第8話 バスティアンの想い
ノアとバスティアンは森をひた走る。ある程度の逃走ルートは頭に入っているが、同じ風景の多い森は迷いやすい。加えて一応の目的地となる近隣の村までは急いでも二日はかかる。老人と子どもには体力的にも厳しい。
更に森の奥深くへ分けいればモンスターも出現する。この辺りに出現するのはレッドウルフ。
バスティアンも過去には騎士をしていた時代があった。一体や二体ならなんとかなるが、そもそもレッドウルフは群れるモンスターだ。遭遇しないルートを選択しながら進むしかない。
「ノア様、携行食と水を分けておきます。あとナイフもお持ち下さい」
バスティアンは逃げる時に持ち出した非常用の鞄から物資を分け与える。もちろんこれはノアが一人になる事を想定している。
どこまでノアに付き添えるかは未知数。トラストに追いつかれたらノアを一人で行かせるしかない。
「ねえ、バスティアン。ベンさんは大丈夫だよね?」
「……ええ」
そう答えているがバスティアンは本当にそう思っているのか。答えは否だ。
確かにベンは有能な冒険者であり、武力もその辺の騎士には負けないものを持っている。バスティアンはその選定にかなりの時間と資金を費やしていた。なのでその実力は詳しく知っている。
しかし相手がトラストとなると話も変わってくる。
彼はクリサリス伯爵領で最上位の騎士であり武威として近隣に知れ渡る実力を持っている。たった一人とは言え簡単に倒せる相手ではない。
――まさか彼がリンダ様に寝返るとは……
長年伯爵家を守っていた武の象徴が、主家に剣を向けたのはバスティアンも予想外の事だ。おそらくそれはエルードも違いはないだろう。
それ程の騎士が裏切る。そこにリンダは長い時間と労力を割いていたはずだ。
金、地位、女、そして脅し。飴と鞭を使い分け篭絡したに違いない。
――おそらく他国への亡命、その先での優雅な暮らしといったところか。
その一つの歯車が全てを壊そうとしている。バスティアンにとれる手段はそこから逃げる事のみ。ベンという生贄を捧げて。
――甘く見積もっていた……
当初の予定はそのトラストを主戦力に組み込んだもの。実際そうなっていれば大抵の事は乗り切れるはずだった。だがトラストはそこから外れ、緻密な計画を立てていた。一人で全てを実行できるように。
殺された一団は賊の犯行とされるのかわからないが、そこも考えているだろう。なんらかの偽装工作も用意してあるはずだ。
リンダの方が一枚上手だった。そんな言葉では片付けられない無念がバスティアンの胸中を覆う。
どれくらい走っただろう。ふと傍らを見るとノアがかなり疲れている様子だ。もちろん自分も元気とは言い難い。
「少し休憩しましょう」
バスティアンは背の高い草むらを利用し、周りから見えにくい場所を作る。そこでノアと休憩し食料や水分を補給する。
「ねえ…」
ノアが声をかける。
「何故バスティアンはここまでしてくれるの?」
何故そこまでする。長い時間をかけ、様々な工作に明け暮れ、時には演技もする。そこに自身の命をかけて。逃げてしまった方が遥かに楽だろう。何故そうしないのか。
何気ないノアの疑問。以前であれば適当にあしらっていただろう。だがこの場ではそうはいかなかった。何故ならこれがノアと言葉を交わす最後になるかもしれないからだ。
だから知ってほしかった。自分を、その想いを。
「私は若い頃大層な不良でしてね」
「ええ、そうは見えないね」
「ハハ、そうですか」
◇
少年時代のバスティアンは恐喝や暴行などを繰り返す不良少年だった。特に喧嘩が強く仲間からも一目置かれていた。
家は裕福ではなくその日暮らしの毎日。家族は年老いた母一人。だから少年バスティアンは食うため、母を養うためにその腕っぷしを利用していたのだ。
いつしかバスティアンは不良グループのリーダーとなり、街の兵士とも衝突するようになっていた。
