第6話 暗殺の可能性


「ノア様。この計画の最も危険なのはこれから先。今から話す事を良くお聞き下さい」


 アルとリンダの側から見れば最も簡単且つ確実なのはノアが死ぬこと。つまり暗殺だ。

 暗殺を指揮するなら子どものアルではなくリンダとなるだろう。一度やっている可能性も捨てきれていない。ならば二度目もあると考えなければならない。

 伯爵家の邸内には凄まじい監視網が敷かれており、ノアはこれに気づいていないだろうが、おそらくリンダは気づいている。そこで暗殺に及ぶのはそう簡単な事ではない。

 ならばどこを狙うか。邸内の監視網がない外となる。つまり今だ。

 あからさまのようにも思えるが監視網のない外を何日も走り続けるなら、チャンスはかなり多い。だからこそバスティアンもここを最も警戒する。

 リンダが勝利を確信し油断しているなら、暗殺はないかもしれない。だがそんな楽観的に考えるのは危険だ。戦いは常に最悪を想定しておく必要がある。


「トラスト騎士団長がいますので大抵の事は問題ないと思っています。ですが、いざとなればノア様は全てを捨ててでも逃げなければなりません。ベンが交戦しだしたらそれが逃げる合図です。殿は私が務めます。決して誰かを助けようとは思わないで下さい」

「でも……」

「ノア様が助からなければ全ては犬死にです。それは最悪の結果となります。絶対に守って下さい」

「……わかった」


 バスティアンは先代の頃に騎士として叙任されている。現在も鍛錬は続けており、魔法も使えるようだ。騎士団長やベンには及ばないだろうが、決して戦えないわけではない。

 今回、様々な説明をする事に加え護衛の役割もあり、それをエルードから強く託されている。


 暗殺の可能性。やるかやらないかはともかく、リンダならばそこに思考を割いてはいるだろう。それがバスティアンの考えだ。そこでどのような方法を使うか。リンダにとって最初で最後のチャンスでもあるなら、生半可な計画ではないはず。少なくともそこには数年単位の準備があってもおかしくない。


「まあ、物騒な話はこれくらいにしておきましょう。一応ベンを通じて聞きましたが、ノア様は家督を望んでいないと」

「え、それは……」


 以前ならこれが当然の考えにも思えたが、これだけバスティアンが頑張っているのに、ノアがそう言ってしまっては少し申し訳なくも思ってしまう。だがバスティアンはそれに笑顔で応じる。


「これだけ争いに巻き込まれればそう考えるのは仕方ない事です。それに我々はノア様の希望を無視したいわけではありません。念の為にクリフを鍛えているのはその為です」


 確かクリフは当主代行ができるように頑張っていたはずだ。バスティアンによると、とりあえずはノアに当主になってもらいたいと思っている。その後、アルを完全排除したらクリフを、とも思っているらしい。クリフでは跡目争いの参加資格がないので、そこはノアがやるしかないようだ。


「もちろんクリフには言っていませんが、意欲的な若者です。妾腹とは言えクリサリスの血もひいている。ノア様が望まれるなら、旦那様はその線も考えてらっしゃいます」

「うーん、急に言われてもなあ」

「そうですね。ディエゴ様の領地でゆっくり考えるのもよいでしょう。冒険者になってエルフの女性を探すのもよろしいですし」

「くっ、ベンさんどこまで話してんの」


 緊張感の強い話も終わりやっと一息といった感じだろう。とは言え今が一番危険な事に変わりはない。今自分のすべき事はこの旅程を無事に終わらせる事。そして魔力量の底上げをする事だ。危険ではあるが今まで感じていた霧のようなモヤモヤは全てバスティアンが払ってくれた。父親に対する不信感はもうない。その点でノアはバスティアンに強く感謝している。後は自分のすべき事をするだけだ。


「さっきのメイドは気をつけた方がいいのかな」

「そうですね。必要以上に近づかなければ問題ありません。彼女を含め使用人全ての経歴は洗ってあります。戦闘や暗殺の技術はありません」

「となると、気をつけるのは襲撃?」

「そうなります。ノア様は私の指示を優先して下さい。私がいない場合はベンです。休憩時などはベンといるのが良いでしょう」


 ノアは細かな事を質問し終えると、馬車の窓から外を眺める。既に街は抜けており長閑な街道を進んでいる。すれ違う馬車も少なからずいるので、警戒度はそれ程高くはないだろう。

 ディエゴの領地にさえ行ってしまえばノアへの手出しは再び難しくなる。そちらにリンダの影響力などないからだ。


「父上には謝らなきゃならないね……」

「おそらく旦那様の方がそう考えていると思います。領地の為にノア様を利用した側面は否めません」


 エルードはノアが苦しんでいる事を知りつつ、父親として何もできなかった。計画を知っていたバスティアンがいる時だけ、僅かにその心情を吐露するだけだ。エルードもまた、ノアと同じように苦しんでいた、いや、ノア以上に苦しんでいたのだろう。


「お互いが歩み寄ろうと考えいるなら、関係の修復は難しくないでしょう。次に会うとき、ノア様と旦那様が笑顔でいられるよう私は願っております」

「バスティアン……ありがとう」


 次に会うとき。ノアはどんな言葉をかけたら良いのか。やはりまずは謝るべきだろう。あれ程怒鳴り散らしてしまったのだ。おそらくエルードは怒っていないのだろうが。それでも……


