第9話 ベンVSトラスト


 背後に遠ざかる足音を意識しながらその視線は敵へと向けられる。

 目の前にいるのはクリサリス伯爵領騎士団、バルク・トラスト騎士団長。

 仲間に毒を盛り、協力者を殺し、主家に背いた男。その理由などどうでもいい。重要なのはこの男をここで止めなければならないという事。トラストをノアのところに行かせない。それが重要だ。


 互いに剣を構えジリジリと動き出す。静寂を破ったのはベン。凄まじい勢いで地を蹴りトラストに肉薄する。そこから振り下ろされた刃は敵の首を狙う。が、それはやすやすとふり払われる。

 右へ左へとベンの刃は乱舞するが、尽く払いのけられる。


「まだまだだが筋はいい。騎士団に欲しい人材だな」

「てめえはもう騎士団長じゃねえだろ」

「はは、確かに」


 再び剣戟が振るわれる。打ち込み、受け、払う、様々な形で振るわれる技。一見互角にも見えるが、それはトラストの加減次第とも言える。

 冒険者はモンスターを倒す事を想定して技術を磨く場合が多い。対する騎士は対人戦に重きを置いている。つまりベンは騎士の土俵に立っているという事。

 それだけでも不利なのに相手はその騎士団のトップ。

 ベンは簡単には勝てないとは思っていたが、その予想をさらに下方修正しなければならなかった。


「くっ!」


 トラストの突きがベンの頬すれすれを通る。五分に見えていた戦いは少しずつ比率を変えていく。その主導権はトラストにある。

 徐々にベンの打ち込みは減り、受けに回らざるを得なくなってきた。トラストの切り返しが速い。その対応が難しくなっているのだ。

 細かな切り傷がどんどん増えていくベン。細かいとはいっても痛みはある。そして痛み動きを鈍らせる。

 ベンはたまらず後方に飛びのいたが、それをトラストは狙っていたのかベンの動きに合わせて強烈な斬撃を放ってきた。


 ――とった!


 トラストの剣が脇腹に食い込む感触を捉えた。


「ぐおっ!」


 ベン転がりながら距離を取る。なんとか片膝立ちが精一杯の様子。剣を握っていた両手も片方は脇腹を押さえている状態。


「終わりだ」


 そう確信したトラストは上段に構えながら距離を縮める。その瞬間、脇腹を押さえていたベンの片手は振り抜くように動いた。そこから繰り出されたのは小さな卵のようなもの。

 それがトラストの顔に命中して割れた。その中からは何やら液体が飛び出しその全てがトラストの顔にかかった。


「ぐはっ、な、なんだこれは!」

「へっ、痛えだろ。錬金術屋の倉庫で見つけたよくわかんねえ武器だ」


 その武器は割れやすい動物の卵を利用しており、注射器のようなもので中を酸性の液体に入れ替えたのだろう。ベンはそれを脇腹近くに仕込んでいたのだ。

 トラストのような相手なら特にだが、不意打ちでないと使えないのでそれを取り出す動作はできない。だからベンは脇腹を斬らせ自然と片手を使える状態にした。


「さて、第二ラウンドだ」


 片手で顔を押さえるトラスト。ベンは痛みを堪えて立ち上がり、ここぞとばかりに斬りかかる。

 トラストは顔を押さえながら片目を薄く開きそれに対応するが、全てを躱す事もできず切り傷が増えていく。だがそれでも致命傷はなんとか避けられているようで後退しながら回復を図っている。

 今の段階でダメージはベンの方が大きい。ここで仕留めきれなければまた逆転されるだろう。相手が両手を使いだしだらタイムアウトだ。その時間は決して長くはない。


 ――防御を徹底しだした。


 ベンは踵を地面に強く打ち付けその勢いで相手の腿に蹴りをいれた。


「ぐあぁ! くそ、仕込刀か」


 ベンの爪先から伸びた数センチの刃。それが相手の足に深く突き刺さる。今のトラストの視界では足元まで対応できず、剣と交互に繰り出される刃はおもしろいように決まる。これも致命傷にはならないが機動力は大きく削げる。


