が入る。
もうバスティアンの剣で相手が倒れる事はないだろう。それを確信させる有り様とも言える。
そしてバスティアンの腹にトラストの剣が突き刺さった。
「グボッ!」
口から大量の血を吐きその体は崩れ落ちる。
――ここまで……か。
そう考えたバスティアン。もう体が動かない。剣を持つ力も残ってない。このまま倒れたら二度と立ち上がる事はできないだろう。その考えがうずまきながら近づく地面を見ていた。
だが、そのゆっくりと流れる時間の中で、彼は確かに聞いた。懐かしい声を。厳しくも優しいあの声を。
『それで終わりかよ。不良少年』
ハッとするバスティアン。同時に足を踏ん張り、倒れそうな体を持ち上げる。
「まだです。モルガン様」
バスティアンは剣を投げつけながら突進。意表をつかれたトラストの顔面を殴り飛ばした。
「喧嘩はやはりこうでなくては」
喧嘩格闘、それに対する剣。普通なら話にならない戦いだが、トラストもダメージは大きく蓄積しており格闘の間合いに対応できていない。
バスティアンは殴って、殴って、殴りつける。間合いとタイミングを失ったトラストは後ろに飛ぶ。その距離が全てを元に戻す。
構わず突進するバスティアン。トラストは下から跳ね上げるように突きを放った。
「グボッ!」
刃は構えられた腕を通過し、バスティアンの心臓に突き刺さる。その口から大量の血が流れ出した。
直後、バスティアンの体は前のめりに倒れた。
「はぁ、はぁ、これで終わらせる。恨んでくれて構わない」
トラストは倒れた体に上からまっすぐ剣を突き立てる。その切っ先は地面に食い込むほどに。
「ステ……ファニー様……どうか……ノア……様……を……」
クリサリス伯爵領の歴史、その一つがここに幕を閉じる。
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