 そう考えていると御者台の方からコンコンとノックする音が聞こえる。


「休憩ですね。降りましょう」


 一応ノックの回数も取り決めがあるようだ。ベンが安全と判断したのだろう。バスティアンは音声遮断の魔法陣をしまい馬車の扉を開ける。


「いやーやっとメシだぜ。腹減ったなあ、坊」

「ベン、お前は馬の世話を済ませてからだ」

「わかってるよ、うるせえな」


 相変わらずのベン。普段と全く態度が変わらない。だが当然ながらベンも暗殺、襲撃についての意識はしているのだろう。そんな事を微塵も感じさせないのは流石と言うべきなのか。

 街道脇の野原を陣取り使用人たちが食事の準備をしている。騎士団は周囲の警戒を始めた。トラスト騎士団長はそちらに指示を出している。バスティアンは全体の様子を注意深く見渡す。


「問題なさそうです。食後は少し陽を浴びるのも良いでしょう。馬車に閉じこもるのは健康に良くありません」


 小さなテーブルの上には簡素な食事があり、既に毒味も済ませてある。

 ノアは用意された食事に手をつけながら、なんとなく空を見上げる。晴れ渡る空に番いの小鳥が飛んでいるのが見える。穏やかな風景だが、警戒を忘れてはならないだろう。

 食事を終えると馬の脇で立ちながらパンを頬張るベンの所へ近づく。

 するとベンはニヤリと笑ってこう言った。


「俺の言ったとおりだったろ」


 ノアは笑顔で頷く。

 ベンは馬車の中で何が話されていたのか知っているようだ。


 俺だけを信じろ。今は逃げたりヤケになったりする時じゃない。しばらく堪えろ。ベンはそう言った。そして、その言葉を守れば、全ての憂いを取り払う事ができるとベンは知っていた。やはりベンの言うことは正解だったのだ。ノアは改めてあの時の言葉を噛みしめる。


「ベンさん」

「ん、なんだ?」

「その……ありがとう」

「お、おう」


 ベンは少し照れながら口に頬張るものを水で流し込んだ。すると背後から声がかかる。


「体調は問題ありませんかな、ノア様」


 トラスト騎士団長が笑顔で近づく。


「もうしばらく行くと警戒度も上がりますのでな、中継地の村につくまで表に出られませんぞ。今のうちに陽を浴びておくと良いでしょう」

「わかりました」

「ふむ、顔色も問題なさそうですな。ハッハッハ」


 豪快に笑うトラスト騎士団長。だがサッと表情を変えると耳打ちするように顔を近づけてきた。


「あのジジイと一緒では肩が凝るでしょう。あまり酷いようなら私が注意しますので」


 以前ノアがバスティアンに厳しく言われた現場にはトラスト騎士団長もいた。あれは演技だったのだがそのまま誤解しているのだろう。つまりトラスト騎士団長はこちらの計画を知らない。バスティアンがそう判断したのだろう。


「大丈夫、必要な事以外話してないよ」

「そうですか」


 トラスト騎士団長は離れていった。その後ろ姿を改めて見るとかなり立派な体格をしている。剣技も優れており、居てくれるだけで安心感がある。もし襲撃がある場合は彼が中心となるのだろう。


 ノアたちと使用人の食事が終わると最後は騎士たちが交代で食事となる。それが終われば再び出発だ。ノアは馬車に乗り込んだ。

 ゴトゴトと揺られる馬車の中でノアとバスティアンは他愛のない話をする。


「そう言えばベンさんと話した事って全て筒抜けなのかな」

「申し訳ありませんがそのとおりです。ノア様は冒険者に興味がおありと聞いています」

「興味はあるけど僕にできるのは精々ポーターだろうね」


 それはノアが唯一使える魔法『アイテムボックス』があるからだ。それくらいしか取り柄がないのが現状でもある。


「ふむ、アイテムボックスですか。珍しい魔法ですが使い方を間違えると非常に危険なのでお気をつけ下さい」


 それは自身がアイテムボックスに入った場合を言っているのだろう。そこからの生還率は皆無。そんな事は百も承知だ。生還できてもやるつもりはない。


「冒険者になったらベンさんの話してくれたエルフを見てみたいとか、ちょっと思ったんだ」

「ほほう、さぞ美しいのでしょうね」

「そうなんだけど、そのエルフは魔王の配下だったらしいんだ」

「魔王ですか、ふむ」


 それを聞くバスティアンは過去の記憶を辿るよう虚空を見上げる。


「魔王が実際いたのは間違いありません。各国にその爪痕は残っているようです。魔王の正体は定かではありませんが、異界の大悪魔とも傾国の姫君とも言われてますな。亜人の多い国家では崇拝の対象でもあります」

「え、そうなの?」

「魔王が率いていたのはエルフやドワーフなど亜人が多かったのでしょう。要は種族間の戦争です」

「へえ、もう魔王はいないんだよね?」

「はい、勇者と相討ちとなり滅ぼされました。なので人種族の多い国家は勇者を、亜人の多い国家は魔王を崇拝する者が多いのです。勇者崇拝者は悪意を込めて魔王と呼びますが、その意味は場所により変わります」


 今現在も小競り合いはあるのだろうが、大きな火種は存在しない。魔王との大戦争に疲れ果て、双方が象徴を失った結果とも言えるようだ。


「名前は確か……魔王ヘレンゴード」


 その名を聞きノアの心臓はドクンと跳ね上がる。何故かはわからない。

 既に滅ぼされており、普通に暮らしていれば絶対に辿り着く事のない存在。だが、何故だかノアはその名に惹かれている。


「魔王……ヘレンゴード」


 その時――


 ガンガンガンガン、と御者台から窓を強く叩く音がする。


「緊急事態です」


 バスティアンはそう言うと椅子の下から剣を取り出す。


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