「舐めるなぁ!」


 トラストは牽制の斬撃を放ち大幅に距離をとった。


「くっそ、大したもんだ。正直、楽な勝負だと思っていたが冒険者も侮れねえな」


 トラストがそういった次の瞬間、辺りの空気が変わる。


「まだやる事があるから力は温存しておきたかったが仕方ない」


 その体から水蒸気のような靄が立ち昇る。


 ――あれは、魔力! なんの魔法だ。


 通常、このような近接戦闘の時は魔法は扱いにくいので出さない。ベンもいくつかの攻撃魔法は使えるが、その準備は大きな隙となるからだ。

 トラストの場合はこちらへ剣を向けながら魔法を使っている。なんの魔法かはわからないが相当な熟練者になるのだろう。


「…………大神よ、我が身にやどり給え」


 ――大神だと! 大神降ろしか。


 大神降ろしとは主に獣、取り分け狐や狼の神霊を自分に憑かせる魔法だ。

 肉体も攻撃力も強化され痛みも感じない。意識は薄くなり肉体の限界を越えて暴れまわるので、扱いやすい魔法ではない。下手をするとそのまま意識を乗っ取られる可能性すらある。


「ぐあああぁ!」


 魔法が完成したのかトラストが凄まじい勢いで突進し、そのまま斬撃を放つ。これを受けるのはまずい。押し込まれる可能性はかなり高い。


「くっそ! 神降ろしなんざ反則だろ」


 こうなってしまうとしばらく逃げの一手しかなくなる。肉体も強化され痛みも感じないのでこちらの攻撃はほぼ通用しない。ベンは攻撃を避けながら位置を変えていく。


 ――どうすればいい。 効果が切れるまで待つか。いや、それまでこちらの身がもたねえ。


 いつ魔法が解除されるかこちらにはわからない。なので待つのは得策ではない。ベンはとにかく逃げる。できるだけ相手の瞬発力が活かされないよう、背後をとるようにつかず離れずを繰り返す。

 だがそれもいつまでも続かない。ベンは脇腹を斬られているのだ。出血もまだ止まってはいない。


 ――そろそろ意識がやべえな。


 獣のように襲いかかるトラスト。自身の意識よりも大神の意識の方が強いのだろう。とにかく力技でゴリ押してくる。一度でも攻撃を喰らえばそれで終わる可能性は高い。

 できるだけ速く、できるだけ不規則に逃げまわる。それをしながら対策を考えなければならないが、朦朧としだした頭ではそれも難しい。

 相手の攻撃は緩まない。自分の動きは鈍ってくる。体力も続かない。もうダメかもしれない。ベンは一瞬だけそんな事を考えてしまった。


「くっ!」


 その時、足がもつれよろけてしまう。トラストはそのイレギュラーな動きに対応してきた。


「ぐはっ!」


 剣の間合いではなかった為か体当たりを仕掛けてくる。それもかなり強烈だ。ベンは吹き飛ばされ転がってゆく。


 ――くそ、肋骨をやられた。


 立ち上がるのは難しい。相手は即座に距離を詰めるだろう。どうすればいいか考えている時間などない。


 ――坊、逃げてくれたかな……


 ふと脳裏に少年の姿が思い浮かぶ。自分が守ると決めた少年。その少年は落ち込んでいる。何故だ。一瞬頭が混乱する。自分はその時何を言うべきなのか。いや、何を言ったのか。


「じゃあその兄のような俺だけを信じろ。今は逃げたりヤケになったりする時じゃねえ。辛いかもしれねえが、しばらく堪えてみな」


 そうだ。自分でそう言ったのだ。辛くても堪えろと。今がその時じゃないのか。

 目前まで迫った怪物。これをどうする。わからない。とにかく足掻け。何でもいい。足掻いて足掻きまくれ。


「うおおおお!」


 ベンは転がった状態から突進すると、偶然にもトラストの股を抜けて反対側へと逃がれた。そしてそこから振り返ろうとした瞬間、極限状態に時間がゆっくり流れるような感覚に陥った。


 ――なんだあれ?