その頃からバスティアン自身、そんな生活は続かないだろうと予想はしていた。だがそう思っても今更働き口などない。有名な不良を雇う人間などそうそういるものではないのだ。
そんなある日、バスティアンの不良グループと兵士の激しい衝突が起こる。おそらく彼らは自分たちを仕留めにきてるのだろう。バスティアンはそう考えた。
もう終わりだ。次々と捕まる仲間を尻目にバスティアンは最後まで戦い抜く。しかしそれはいつまでも続かない。バスティアンは兵士たちに地面へ這いつくばされた。
そこへ薄汚れた男が近づく。自分たちと同じような身なりだ。こいつは何なのかと訝しんだが下っ端兵士の仲間だろうと無理やり納得した。
「おめえ、最後に言うことはあるか。聞くだけ聞いてやる」
黙って殺されようかとも考えたが、バスティアンは自分の不満をその男にぶつける事にした。
貧乏で食うものもなく年老いた母を養わなければならない。なのに働き口もないのではこうするしかないではないか。
バスティアンは思いのたけをその男に吐き出した。
「どうせ貧乏人は野垂れ死ぬしかないんだ。殺すならさっさと殺せ」
するとその男はバスティアンを思い切り殴りつけた。そして胸ぐらを掴んで立たせる。
「おめえバカだろ」
男はそう言ったがバスティアンは何故そう言われたのか全くわからない。
「金がねえのに腕っぷしだけはある。ならなんで騎士にならねえ」
騎士? この男は何を言っている。騎士なんて良家のお坊ちゃんがなるものだろ。そもそも騎士になるには領主の承認だか洗礼だかが必要なはず。そんな雲の上の存在にどうやって辿り着く。会うことすら困難ではないか。
バスティアンはしどろもどろになりながらもそう説明をした。すると男は――
「俺が領主のモルガン・クリサリスだ。おめえ母親を養いてえのか死にてえのかどっちだ!」
◇
「モルガン様にそう怒鳴られましてね。その後仲間も全員、何らかの仕事を与えられました。その頃はモルガン様も借金を抱えて貧乏でしたからなりふり構ってはいられません。その時代だからできた事なのでしょう」
「へえ、お祖父様は豪快な人だったんだね」
「ええ全くそのとおり。私も騎士になるには体を鍛えろと言われまして、何故か鉱山労働もさせられました。ですが隣でモルガン様も穴を掘っていたりするのですよ。何も言えませんでしたね。なのでモルガン様の服はいつもボロボロでした」
そしてバスティアンはノアに向きなおる。
「私は自分を拾い上げてくれた恩を忘れた事はありません。最終的に私はモルガン様の側近となり、臨終にも立ち会わせてもらいました。そしてお亡くなりになる直前、モルガン様はこう仰られたのです」
――あとは頼むぞ。不良少年。
「何故だか私は涙が溢れて止まりませんでした。モルガン様の中で私は永遠に不良少年だったのでしょうね。それが無性に嬉しかった」
貧乏時代に街のゴロツキを拾い立派に育て上げてくれた。長い時間をかけて剣を覚え、礼儀作法を覚え、領地の運営も教わった。モルガンはずっとバスティアンを見ていた。バスティアンにとってモルガンは親のようなものだ。だから悪ガキ時代から知っている。親にとって子はいつまでも変わらず子のままだ。だからモルガンにとってバスティアンは永遠に不良少年であり続けたのだ。
遠い昔を懐かしみ笑みを零すバスティアン。モルガンは彼にとってかけがえのない人物だった。だから最後の最後までモルガンの残したものを守ると誓った。それは領地であり鉱山でありエルードでありノアなのだ。
「たとえ平穏に暮らしたとしても私に残された時間は長くはありません。ですのでノア様、私は最後までお付き合いいたします」
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