第7話 ベンの弟
「安全が確認されるまでノア様は中でお待ちを」
バスティアンが剣を携えながら馬車を降りる。すると全ての騎士が馬から落ち、その場でもがいていた。
「毒か……トラスト騎士団長!」
バスティアンが呼びかけるが、トラスト騎士団長もその場でもがき苦しんでいる。
「ふ、ふがいなくて申し訳ない。ノア様はご無事か」
「ええ、大丈夫です」
倒れているのは騎士団だけ。他に影響はないようだ。襲撃の様子もない。しかし護衛がこれでは下手に動けなくなる。特に騎士団長が倒れたのは痛い。
おそらく原因は騎士団の食事だ。そこに遅効性の毒が仕込まれていたと見るべき。騎士団、使用人、そしてノアたちの食事内容はそれぞれ違う。騎士団の場合は周りを警戒しながら立って食べられる携行食だ。全てに毒を仕込むことはできなかったが、戦力の大部分を削げる。かなりマズい状況と言えるだろう。このままでは騎士団全員が命を落としかねない。
「ベン、ノア様の護衛を!」
ベンは既に剣を抜いており馬車を守るように立っている。
襲撃するなら今が絶好のチャンスなのだがその気配がない。ベンは不審に思い辺りをよく観察する。これからどうなるかハッキリとはわからない。だがベンは自分の勘を頼り考える。
毒による攻撃は完全な悪意だ。それをした者はそれだけで終わらせるつもりはないだろう。つまりノアは確実に狙われており、この後の事も考えられているはず。
――この場合……既に詰みに入った可能性が高い。
実行犯が見えない状況で大きな被害が出ている。相手が見えないのにこちらの戦力は大幅に削がれているのだ。次に何をするのか予想できない。予想できない上にこれで終わるはずがないのも確かだ。
それは覆すのが難しい段階に入っているという事になる。ベンは扉越しにいるノアへ声をかける。
「坊、最悪を想定しておけ。逃げろと言われたら振り返らず森へ向かえ」
「……わかった」
バスティアンはとりあえず水や薬など用意しなければならないと考え、もう一台の馬車にいる使用人に声をかけた。表にいるのは男の使用人一人のみ、後は襲撃に備えて車内で待機している。
使用人は急ぎ必要なものを用意し、こちらへ駆けつける。
「団員を……早く」
そう言いながらトラスト騎士団長が剣を杖代わりヨロヨロと立ち上がる。
「無理をしないで下さい。今あなたに倒れられたら困るのです」
バスティアンがそちらへ駆け寄ろうとしたその時。
「キャー!」
使用人の馬車から短い悲鳴が聞こえた。何事かとそちらへ視線を向けるバスティアン。その扉から血塗れの短刀を持つ男が降りてきた。
「貴様、何をした!」
男はその言葉を無視し、使用人の馬車を担当する御者へと、その短刀を突き刺す。
おそらく中にいたメイドは殺された。この男が実行犯だ。無傷なのはノア、バスティアン、ベン、そしてもう一人の使用人のみ。
「そいつも仲間かもしれん!」
やっと立っている状態のトラスト騎士団長が声をあげる。それを聞き、バスティアンは実行犯を牽制しつつもう一人の使用人に剣を向けた。
突然の事に驚く使用人は身振り手振りで弁解をする。
「わ、私は違う! バスティアン様、信じて下さい、本当です」
そう言われて剣を下ろすわけにはいかない。バスティアンはジリジリと立ち位置を変えながら実行犯と使用人を睨みつける。
それらを注意深く見つめるベン。実行犯は間違いないが犯人は彼一人だけだろうか。いや、元冒険者であるベンの戦力を相手が考慮しないわけがない。あの実行犯だけでは必要な戦力が足りていない。もう一人の使用人を足しても大した違いはないだろう。自分とバスティアンはこちら側と確定している。ならば消去法で浮かび上がるのは――その者は突然動き出した。
「違う! トラストだ、離れろ!」
不意にベンが叫ぶ、と同時にその使用人は対応する間もなくトラスト騎士団長に斬られてしまった。使用人はその場に崩れ落ちる。敵はトラストだったのだ。
彼はそのまま剣から血を振り払いバスティアンと対峙する。
「どういう事です」
バスティアンはトラストに視線を向ける。その姿は先程までの毒にやられた影響はなく、スクッと立ち上がっている。それまでの状態は演技だったのだろう。
騎士団長だからこそ、騎士の食事に毒を盛ることもできた。更に自分も他の騎士たちと同様に被害者の振りをし、その隙にもう一人の実行犯が戦闘力のないメイドや御者を殺す。バスティアンは使用人たちに戦闘や暗殺の技術はないと言っていたが、か弱いメイドを殺すのに技術などいらない。
「済まんな爺さん。お前も殺さなきゃならん」
トラストは鋭い眼光をバスティアンに向ける。同時に実行犯がトラストへ駆け寄った。
「これで良かったですか」
「ああ、上出来だ……だが」
そう言いながらトラストはその男も斬ってしまった。
「ガハッ、な、何故私まで……」
「悪いな、ここにいる全員が死ななきゃならんのだ」
男はそのまま倒れた。それを見たバスティアンが叫ぶ。
「悪魔に魂を売ったか、下衆が!」
「まあ、リンダ様は悪魔のようなお方だからあながち間違ってはいないな。きっと俺は死んだら地獄行きだろう」
悪びれもせず飄々と応えるトラスト。そして予想通り首謀者はリンダのようだ。
残るはバスティアン、ベン、ノアの三人のみ。この短時間でほぼ壊滅させられてしまった。
「後は御者の元冒険者とジジイか。邪魔なのは御者だな。さっさとこちらへ来い。どうせやる気だろ」
ベンは様子を窺いながら前にでる。
「爺さん、行け」
「かたじけない」
ベンと入れ代わりバスティアンは馬車へ駆け寄る。
「ノア様、逃げます」
馬車の中で状況を窺っていたノアは全てを察っしながら扉をでた。そこらじゅうに死体が転がっており、残った二人が剣を向け合う。そこにいるのは兄のように慕っていたベン。助けたいとは思ってもノアにできる事は何もない。それに最初からもしもの場合は逃げろと強く言われている。
「ベンさん!」
思わず叫ぶノア。だがベンが振り向く事はない。
「さっさと行け!」
込み上げる涙を堪えノアはバスティアンと走り出す。
――坊……
ベンの脳裏に今までの思い出が蘇る。初めてノアと言葉を交わした時、彼は泣いていた。聞けば兄弟のアルにかなり酷い事を言われたようだ。
仕事だから仕方ないと思いつつ、ベンはノアを慰めた。そんな事を何度も繰り返すうち、徐々に愛着も湧いてくる。
素直で真面目でぶっきらぼう、そして優しさも持っている。自分に対してもそういう部分を見せていた。ただの厩番にも分け隔てなく接してくる。今思えばそこまでバスティアンは計算していたのだろう。だがそんな事はどうでも良かった。
兄のように思っていると言われた時は正直嬉しかった。いつの間にか自分も同じように思っていた事にその時気づいた。
血は繋がっていないがノアは自分の弟だ。弱くて手のかかりすぎる弟だ。
だから強い兄が絶対に守る。命をかけてでも。
――達者でな。
騎士団長の名は伊達ではない。おそらく相手は自分より強い。だがそんな事は関係ない。こいつをノアの元にはやれない。だから殺す。ベンはその決意を剣に載せた。
「かかってこい、クソ野郎!」
そしてベンは雄叫びをあげる。敵を倒す為、大事なものを守る為に。
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