 トラストの耳の裏に何か挟んであるのが見えた。白くて丸めたもの。紙だ。おそらくそこに丸めて貼り付けてあるのだろう。紙の内側がやや透けて見える。文字だ。


 ――あれは……呪符だ!


 そんなものを何に使うのか。肌に張り付いているなら常に所持している意識はあるだろう。意識――奴の意識は薄い。それでも意識の中にはその呪符がある。何故だ。考えろ。奴が必要とするもの、これから使う必要があるもの。

 自分は最初なんと思ったのか。


『どうすればいい、効果が切れるまで待つか』


 脳裏にそれが浮かぶ。


 ――そうだ! 


 ベンは光明を強引に掴み取る。意識は加速し答えは目の前に開かれた。


 ――大神降ろしは自然に解除されないんだ。あれは強制解除の為の呪符。薄い意識の中でも忘れないようにしてある。なら、そこしか使いどころがない。


 大神降ろしは術者が自ら大神を降ろすが、大神の側は助けてやろうと思って降りてくるのではない。だから意識が乗っ取られる場合があるのだ。自ら望んで降ろしているが、実際はとり憑かれているのと変わりない。だから呪符を使い無理やり追い払う。その呪符は大神へ攻撃するものだ。


 刹那の間にそこまで思考を繋げるベン。咄嗟に地面を掴み砂をトラストの顔に投げつける。すると、意識が薄いせいで先程の卵攻撃と混同したのか、顔を逸して手で覆った。


 ――今だ!


 ベンはトラストの足元に剣を投げつけて注意を逸しながら、背後にまわって呪符を掴み取る。それをバサッと広げてトラストの額に貼り付けた。


「ギャアアアア!」


 それは大神の悲鳴なのだろう。ベンはすぐさま剣を拾い上げてトラストの腹に突き刺す。

 しかしまだ大神は抜けきっていないのか思うように刺さらない。何度もそれを繰り返すベン。だが数度目の突きはトラストの剣に弾かれた。意識が戻ってきている。

 こちらに顔を向けたトラストの表情は苦痛と忌々しさに歪んでいるようだ。


「ぐうぅ、術を破ったのか!」


 その反動はきているようだ。思うように動けていないのが手に取るようにわかる。だがそれはベンも同じ。双方が満身創痍の状態。あとは気力の勝負のみ。


「ラストラウンドだ、クソ野郎」

「はあ、はあ、お前は強い。はあ、はあ

、冒険者ベン」


 ここへきてトラストは初めてベンの名を口にした。僅かに残された武人の血だろうか。それともただの気まぐれか。双方は片膝を地面に突きつつ向かい合う。


「だが俺は負けられん」

「家族を人質にでも取られたか」

「……そんな言い訳はしない。ノア様を助けたければ全力でこい!」

「おう!」


 双方が立ち上がり剣を振り上げる。鍔迫り合いとなりギリギリと刃が音をたてて交わる。もう技術もなにもない。どちらが押し勝つか。それだけだ。


「ムオオオオ!」


 それでもやはり強いのはトラストだ。その刃は徐々にベンの首に近づく。両者が力の限り戦い、血と汗と誇りを振り絞る。

 そして、戦いは終幕を迎える。


「ゴガガガアアア!」


 トラストの刃がベンの首を捉えた。剣はそのままのめり込み、血が勢いよく飛び出した。


「ア、アア、ア……」


 ベンはトラストの体にもたれかかるように倒れた。そのまま体はずり落ち地面に落ちる。


「はあ、はあ、死んだか……」


 トラストは首の中程まで食い込んだ剣を抜く。そしてその前に膝をついた。ベンは完全に死んでいるようだ。

 僅かに歪みを残す表情を見て、トラストはその瞼を静かに下ろす。

 そして改めてベンを見た。先程まで生きていた男を。自分が殺した男を。そこに形作られた業を。


「偉大なる戦士ベン。俺はいずれその報いを受けるだろう。それでも俺は前に進む」


 再び修羅の道を歩きだすトラスト。彼は森を目指して進む。その先にいるノアを殺す為に。


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